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2012 Jan - Oct

10/5 (FRI)

体調と体重

9/29 から 30 にかけて、行きつけの飲み屋が 3 周年ということで、鬼怒川へ 1 泊 2 日の慰安旅行に行ってきた。飲み屋仲間で旅行に行くなんて、Kashi. もすっかりオッサンの仲間入りである。メンバーは常連ばかりであるから非常に楽しい道程であったのだが、その旅行に行くために強引に仕事を片付けたものだから、結局完徹での参加となってしまった。

それはいいのだが、帰宅後の日曜深夜、眠りについてから 2 時間後、イヤな吐き気で目が覚めた。ハテ、なんであろう。気のせいか、と無理やり眠りにつこうとしてもどうにも収まりが悪い。ついに我慢できなくなってトイレに行くと、そのまま吐き戻してしまう。そこからは吐き気と下痢の応酬で非常にまいった。ついでに熱も出たようで、明け方までうなされては目覚め、目覚めてはトイレの繰り返し。これはかなわんと、試しに正露丸を服用したところ、これが大正解。ともかく下痢は治まってくれたのでやっと眠りにつけた。偉大なり正露丸。

目覚めてみれば午後の 2 時。とにかく喉が渇いてしょうがないので、ずるずると階下に行き、父親にこれこれこうだから寝るというと、単に寝坊だと思っていたようで非常に驚かれるも、疲れが出たんだろうと当たり障りのない意見。ま、ともかく寝るよと、台所にあった 1.5L の三ツ矢サイダーをぶら下げてベッドに戻る。そこは普通お茶かポカリだろうと思うが、Kashi. の場合、こうしたときはなぜか大抵甘い炭酸が欲しくなるのであった。以後、目が覚めては啜るようにサイダーを飲み、また眠るの繰り返し。おかげでだいぶマシになり、なんとか翌日の打ち合わせにも出席できた。ここで休めないのが自営業の悲しさだ。

あれから 5 日間が過ぎたが、やっと食欲が戻ってきたという感じである。昨日 (木曜) の夜パスタを食べたが、それまで口にした食事らしいものといえば、おじやの 2 杯くらい。それでも仕事はしていたのだが、まったく腹が減らなかった。今日も旺盛な食欲はわかず、3 食蕎麦ですごしたが、なんとも年を取ったものだなと感じる。飯を食って栄養をつける治し方が通用しなくなったのは悔しい限りだ。

もっともそのおかげで体重が旅行時から比べて 4kg ほど落ちてくれた。これはチャンスである。胃の不調を幸い、少し体に良いものを作ってダイエットをはじめようと思う。食欲の秋ではあるが、美味しいものを腹八分目で。あとはスポーツの秋として成果を出したい。目標は 67kg。あと、6kg だ。年末くらいまでには達成できるかな?

9/27 (THU)

オススメの本の話

石井ゆかり - 山羊座

あまりやらないが気になるものといえば占いの類だ。少なくともテレビの朝の占いなどは歯牙にもかけないタチである。が、カルチャーとしては大変面白い分野だと思うし、誰もが「占いなんて」といいつつ、自分の星座や干支のアレコレは密かに気になるものであろう。Kashi. もご多分に漏れず、その手合いである。

中野に居を移してから比較的すぐの頃、本屋を冷やかしていると売れ筋のものとして置いてあったのが「石井ゆかりの 12 星座シリーズ (WAVE 出版)」であった。女性向けの装丁であり、普段なら気にも留めないのだが、文庫サイズの手軽さも手伝って手にしてみるとこれが大変に面白い。占いといえば大抵は「あなたはこういう人です」的なことが胡散臭く書かれているのだが、こちらは文章の魅力が強烈で、どこか別の世界の声が話しているような不思議な語り口だ。アラビアンナイトでは王の殺戮を逃れるために妻シャハラザードが軽妙洒脱な語り部として王の気を逸らしたというが、この本もかくありき。100 ページにも満たない量であるということもあるが、実に面白く一気に読める (※お断りしておくが、もちろん主観の話であるので、まずは立ち読みか、Amazon のナカ見検索!をオススメします)。

Kashi. は今までこれほど「当たってる!」と思えた星座占いの本を知らない。大多数の人はそうであると思うが、占いはまず自分、次にパートナー、次に身の回りの人…と展開しているものだが、そのいずれも外れがほとんどなく、当てはまる。これは確かにベストセラーになるわけだ、と感心してしまった。自身の星座である山羊座から、少し引用してみたい。

美意識の強さもその特徴です。真に価値あるものは山羊座のものです。山羊座の人がほしいのは「高級品」ではなく、「本物」であり「一級品」です。山羊座の人は真贋にこだわります。歴史を経て、磨き上げられ、鍛え上げられたものを山羊座の人々は深く愛します。

勇気のない人、不誠実な人、ナカミのない人が嫌いです。処世術に長けた人よりも、無骨で朴訥とした、純粋な人を愛します。決まりを守らない人、自分勝手な人、怠ける人も嫌いです。命令されることが嫌いですし、身体的に不快な状況を嫌います。

自分のやり方、自分の価値観が骨太な骨格を持っているため、パートナーができてもそれを曲げることはありません。ですから、相手がかなり柔軟なタイプでない限り、摩擦は起こりやすいようです。ただ摩擦が起こっても、それがすぐ破局、とはいかず、ねばり強く「継続」の方法を探る、根の深い優しさを持っている人たちです。

この本では「あなた」という言葉より「これが○○座の人たちです」という言い方をすることが多いようだ。そのため、自分自身という視点だけの場合にあがちな「いや、別にそんなこともないし」といった否定が起こりにくく、「基本的にそういう属性なんだ」と考えられる。リズムの良さとともに、単語のチョイスがまろやかなため、よーーく読めば気づく矛盾すらも、「まあ、そんなものだよね」と思える。そのための布石も打ってあり、まず冒頭では、人をたった 12 に分類することはできない、とか性格や生き方には無限のバリエーションがある、と断りがある。その上で「とはいえ、」としてあるので、まず得心してから読み進められる。「必ず当たる!」とか「あなたは実はこうなのだ」というおしつけがないし、基本的にネガティブなリードがまず見られないから、読んでいて気持ちがいいのである。

Kashi. はこれまで占いというものを一過性、または対症療法的なものだと考えていた。誰でも悩み苦しい時はワラにすがるものだが、喉もとを過ぎればワラなんぞに見向きもしなくなるといった具合だ。しかし、この本は「お守り」としての効能が非常に高い。いざ心が風邪をひいてしまったときなどよりも、日ごろ枕元にでも置いて暇なときに眺めてみると良い。

シリーズを通じて、巻末は 2010 年から 2020 年までの未来のことが少しだけ書いてある。山羊座の場合、2020 年は人生を刷新するスタートラインに立つときです、とある。随分とスロースターターな話だが、この本ではこうだ。

今までの流れが収束し、まったく新しく生まれ変わったような気がするかもしれません。
自分のさらなる可能性を見出し、そこからはじめの一歩を踏み出せる、偉大な星の時間です

偉大なる星の時間!なんとも雄大な大風呂敷で、実に胸が躍るではないか。さすがに占いに依存するようなことは考えられないが、こんな言葉がエールなら、未来を信じて歩いてみてもいい。あと 8 年、さあどうなっていることやら。

9/19 (WED)

しょっぱい話

味付け塩

ヒラメの刺身、天ぷら、果ては納豆や蕎麦。巷ではこれらを塩で食べるのがナウい () らしい。食味なんて人の好みだからどう食べようと自由だと思うが、そのほうが美味いというならそれはおかしな話だ。塩は一番古い調味料 (人の手による加工ということであればお酢が最古らしい) であり、それが美味いのならもっと以前からこれらの食べ物は塩で食べられていたはずではないか。

もちろん塩味で食べるもので美味いものもたくさんある。焼き鳥やラーメンなんかは好みや気分で選択肢があるわけでありがたい。だが、前述のヒラメの刺身や寿司を塩で食べるというのはモノを美味く食べるという意味では理屈から外れている。

食べ物の基本は出汁であろう。出汁というのは旨味の濃縮物であり、それはイノシン酸とグルタミン酸、グアニル酸である。そしてこれらは単体ではさほどの旨味にならない。しかし、イノシン酸とグルタミン酸が合わさることで旨味の相乗効果となり、それは 7 倍近くにも感じられるようになるという。これが合わせ出汁であり、イノシン酸はカツオに代表される魚や肉に、グルタミン酸は昆布に多く含まれる。合わせ出汁は上方の料理人が考案したとされているが、以後和食の基礎となった。

さて、刺身を塩で食べるというのはどういうことか。これはイノシン酸の旨味を塩味で塗りつぶしただけであると思う。なぜ刺身や寿司に醤油をつけて食べるかといえばそれが一番美味いからだ。ここまでくればわかると思うが、醤油にはグルタミン酸が多く含まれている。つまり魚を醤油で食べるというのは先の相乗効果が期待できる食べ方であり、理にかなっている。天ツユにしても納豆ダレにしても蕎麦ツユにしても醤油が使われており、カツオでしっかりと出汁をとってツユとする。だから美味いのだ。塩で食べることを否定はしないが、塩の主成分はナトリウムであり、あとはマグネシウムやカルシウム、カリウムなどのミネラルである。旨味成分は含まれていない。もともと醤油で食べていたものを塩で食べるということは、わざわざ旨味を削っているわけでダウングレードであろう。

塩は美味しい。Kashi. も塩が大好きで、クレイジーソルトをはじめ、各種混合塩や調味塩を試し、最後は岩塩の塊を舐めてはまた引き出しに仕舞い、それを聞いた女子に「ヤダ、キタナイ」などと言われたこともある (大丈夫、塩の殺菌力はハンパないからという主張は通らなかった)。だが、塩の美味しさはあくまで塩味であり、その味は強い。塩梅という言葉に表されるように、あくまで調理の過程で食材の旨味を引き立てる存在として利用されるべきであり、複合調味料としての醤油やタレやソース (大きな意味での) とは意味が異なると思うのだ。

塩で食べるというのは京都などでよく見られるという。京都=高級=ハイソ=通、というイメージは根強い。塩で食べる風潮というのはこれが一番大きな理由だろう。または、なんとか新しい食べ方を模索した結果であるかもしれない。しかし、何より現代人の舌が旨味の繊細で複雑な味よりも、脂が強く味の濃いものを求めているだけではないかという気がする。そしてよく噛まない。スルメなど、噛めば噛むほど味が出るという面倒な食べ物よりも、柔らかく、味の濃いものを美味いという舌になっているのじゃなかろうか。

よく引かれた出汁というのは、美味いだけでなく飽きない。ゆえに最後まで美味しく頂ける。よく出来た蕎麦ツユは、蕎麦湯で割ってもしっかり美味しい。蕎麦ツユは飲んだら辛いが、食べたら美味いというものだ。辛さは醤油の塩分であるから、蕎麦湯で割ることでそれは薄まり飲めるようになるが、味が薄くなるわけではないのは、旨味のおかげだ。実感できないという向きには、ぜひ老舗名店と呼ばれる蕎麦屋で蕎麦湯を味わってもらいたい。本当の話である。

流行だから、なんだかオシャレだからと、猫も杓子も塩で食べるのではなく、どうせ食べるならその食材を一番よく引き立ててくれる食べ方で食べたいものだ。それが塩であるというなら、それはそれでいいのである。塩をたっぷり振った熱々の茹で枝豆でビールを飲めるのもあとわずか。これからは食べ物が美味くなる季節である。モノを食べるとき、これはどうやって食べるのが美味しいのかを少しだけ考えてみたい。きっと食生活が豊かになると思う。

9/9 (SUN)

行く末

アート アクアリウムというものがある。ニュースなどで散々紹介されているから知っている人も多かろう。連日行列の大盛況だそうで何よりだが、動画を見てみると、過剰なライトアップで常にギラギラと変化する光が当てられていた。昔ながらの曲面金魚鉢もレンズ効果で金魚にはストレスといわれているのに、そこに照明を当てられ続け、ギュウギュウに詰め込まれ、餌も与えられないまま。金魚のストレスはいかばかりかというところだ。開演時間がまたすごいではないか。11:00 から 23:30 までの 12 時間半。アクアリウムの世界では考えられない長時間照射だ。これだけの環境であれば「落ちる」固体もかなりいるであろうと思われるが、そのあたりはどうなんだろうか。人目に晒されるものだから、逆にしっかり管理されているのかなとも思うのだが、実際はそうでもなかろう。金魚というのは非常に安い魚で、小赤と呼ばれる餌金なら 100 匹で 700 円程度だ。そんな値段であれば、丁寧に扱おうという気にもなるまい。だからこそ、この半分虐待のような見世物をアートと称することが出来るのだろう。素晴らしい感性というほかない。

金魚に限らず、アクアリウムにおける生体は経済動物である。経済効果の高い生体とはすなわち美しい固体であるが、生き物であるから当然固体によって美醜がある。では美しくないものはどうなるかというと選別ということになり、幼体のうちからハネられ、殺処分されていく。金魚などショウ フィッシュは特にそうだ。何せ品評会で特賞を取るレベルになると数十万という固体もいるのだ。色、形などによってランク分けされ、ロークオリティのものは前述したようにアロワナなどの肉食魚の餌用にまわされる。観賞魚の品種改良はそれはすさまじいものがあって、いわゆる奇形探しと固定の繰り返しだ。一時はテトラなどに蛍光色素を注射して異常に鮮やかなものが出回っていたくらいで、さすがにこれは流行ることがなかったが、そこまでするのがアクアリウムの世界である。

アート アクアリウム、確かにビジュアルだけ見るならばとても美しい。しかし、それは大量の金魚でなければならなかったのか。単に見栄えだけのために、「素材」として選んだだけではないのか。展示されている水槽を見ると、水槽の造形には気を使っていても、入れられている水草などはひどくお粗末だった。なにせ移殖すら行わず、アクアリウム ショップから買ってきたそのままのように根にはスポンジと鉛の板重りが巻かれたまま。少しでも生き物のことを考えるなら、そんなことは出来ないはずだ。

命は使い捨てにされるものではない。たとえ現実がそうであったとしてもだ。経済動物の最高峰であるサラブレッドはその世界の性質上、どうしても殺処分になる馬が出てくる。しかしそうした命を雑に扱わず、馬頭観音などで鎮魂の思いを手向けることをする。たかが動物、と淡々と殺していったところで何の問題もないはずだ。しかし、そうやって鎮魂の意を手向ける思いこそが人間の良心ではなかろうか。

生体を鑑賞の対象とするとき、人は残酷になる。熱帯魚、花、鳥。犬や猫もそうだ。今、あなたの目の前にいる可愛いペットは多くの物言わぬ犠牲があってそこにいる。見栄えの良い生き物を作りたいという人間のエゴだ。だからこそ、せめて目の前の生き物たちには愛情を注ぎたい。単に自分の感性を満足させるためだけ、利益を上げるそのことだけを目的とするなら、それはエゴイズムの極みであり、命を弄ぶ行いだと思う。アート アクアリウム終了後、1000 匹の金魚たちはどこへゆくのだろうか。

9/5 (WED)

独りよがり

目下 IE9 が絶不調である。特定のサイトが表示されない、Javascript 系テクノロジを駆使しているサイトの挙動が異常、などなど。まともにブラウジングできないというのはとにかくストレスだ。

そこで、いわゆる IE の不調に際して行うべきことを一通り行う。キャッシュ、cookie 関連のクリア、設定の初期化、IE のリセット、そして再インストール。しかしまったく状況は改善されない。こうなると IE そのものというよりも、他のプログラムが悪さしているように思う。Flash など Adobe 系はその筆頭であろう。しかしこちらのアンインストール、再インストールも結果は虚しいものであった。そういえば、もう使わないと Windows Phone の SDK やら、Visual Studio などをアンインストールしたっけ。なんか間違いなくこのへんが悪さしていると思うが、もう一度入れる気は起きない。

ぶーたれながら、解決策を探していると MS のサポートサイトに上記対応のほか「その他の解決方法」として、電話サポートへの誘導があった。ほう、いつから MS は IE の電話サポートなんか始めたんだと思いながら電話。なんとなく解って無さそうな兄ちゃんが対応してくれる。症状を伝えると「Internet Explorer はサポート対象外の製品で、こちらではインストールのみのサポートをしていますので、MS アンサーズというサイトを確認し、過去の事例を探すか、新たな投稿を行ってください」という。耳を疑った。番号案内のあった Web サイトにはそんなことは一言も書いていない。それどころか「ウェブページが表示できないなどの問題」と明確に記載されている。まさに自分の症状はそうではないかと言うと、「IE がインストールできなくてサイトが見れない場合のことです」と、これまたふざけたことを言う。

だったらそう記載するべきだし、そもそもそれは電話サポートしなければならない内容なんだろうか。IE は使用者が自身でインストールするものではなく、OS に標準で付属するものであり、最初からインストールされているのだ。このサポートでは「IE をインストールしてもインターネットに繋がらない場合」とするべきであり、「ウェブページが表示できない」と記載する性質のナレッジではないと思う。

そもそも、である。まともにウェブページが表示できない状況でウェブサイトで解決しろというのはあんまりだ。車がパンクしたのに「50km 先にガソリンスタンドがある。そこには車でしかいけないけどね」と言っているのと同じだ。まさに役立たず。カチンと来たので、じゃあ自分で探すけど表記は直してくださいと伝えると、「該当部署に伝えます」という。ちなみに当然まだ修正されていない。

さて翌々日くらいにツイッターを眺めていると、MS サポートアカウントがまさに「IE 不調はこのページを見てね!」と Kashi. が参照したページへ誘導している。そこで「この対処法をすべて行っても治らない場合はどうすればいいですか」とリプライすると、電話サポートを教えられたので、上記のやり取りを伝えると「すでに対応済でしたか…申し訳ございませんが、そのような場合、アンサーズをオススメする場合がございます」という。やはり役立たずだ。そこで、ここで述べたような誤解を与える電話サポートは意味がないと伝えると、「初心者目線でのご指摘ありがとうございます」などとこれまたカチンと来ることを言われる。初心者!恐らくは、サポートの中の人よりも遥かに長くコンピュータの世界に携わっている人間だぞ、自分は(笑)。

初心者目線がどうのということでなく、なぜマイクロソフトのサポートはクズだゴミだと言われ続けているかを少しは考えたらよい。表現の問題など、スキルがどうの以前に熟慮しなければいけないことであろう。そうした基本的なことが一切出来ておらず、ただ案内するだけのことをやっているから、こういう問題が起きるのだ。自分みたいに意見を言う人間はまだいいが、大半のユーザーはサイレント クレーマーとして、製品利用を止めるだけだ。そうした顧客流出を防ぐには、手厚いサポート体制が必要であると何故わからないんだろうか。

マイクロソフトにおける japan の CPE (カスタマー アンド パートナー エクスペリエンス : お客様満足度) はかなり低いと聞く。さもあらん。日本人の求めるサービス クオリティは世界一なんだから。本国は MSKK の至らなさを責める前に、自分たちのクオリティが低いんだということを理解しなければなるまい。そして MSKK には、日本人が求めるサポートを実現するために内部連携はもちろん、本国と交渉できるだけのタフネスさが必要だ。ま、無理だろうな。何せ 10 年前から同じことを言われ続けて未だに改善されないのだから。

8/26 (SUN)

無題

トレス疑惑

自分を古臭いなと思うことが多々ある。時代の変化についていけないとネガティブに捉えるか、伝統的な価値観を尊重するとポジティブに捉えるかは他者に委ねるとして、個人的には温故知新、臨機応変に対応していけるような柔軟性は必要だなと思う。それはそれとして、受け入れがたいものというものもある。

一昨日の放送で録画しておいた「崖の上のポニョ」を観る。なるほど、つまらない。作品から感じられるテーマは何もない。ジブリの持ち味である丁寧な作画は見られずひどくチープだ。第二形態のポニョは爬虫類と鳥類の合いの子のようで非常に気味が悪いし、そこかしこで繰り出される不思議は説明不足で納得できないものが多いため、観ていてフラストレーションが溜まるばかりだった。駄作であろう。何より鑑賞意欲を無くさせたのが、5 歳の主人公宗介が両親を呼び捨てにするところであった。ネットを漫ろ歩いてみると、ここは相当に議論がなされたらしい。教育上悪いとか、家族といえど個の人間を尊重するためだ、とか。なるほど、色々だ。

Kashi. は家族というのはもっとも小さな社会構成であると考える。人は成長していくに従い、行動範囲を広げ、幅広い人間関係を構築していく。人間関係の構築とは、自分の社会を築くと同時に、既にある社会の中で自身の人間性を磨いていくことでもある。そこに求められるものは規律であり、序列だ。どんな性質の集団であろうとこの 2 つがない集団は存在しえない。もしそれが破綻しているのであればそれは集団として機能していないことを示す。何故なら集団とは個の集まりであるが、個が集団になるためには他を尊重する必要があるからだ。その尊重を平均化し、合意としたものを規律と呼ぶ。集団によってはルールといったり、掟といったり、時には暗黙の了解という。こうして初めて個が集団として機能する。

集団の中で庇護下に置かれる立場のものは実力者を尊重する必要がある。それがその社会での生存に繋がるからだ。両親を呼び捨てにせず、尊称で呼ぶ必要があるのはこのためであろう。誰もが一番最初に学ぶ基本的な序列である。こうして人間関係の基本を学ぶことが、人が巣立ちをした時に生きていく術となる。こうしたルールを守れぬ人は社会性がないとされ、集団から弾かれる。ということで、親を名前で呼ぶというのは大切なことであるし、それを教えるのは親の義務でもある。それが出来ていないポニョはやはりあまり好ましいとは言えない…と、Kashi. は考えてしまうのだ。

たかが娯楽映画の話である。だが、ジブリといえばディズニーと共に子供向け映画制作の筆頭でもあろう。監督も表現者である以上は、様々な作品を描きたいと思うだろうし、それは自然の欲求だ。だが、それならジブリのブランドは外したほうがいい。ジブリはジブリが考える以上にジブリである。「だって宗介はお母さんのこと名前で呼んでいたもん」と言われて、子供にわかるように説明できる親がどれだけいるだろうか。「よそはよそ!」と言うのが関の山だろう。

序列や社会構成、それは大人の理屈だ。だが、そんなことよりももっとプリミティブな喜びを感じて欲しい。誰だって初めて我が子の姿を見たときに言うはずだ。「はじめまして。お母さんよ」と。お母さん、お父さん、と呼ばれることの喜びはとてもピュアな気持ちであると思う。もしその気持ちが持てず、「個性を尊重するんだからウチでは呼び捨てでいいの」とする親がいるとするなら、その親は社会性が足りず、人間が持つ豊かな感情が欠落していると思う。

それにしてもポニョ、ほんとにつまらんなあ。もう設定に無理ありすぎだ。というか設定が出来てない。設定はあるのかもしれないが、それを描ききれていない。ナウシカもラピュタもトトロも空想世界の話である。しかし、何故あそこまで引き込まれるのかといえば、設定に説得力があるからだろう。無理を通して道理を引っ込めるのがフィクションというものだ。読み手や視聴者に、曖昧な含みを持たせ「観る人それぞれが感じればいい」というのは傲慢なやり方であるし、ただ単に描きたいものを描いただけというのなら自慰行為であって、金をとっていいものではない。宮崎駿、老いたり。

8/12 (SUN)

TPO

とある大企業で SNS マーケ担当と称する人がいるのだが、その人の Facebook 記事を見ていると恥ずかしくて目を覆いたくなる。得てしてマーケッターなんてうたってる人の Twitter や Facebook は独り善がりのものが多く、年寄りは徒党を組んで若手を潰しにかかり、若手は経験不足を恥じることなく非現実的な自己流理論をぶつ…なんてのが定石なのだが、今回のそれはまた種類が違っていて、書き込みを見ていると、オタクネタばかりなのだ。

大企業の SNS マーケ担当という肩書きであれば、それ相応の品位や知性が問われるものであろう。ただでさえ大企業なんてのは揚げ足を取られる格好のターゲットである。ベンチャーの変人名物社長とか、そういうキャラではないはずだ。にも関わらず、この人の書き込みときたら例のなでしこ調整試合擁護、嫌韓思想、政治批判にはじまり、ももクロのコンサート、コミケ、2 ちゃんまとめサイトの記事引用とヲタ全開。別にヲタであることが悪いというわけではないが、それは個人の趣味嗜好であって企業の看板背負った職種であるならば、もう少し自重できないものだろうかと思う。

発言には常に草が生え (先の日記でも書いた「(笑)」を「w」とし、それを連続記述する感情表現)、それだけでも情けないのに、ももクロといえば、平均年齢 15 歳。これに子持ちのオッサンが熱狂してサイリウム振ったと書きながら、他人の顔がはっきり判別できるような写真をアップしたり、猥褻紙袋の販売で問題になっているコミケに 3 日間通い熱い夏だったとしてみたりする。馬鹿じゃなかろうかと思う。

何度も書く。ヲタクであることが悪いとは言わない。しかし Facebook はビジネス コミュニケーションの場でもあるわけだから、プライベートを赤裸々に語るというのは思慮が足りない。趣味の世界というのは拒絶反応を示されることもあるわけで、ましてやコミケだアイドルだのといえば、それは更に顕著だろう。この人は子供の顔写真もバンバンアップしているが、それもどうかと思う。子供は親の庇護下にあるが、親の所有物ではないのだ。彼らにだって肖像権はあるし、身内だからいいというものではない。むしろ親は子供のプライバシーを守ってやるべき存在であろう。

氏のついているポジションには前任者がおり、その人は就任時代「自分が SNS で気をつけていることはいくつかあるが、そのうちのひとつが子供の顔写真を絶対に出さないこと」と言っていた。何故か。これは親が何かをしでかした時、子供にその累が及ぶことを懸念してのことである。何かとは犯罪行為などはもちろんだが、心ない人物による勝手な情報拡散や、意図せぬ炎上なども含まれる。そうした攻撃というのは、大企業の代表ともなれば常に気を配っていなければいけないことであろう。単に妬み嫉みというだけで、いたずらに情報をバラまく輩だっているのだ。それこそ 2 ちゃんの鬼女と呼ばれる人種を見ていればそれが虚構でないことが良くわかるはずである。

要はこうした職種にある人は隙を与えてはいけないのである。中立を維持し、主義思想はあくまで職務におけるビジネス論程度に留め、政治や特定のサブカルチャーへの肩入れなどは御法度にしておかないと、「冷静な判断」を求められるビジネスでの信頼を損なうことになるからだ。ももクロが悪いのではない。コミケが悪いのでもない。だが、どちらも少し調べれば極めて危ういものを持っていることがわかる。ももクロファンがもののふと呼ばれ、極めて素行が悪いことも、コミケが二次創作と称して著作権侵害行為が横行し、先に述べたような猥褻物陳列や騒擾行為、周辺住民の不安を掻き立てるようなものであることもすぐにわかる。こうした嗜好を強く好むというのはそれだけでスキャンダラスだ。今はオタ文化がビジネスになるということで社会に広く強引に浸透しているが、だからといってスポーツのような認められ方をしているわけではないことに気付かねばならない。

Kashi. の世代ではコミケ通いなんてのは一般人には隠しておくようなもので、少なくともベラベラ吹聴して回るようなものではなかった。何故ならそれは異世界であり、そうした嗜好を持つものにとってはハレであっても、一般人には理解不能なキチガイイベントだったからである。今、同人の世界というのはある意味で無法地帯で、昔のように「コスプレしたまま会場外に出ない」とか「あからさまなエロは規制対象になるからやらない」といった自浄作用が期待できない。表現の自由と称して、その自由を守るための義務とは何かを考えることもしない連中がものすごく増えた。ヒステリックに自主規制する必要もないけれど、お上が少し本気になればたちまち潰されてしまうようなイベントである。本来創作活動の発表の場だったものが、企業が完全な営利目的で入り込み、同人誌を「頒価」で配布するのではなく、商業ベースでタガの外れた限定商品などを高値で販売する。パンツや胸が丸出しのコスプレイヤーをバズーカ砲のような長玉を構えたカメラ小僧が 360 度全方位で囲んでローアングルで撮影する。もちろんそれが全てではないし、昔からそうした問題はあった。だが、今はそれらのタガが完全に外れているのが現状だ。他人は他人、コミケってのはお祭りだし、そういうものだよ…と憚らない。

取引先にそうしたコアな趣味、性癖を持つ人間がいたとして、その人とがっちり信頼関係を結んだビジネスをしたいと思うかどうか。少なくとも Kashi. はごめんだ。公私の区別が付かない。それだけで信頼に値しない。一億総メディアとして、誰でも気軽に情報発信が出来る。だからこそ言動や投稿に気をつけなければいけないし、同じプライベートを晒すにしても、上手にコントロールすればいくらでも印象操作が可能な時代だ。一般の中小企業の平社員というならともかく、こうしたネットメディアを上手に活かなさければいけない立場の人間がこれではお粗末もいいところ。氏がそんなマーケ担当であるうちは、多分ロクな施策は出てこないのだろうな。多分、この先ニコ生動画とか、そのあたりでイベント レポートするとか、せいぜいその程度であろう。それがどれほどの利益をもたらすものかくらい解りそうなものだが。長期のタクティクスという部分に視野を向けられないマーケッター。情けない話ではないか。ま、批判ばかりもなんなので、別の機会では SNS マーケティングというものを考えてみたいと思う。

8/2 (THU)

フェアプレー

昨日の日記でサッカーの調整試合は合理的とする人たちのテキストを書いたが、今日、バドミントンで中国、韓国、インドネシアの選手が失格処分になったとの報道が流れた。失格理由は「決勝トーナメントの組み合わせが有利になるよう、わざとポイントを落とした」からだそうな。これがサッカーファンの間では「勝つための当たり前のこと」という感覚らしいから、彼らはこの報道についてもやっぱり同じように批判するんだろうな。それとも見なかったことにするんだろうか。

そんな人たちが大企業でマーケティングなんかやっていけるんだから良い時代だ。彼らの考えるマーケティングとは客のためではなく、利益さえあがるなら何をやってもいいという発想なんだろうから。

報道は下記から。
世界1位、3位ペア失格=「無気力試合」で処分-バドミントン
http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2012080101085

もっともなでしこのそれとバドのそれとでは 100 円を盗んだのと 100 万円を盗んだくらいの違いはあるけれど。バドはあまりにもあからさまでほんとに不愉快だった。ひとつ感心したのは、中国選手が「私たちは間違っていた。全力のプレーを観客に見せるべきだった」とコメントしたことだ。あの絶対に謝らないと言われていた中国人が。ひょっとしたら中国は今混沌期で、大陸故に侵略戦争と戦ってきた頃の何があっても負けないという発想と、国際社会における地位向上や潤沢な情報によって得られた品位という部分を改革する流れが鬩ぎ合っているのではなかろうか。もし中国が後者のような思想を持ち始めたとしたら、アメリカも真っ青な真の意味での大国になりそうな気がする。さて、どうなるか。

8/1 (WED)

デジタル思考と合理化

破れサッカーボール

Facebook でとある人が下記の記事に対して「なんの問題があるのか」とポストしていた。

「引き分け狙い…なでしこ、フェアプレー精神はどこへ」日本経済新聞 8/1 付
http://www.nikkei.com/article/DGXZZO44407890R00C12A8000000/

要約すると、なでしこジャパンの佐々木監督が準々決勝出場のために調整試合を行い、アフリカ戦で意図的な引き分けを指示したというもの。この引き分けにより、試合会場の移動が無くなり体力を温存できる…ということのようだ。だが、日経の論調では、五輪という晴れ舞台に出場する選手の情熱に水を差すものであり、FIFA の規律委員会からフェアプレーの精神に反するとして問題になるかもと言っている。

これに対し、Facebook のコメントでは「フェアプレー精神を貫く清廉さが好きなんだろう」とか「引き分け狙いのどこがアンフェア?非常に合理的な判断」「何を言っているんだか」「これは押しつけ」「サッカー知ってんのか、このバカ記者」と辛辣なコメントが「実名」で並んでいて Kashi. は背筋が冷たくなってしまった。

Kashi. はサッカーをよく知らない。だから、今回の判断がサッカーにおいて正しい判断なのかどうかもわからない。しかし、勝負に勝つためであったとしても、調整試合というものをあまり好意的には捉えられない。何故なら記事中にも書かれているように、4 年に一度の大舞台で手を抜いた試合をするというのは、選手のプライドを踏みにじるものだと思うし (選手全員が調整試合に賛成しているなら別である)、相手国に対しても失礼だと思うからだ。戦略上の理由という意味では分かる。しかし、今回、佐々木監督はこの戦略を公開コメントとした。これは「自分は間違っていませんよ」という意志を表すものだろうが、日本人的に考えればアフリカとしては不愉快な気持ちであろう。もし逆の立場になったら、という想像力が欠ける振る舞いであると思うし、それこそ「全力でプレーしなければならない」というものがサッカーの規律としてあるのであれば、その精神に反する行為なんじゃなかろうか。

日本人の美徳とは「察しと思いやり」である (と、エヴァでミサトさんが言っていた。自分もそう思う)。「親しき仲にも礼儀あり」とし、相手に不愉快な思いをさせぬための作法や所作が様々な文化の中で磨かれてきた。戦場においても、戦いの前には双方名乗りをあげ、闇討ちなどを卑怯な行為として恥じてきた。「獅子は兎を狩るにも全力を尽くす」と、どんな相手であっても相手を見くびらず、その時のベストを尽くすことが良いとされている。「窮鼠猫を噛む」の例えは、油断をすればどんなアクシデントが起きるかわからないことへの戒めだ。相手に対して全力で (叩き潰すのではなく、敬意をもって) 相対することは日本人の価値観の中で培われた極当たり前の精神なのである。

ルールを熟知し、そこで有利に勝ち進むという戦略上の事であれば、それはそれでいい。だが、それを公にし、さも当たり前とするのはやはり何かが違う。少なくとも「日本人」の感覚であれば。本当の強さを持っているのであれば、オリンピックという大舞台、胸を張って戦って欲しい。例え敗戦を喫したとしてもそれは賞賛に繋がる。それが日本だ。負けたからと言って選手が命を狙われたり、国益を損なうようなことにはならない。それよりも小癪な戦略で万が一負けでもしていたらどうなっていたことか。また体力温存のためと言うが、条件はどの国も同じである。どうせ格下相手と戦うのであれば、実力を見せつけて勝ち、世界にその強さを印象づけたほうが良かったのではないか。

大和撫子の冠を持つ選手団である。可憐で慎ましくも凛とした強さを指す言葉だ。撫子の花言葉は「純愛」「大胆」「勇敢」だそうな。果たして今回の戦略はその名に恥じぬものであったかどうか。Facebook のレスのひとつに「この記者誰だと思ったら、大住さんじゃん。信じられない」などと書いている人がいた。調べて見ると、サッカー ジャーナリストの大御所らしい。コーチング ライセンスを取得し、選手育成にも尽力している。普通のファンよりも遥かにサッカーの世界に接し、生きてきた人が今回の行いを「恥」だとしているのだ。Facebook の意見とライターの意見、どちらが真っ当なものなのかは分からない。国によっては審判買収までするような国もあるようだから勝つことは絶対なのだろう。しかし、「日本人」であるならば、ライターの意見を是として欲しい。そんな風に思う。

7/30 (MON)

男と女の埋められない溝のお話

知人女性と電話でアレコレ話をするうち、夫婦論の流れとなり、そこからイロイロと派生して不愉快な思いをする。相手も不愉快だったろうが、これは自分の日記であるから自分の感情を吐露させていただこう。もはや headacher 恒例であるが、非常にどうでもいい話なので本気で読むと呆れると思われる。酒でも呑みながらダラダラと読むのがオススメだ。

事は非常にクダラナイのだが、「風呂上がりに壁や床を拭くか」という話であった。女房との同居時代、色々とあってカビまみれの風呂場に嫌気が差していた Kashi. であるが、実家に戻るようになってから実家の習慣で風呂上がりには必ずぞうきんで壁床を拭くことをやっている。このおかげでカビはほとんど生えないし、生えても除去が容易になっている。反して電話相手の女性は「そんなこと誰もやらない」とか「面倒すぎる」とか「カビが生えたらカビキラーでいい」という。まあ後者 2 つは考え方とか方法論だからいいだろう。しかし「誰もやらない」というのはあり得ない。現実に実家ではやっているし、ネットで調べてもカビの有効な対策として当たり前に紹介されている。

だが、相手は頑として否定してくる。そこまで言うなら今度知人の集まりでアンケートを取るとまで言う。そして「絶対知人もやってないって言うに決まってる」と断言してくる。面白い、それならやってみろ。そのかわり、もしやってると言われたらどうするんだと聞くと「その時は泣く」と支離滅裂なことを言い出す。呆れてモノが言えないとはこのことだ。壁拭きが極普通の予防策であることは間違いないし、数々の根拠があるというのに断固として認めない。何が彼女をそこまで頑なにさせるのか。

挙げ句「どうして "アンケート取るんだ。じゃあそうしようね" で終われないの?」「なんでそんなに責め立てるの」「もう泣きそうだよ」という。何故そこで終わらなければいけないのか。泣きそうということについても理由が分からないというと、本当に泣き始めた。あまつさえ、「男なんだし、年上なんだから、そっちが折れてよ」などと言い出す。それはおかしいだろうというと、「そんなの女の特権だもん!」と混乱の極みのような事を言い出す。

断っておくと、年下と言ったって 2 つ 3 つの話である。これが 二十歳そこそこの学生気分も抜けない若奥様とかの言うことなら、まだ子供だしなと無理矢理諦めることもできるが、いい大人が何ひとつまともな理屈を出せず、正論を立て続けにぶつけられると感情論だけでモノを言い出す。まったくお話にならない。それこそ極めて個人的な感情で言わせてもらうなら、そっちこそ「確かにそれは予防策として正しいよね」と言え、と思ってしまう。事実、根拠があるのだから。

無理を通せば道理が引っ込むを地で行くのが女性だ。もちろん、女性はそういうものであろう。だが、そこから可愛げが無くなれば男にだって沽券というものがあり、引っ込むことはしなくなる。こちらにも適当なところで諦めないという欠点はあるが、少なくとも今回はまったく納得できないものであり、こんな理屈が通るなら男の存在意義などまったく無くなってしまう。なんなの?こっちが悪いの?いやあ、「そんなの女の特権」とか言い出す相手のほうが正しいとか、どう考えても全然理解できないんだよなあ。チヤホヤされたいならそういう相手探してくれよ、もう。

追記:
このやり取りの数時間後、明け方 5:00 に「心底うんざりしたのでもう連絡しないで」という絶縁メールが来る (如何に腹が立っていようが、こんな時間にメールを送ってくること自体が自己中を体現している。怒っているのは自分だけで、相手の怒りの火に油を注ぐ行為であると解っていない)。どの口がそんなこと言えるんだかと心底呆れるが、正直こちらも清々した。もう、このテの相互理解を行おうとせず、自分だけが正しいと考え、嫌なことから目を背けようとする手合いにはゲンナリなのだ。

追々記:
信じられないことに、この 7 時間後、昼休みに電話がかかってきて、なんだあ?と電話を取ったら笑いながら「まだ怒ってるの?まあいいじゃん」と屈託がない。この時 Kashi. は完徹で (腹が立って眠れなかったので仕事をしていたのである) 仮眠を取っていたため、余計なことを考えたくなく、「はあ」とか「うん」とか適当な応対をしたのだが、自分から二度と連絡してくるなとまで言っておいて舌の根も乾かないうちに電話してくるというのはどういう神経なんだろう。それも神妙にしてればまだこちらも「言い過ぎたよ」くらいは言えるかもしれないが、ごまかすようにあはははーと言われてもね…。もうこういう人なんだなと諦めるしかないんだろうな。イヤハヤ、まったく理解し難い。

7/22 (SUN)

どう思う?w

無気力とまではいかないが、虚無のような感覚が常について回るこの身であるが、それでも時折突き上げられるような衝動があるものであって、久しぶりの日記である。例によって駄文であると断りつつ、「w」という表現について。

もはや一般人にも完全に浸透した「(笑)」の代替表現であるが、実は Kashi.はこれをあまり好ましく思っていない。この表現はネットワーク バンドが貧弱だった頃に発生した。オンライン ゲーム「Diablo」や「Ultima Online」がその発祥であるが、当時の回線速度は現在の 1/100。加えて上記のオンライン ゲームは海外サーバ経由であり、とにかくパケット ロスや遅延が多く安定しなかった。そうした中でも多くのプレイヤーはそれを不公平であると思わずゲームを楽しんでいたが、そんな中、出来るだけ速やかに会話をしなければならない存在があり、それが PK と呼ばれるプレイヤーだった。Player Killer、すなわち一般プレイヤーを殺して回るプレイヤーのことだが、それ自体はロールプレイングの範疇であり、決められたシステムの中でやっているのだから問題はない。PKK と呼ばれる PK に反撃できるようなスキルを持つプレイヤーもいたし、PK 自体にはゲーム内でのペナルティもあったからだ。

そうしたペナがあるとはいえ、やはり PK が疎ましい存在なのは間違いなく、そうした PK が使う「死ねよw」などといった言葉もまた良いものではない。だが、確かに「w」という使い方は便利であった。要はその文脈であり、ゲーム内ではダブルバイト (日本語) 不可ということもあり、「(warai)」では長く、できる限り言葉を短縮したいという思いもあって、じわじわと一般プレイヤーも「w」を使うようになってきた。いずれ日本サーバーが利用できるようになっても省略系としての「w」だけは半角から全角になり残った。

同じ頃、2 ちゃんねるが創設される。2 ちゃんはアンダーグラウンドサイト「あやしいわーるど」からの分派であり、その性質から数多くの反社会的思想を持ったユーザーがいた。現在は一般人の流入もあり、そうした側面が薄れてきているとはいえ、本質的には唯我独尊の場であり、匿名性というものを深く考えさせられる場所だ。そこでも当初は「(笑)」と「w」が混在していたが、そのうち VIP と呼ばれるカテゴリで「w」を連続的に使い、相手を中傷、嘲笑、そして悪ノリの象徴として使われはじめた。「こいつキチガイwwww」「うはwwwwおkwww」などだ。

Kashi.もチャットなどの即効性が必要な場面や、オンライン ゲームで親しくなった仲間とは「w」を使う。そうした仲間が「w」を使うことにも抵抗はない。何故ならそれが出会った場での共通言語であるからだ。だが、前述のような由来が解っていれば一般人の言葉として「w」が不適切であることが解る。しかしいつの頃からか、この用法が一気に広まった。それは恐らく Twitter と iPhone の爆発的普及が起因していると思われる。Twitter は 140 文字制限により「(笑)」より「w」のほうが文字数を稼げる。図らずもネトゲ時代のそれと同じ理由だ。普通の人々は「(笑)」を使っていたが、ネトゲユーザーのつぶやく「w」を知ってから「こっちがいい」となった。そして iPhone は入力してみればわかるが、日本語変換の際、第一候補の直下にある「w」を誤タッチしやすい。つまり、入力しやすい位置に「w」があるということであり、文字登録の手順も面倒で当初は「(笑)」なんて登録されていなかったから、これまた「w」が普及していくようになる。そしてその頃ニコニコ動画では大量のユーザーが同時多発的に大ウケした際に、弾幕と呼ばれる「wwwwwwwwwwwww」の連続使用が当たり前となり、ある意味で優れたマーケティングによって、ニコニコ動画もまた一般人が多く流入していくことになる。

「w」の使用が世の趨勢であるというなら否定はしない。最近の若い黒人は「nigger」という強烈な差別を意味する単語を「hi,brother」と同義のように使い、それに対して「教養ある黒人はこの語の由来から、このような用法に反対する向きもある」と wikipedia には書かれている。まったく同感であり、「w」を日常的に使っていると言葉に関する感性が鈍くなるように思えてならない。あくまでジョークワードとして意図的に使う分にはなんの問題もないが、意識せず付和雷同で「w」を使っている人を見ると、どんなに高学歴だとしても無教養に思える。

デザインを習っていた高校時代の友人は「wを使いたくはない。それは表現の世界に生きる者にとっては少し恥ずかしいことだ」と言っていた。然り、である。「w」はあまりにもカジュアルなスラングであり、その使用には TPO を弁えるべきだと思う。つまりは仲間内だけで使う表現技法であり、SNS や blog などでの使用は品格が問われる。Facebook などは特にビジネス パートナーと書き込みを共有することも多いわけで、そうした場所ではやはり注意が必要だと思うのだが、どうもそれを意識していない人が多い。

こういうことを言うと必ず「言葉は変化するもの」と言い出す人がいる。その通りであろう。「新しい」は元々「あらたしい」であった。「新たなる」と書いて「あらたなる」と読むところにその名残がある。だが、こうした変化は誤変化であって、スラングは異なる発生原理を持っている。本来閉鎖的なコミュニティでのものであり、普遍的ではない。合い言葉のように「w」を使う人間は「あ、これは 2 ちゃんねらだな」と解ったものだ。そうしたものが浸透、一般化し、それを「言葉は変化」というのであれば、それは言葉が変化したのではなく、使用者が 2 ちゃんねらレベルになったということであると思う。

何かを発信する時に、単にラクだからと「w」を使う。表現ひとつで何を大袈裟なというかもしれないが、この表現になんの疑問も持たずに日常利用している人は、品格への課題として、少し「w」と「(笑)」の違いを思い直してみてはどうだろう。きっと言葉のニュアンスが変わるはずである。

余談:糸井重里のツイッターなんかを見ているとやっぱり「(笑)」であった。岡田斗司夫も三谷幸喜も谷川俊太郎も、辻仁成や、中村うさぎですらそうであった。反して、同じ表現者であるはずの漫画家の「w」の多いこと多いこと…。エンタメ屋と物書き屋の「差」なんだろうが、別の意味での「差」でもあると思う。どちらを好ましいと思うかは人それぞれだが、例えば「本は大好きでよく読む」なんて言う人は「w」を使ってると、「いったいどんな本をお読みに?」という気分になるのだ。偏見かなあ。

7/7 (SAT)

無題

母が他界してからというもの、日記を更新する気が起きない。急激に仕事が忙しくなったり、母の法要以外はただひたすら同じ毎日をリピートしているだけというような状況のせいでもある。無気力ということでもないのだが、モチベーションの問題だろうか。だがまあ詳細後日と書いてもいたので、当日から葬儀までを振り返ってみる。

2012 年 5 月 24 日。母が危ないという報せを受けたのは深夜 2:30 頃であった。自分は仕事をしていたが、父親に声を掛けられ 5 分で車を出す。到着した時には医師が蘇生を試みていたが、電子機器のグラフは直線のまま、看護師はアンビュバッグによる自発呼吸誘発を諦めていた。体はまだ温もりが残っていたが、父親の「おい」という呼びかけに母は応えてくれなかった。日頃から眠っていることの多かった母。その姿と何も変わらない。悲しさがこみ上げてくるが、泣いてしまうことがなかったのは周囲に数人の人がいたからだろうか。それでも目頭は熱くなり、喉の奥に小石が詰まったような感覚を覚える。

臨終の宣告を受けたのは 3 時くらいだったろうか。看護師が異常に気付いた時点では既に母の心臓は動いていた無かったようだ。つまり正確な時刻はわからない。便宜上、自分たちが到着した 2:45 が鬼籍に入った時刻となった。臨終となった以上、いつまでも病室にいるわけにはいかない。空いている個室にベッドが移され、そこから 30 分ほど父と自分だけにしてくれる。父の目は真っ赤だ。二人とも言葉少なく、髪を梳いたり、着衣を整えてやる。手を握れば、まだ柔らかい。いつも痰を吸引する時は苦しそうで握ってあげていた手。自分が骨折したとき、傷跡を撫でてくれた手。度重なる点滴で皮膚が硬くなり、痩せてしまった手。それでもいつも力強く握ってくれた手も、もはや僅かな反応もない。発作のように悲しくなるたび、ごまかすように父に話しかける。

しばらくした後、看護師が入室してきてお清めをするという。早くしないと死後硬直が始まるからとのことだった。後をお願いし、別室で控えながら葬儀屋に連絡すると、こんな時間であるにも関わらずすぐに向かいますとのこと。なるほど、システマチックだ。続けて妹と女房、母方の叔父と伯父に連絡。一様に驚きを隠せず。その後お清めが済み、霊安室への移動。顔を見ると、女性の看護師が一応化粧をしてくれたが、それはちょっとお世辞にも良いとは言えないものでこんな時ではあるが苦笑する。

葬儀屋が到着し、お悔やみを述べると速やかにストレッチャーごと車へ。家庭の事情によってはこのまま葬儀まで葬儀場の霊安室に安置することもあるようだが、長い入院生活であったことから一度ご自宅にお帰りになっては…との提案。異論などあるはずもなく。自宅に到着し、大急ぎで居間を片付け、布団を敷く。速やかに簡易な祭壇が整えられ、線香、香炉、お鈴、白木の仮位牌が置かれる。線香をあげた後は、滞りなく葬儀の相談となり、それはもうスムーズに段取りや葬儀の内容、棺の種類や想定される弔問客の数、精進落としの料理選びなどを決め (られ) ていく。慣れというのもあるのだろうし、遺体の痛みなどを考慮するとグズグズできないということもあるだろうが、手際の良さに感心してしまった。

葬儀は寺の都合などもあり、4 日後となった。それまではドライアイスで体を保護するという。部屋は常に冷房を入れ、20℃以下に保たねばならないようだ。それでも場合によってはどんどん痛みが進んでしまうため、そうなった場合は寺に移し、もっと大量のドライアイスで保護するとのこと。結局母は葬儀当日まで家で眠ることができた。この 1 年飲まず食わずであり、体の中が汚れていなかったのが幸いしたのかもしれない。

目をつぶって横たわる姿は普通に眠っているようだ。入院中にも眠り続けていることは多く、頭では分かっていても死んだという気がしない。しかし頬や肩に触れるとドライアイスのためもあるが、固く冷たい。なんだか触れてはいけないような気がして以後、触ることはしなかった。

死化粧は葬儀屋の手配してくれた専門家が行ってくれた。まだ日本にそんなに数がいないという遺体専門のメイクさんであるという。費用は 5 万円だそうだ。なんと高額な!と最初は驚きつつも頼んでみると、綺麗な仕上がりにしてくれただけでなく、注射痕などからにじみ出てくる体液のパッチ処理や、髪の毛の染めなども丁寧に処置してくれた。さらに葬儀前までにはまた痛みが進むので、改めてメイクしてくれるという。そこまでのケアがあるなら 5 万円というのは安いものだ。最初に言えば良いのに、営業下手である。

葬儀までは毎日箸を突き立てた陰膳を備えてあげた。使った茶碗は Kashi. が両親に贈った夫婦茶碗である。いつか母が帰ってきた時のためにとしまっておいたものだが、結局こうした形で使うことになってしまった。だがそれでも母のために使うことが出来て良かったと思う。

実家が一軒家で良かったと何より思えたのはこの時だった。葬儀屋曰く、マンションでは中々運び込むことが難しいのだそうだ。間口の狭さやスペースに問題もあるが、ロビーを通り、エレベータで棺を担ぎ込むことが難しいらしい。ベッドなどであれば縦や斜めにできるが、棺ではそうもいかない。何より、マンションの住民と鉢合わせをした際に、嫌がる人が多いのだという。一戸建てはこうした意味でも色々融通が利く。折しも葬儀直後にお盆の時期となり、新盆も行ったわけだが、白い提灯を玄関先にぶら下げたり、迎え火や送り火を焚くことが出来たのも良かった。マンションでは不可能である。もともと Kashi. は一戸建て派であるが、今回のことでますますその考え方は強くなった。

さて、葬儀だ。通夜には想像以上に多くの人が集まってくれた。葬儀、告別式も同様である。菩提寺が数年前に改築したばかりで明るい雰囲気であったことも幸いしたが、湿っぽくなりすぎない良い式であったと思う。式までに時間があったため、Kashi. は生前の写真をレタッチし、パネルにして母の趣味であった花のスケッチとともに飾り、やはり母が好きだった音楽をループでかけていたところ、参列いただいた皆様から大変好評価を頂戴した。得てして見知らぬ顔が集まる中でも、共通の話題となって退屈なものにならなかったようである。

また式には当然女房子供も来たわけだが、Kashi. の子供たち以外にも妹夫婦の兄妹、Kashi. の従兄弟の子、妹の義兄夫婦の姉妹とチビ揃いになったのも明るい雰囲気にしてくれたのだろう。上の子は最年長らしく、よく他の子たちの面倒を見てくれていたし、墓参りのためにある井戸は、子供たちの中で「トトロで見たやつだ!」と好奇心を刺激し、小さな体でポンプを操作する様子は微笑ましいものだった。その姿を見ていた遠縁の叔母が「やっぱりみんなどこか似てるところがあるのね」と言いながら「血は継がれていくのねえ。(母も) 安心よね」と微笑んでくれたのが、印象的だった。

出棺となり、火葬場。今時はわずか 40 分で焼き上がるという。しかも無煙だ。昔は煙突から立ち上る煙を見て「天に昇っていくね」とか「煙草の味と人の価値は煙にならなきゃわからない」なんて言ったものだが、そうした風情はなくなってしまった。しかしまあ短時間で済むのはそれはそれで有り難い。ちょっとお茶を飲んで談笑している間に終わってしまうのである。

骨となった母はスカスカであった。入院中から骨粗鬆症であると言われ、骨密度に難ありと言われていた体である。想像はしていたが、目の当たりにするとやはり悲しい。しかし幸いに仏様とされる骨は比較的綺麗に残っていた。火葬に立ち会ったことがある人ならば「これが仏様の骨ですよ」と見せられたことがあると思う。いわゆるのど仏と勘違いしている人がいるようだが、のど仏とは全然違うもので、こちらは頸椎にある骨で、人が座禅をしている姿に見えるとされる骨だ。骨壺には最後にこの骨を収める。誰が始めたことなのかは分からないが、人の死をより厳粛に感じさせてくれる良い締めくくりであると思う。

骨壺は父が抱いて戻った。Kashi. は位牌、妹は遺影である。こうして考えると兄妹がいるというのはいいものだなと思う。家族で母を見送ることが出来たという実感があった。最後に精進落としとして会食。伯父貴が献杯の挨拶をし、滞りなく式は終了した。

そこから四十九日までは遺骨とともに暮らす。仏教の考え方では七日ごとに冥界十王の裁きを受けるという。ちなみに有名な閻魔大王は 35 日目、五七日が担当だ。その時、王の心証をよくするために、それぞれの日にセレモニーを行うのであるが、四十九日 (七七日) は最高裁のようなものである。ここまでに行われる審理で、死者の罪は決定され、六道のいずれかに送られることになる。四十九日を盛大に執り行うのはこれにより死者の減刑に繋がるとともに、供物の量などもその判断に使われるからである。ついでに書くと四十九日以後の 3 人の王が担当する審議は追加審理であり、何かの事情で四十九日までに刑が確定しなかった死者のためのものだ。これらは百か日、一周忌、三周忌である。つまりこれらは万が一成仏し損ねていたらいけない、という救済と保険のようなものだ。なので世の中には 50 周忌なんてものがあるようだが、ここまでする必要はないし、実際問題として半世紀も前に死んだ人間の法要を行ったところで忙しい現代人にとっては意味が希薄と言える。Kashi. は自分が死んだら遺言で三周忌以後の法要は行わないようにと記しておきたい。

話が逸れた。母の四十九日は明後日、7/9 に執り行う。これで母は晴れて仏様となる。幸い墓は実家から歩いても 10 分ほどの場所だ。入院中、もっと会いに行ってあげれば良かったという悔いを償うためにも、これからはちょくちょく会いに行ってあげようと思う。死者を弔うことに意味などないと嘯く輩もいる時代だが、全世界、どんな文化、宗派を問わず死者を弔うということは必ず行われてきた。この心を失ってしまったらそれはもう人間ではない。墓に花を手向け、線香をあげ、手を合わせる。明後日の魂入れでいよいよ母とは本当のお別れだ。これからの人生を見つめ直し、家族というものをより深く考えさせてくれた母の死。厳粛に受け止めたい。

母さん、今までのたくさんの愛を感謝します。古いアルバムにはあなたの愛情が溢れていました。だらしない自分の人生を報告するたびに物言えぬ口で何かを伝えようとしてくれた母さん。娘が中学にあがった時の写真を見せたら涙を流してくれた母さん。あなたの手を握った時の想像以上の力強さと温かさを忘れません。若い時にはうるさいなと思ってしまった贅沢を許してください。今は、あなたが遺してくれた色々なものを心から大切に思います。あなたの息子に生まれて本当に良かった。あなたがしてくれたように、自分も子供たちにが「この人の子供で良かった」と思ってくれるよう生きていきたい。もし怠けている時は天国から叱ってください。いつかは自分もそちらに逝きます。その時は一緒にたくさんご飯を食べようよ、母さん。

6/6 (WED)

無題

「篠沢教授に全部」でおなじみの篠沢教授、難病で声を失っていたようだが、下記のようなテクノロジで自分の思いを伝えられていたようだ。

「篠沢教授、電子の「声」で講演 闘病の思い語る」
「自分の声ソフトウェア Polluxstar」

こうしたテクノロジがもっともっと普及、廉価となれば母も気持ちを伝えられていたのではなかろうか。
難病克服はまだまだ困難であるだろうけれど、近い将来、難病を抱える患者がせめて自分の思いを伝えられるような環境が出来上がっていることを願って止まない。

5/31 (THU)

無題

葬儀後、親父と初めての飲み。したたかに酔っぱらう。母親との別れもそうだし、それとは別の愛別離苦。自分の不甲斐なさを心から情けなく思い、潰れそうな心。ああ、馬鹿に生まれたかった。人の迷惑など考えず、好きなように暴れて生きられるような人生だったら、どんなに楽だったろうか。誰のせいでもない、自分だけが感じる葛藤。すべての人に大いなる幸あれ。もうホントにそう思う。

5/24 (THU)

無題

母、死去。詳細は後日。

5/14 (MON)

無題

5/14 である。Kashi. はこの日が誕生日の人を 3 人知っている。内、最近仲良くしている T 君が今日で 26 歳。昔好きだった S さんが今日で 35 歳。先日亡くなった取引先の I 氏が存命なら今日で 33 歳。そして何故か全員血液型は B 型。どういう縁なのだろうか。

思いを伝えられる T 君。思いを届けられなかった S さん。思いを残したままの I 氏。皆それぞれの形で多かれ少なかれ、Kashi. の中に影響を残している。だから例え届こうが届くまいが Kashi. はおめでとうと心の中で歌うのだ。Happy birth day to all. 皆に幸あれ。

追記:そういや最後に会社勤めしてたとこの社長もこの日の生まれだっけ。唯我独尊が服を着て歩いているような人であったなあ。いや、ただなんとなく。

5/13 (SUN)

Thanks Mothers day.

母の日。Kashi. の母は病床であるからして何が出来るかといえばカーネーションを枕元に飾ってやるくらいしかない。一時期は意識もハッキリとしない様相でハラハラしたが、ここ数日は言葉こそ話せないものの、目には力があり、こちらの会話にもきちんと頷いたり微笑んだりする。爽やかな初夏の風が元気を運んでくれたのだろうか。

髪を梳いたり、顔をおしぼりで拭いてやったりしていると心地よさそうで何よりである。今では手も動かしづらくなっているために、痒いところがあっても手が届かぬ状態だから、こうしたことが何より快感らしい。さあ次は足をマッサージするかな…と思っていたら、娘から電話がかかってくる。何かと思ったら「今日は母の日だから、お母さんに何かしてあげたいと思うんだけど、ご飯を作ってあげるのでいいかな」という。

充分だとも。候補を尋ねるとチャーハンを作りたいとのこと。あれを入れるといいよなどとアドバイスしつつ、せっかくなので…と、病室においてはやや非常識かもしれないが、母親の耳元に携帯をあて、「おばあちゃんに何かお話してあげてくれ」と言うと話題を探しながらもアレコレと喋ってくれた。そして先日 5/5 に誕生日を迎えた母に「この間のお誕生日に会いにいけなくてごめんなさい。風邪をひいちゃってたの」と言う。母親は嬉しそうであった。

勉強はあまり得意ではない。運動はまったく得意ではない。部屋は廃屋のような散らかり様で、注意したこともすぐ忘れてしまう。そのうえ少々ぽっちゃりだ。しかし、生来、面倒見の良さと誰とでも仲良くなれる愛嬌の良さを売りに、心優しい子に育ってくれている。一緒に暮らしていた頃は、叱ってばかりだったが、離れて暮らすことで、やっとゆったりとした気持ちになれた。ダメな父親だが、相手を思いやれる気持ちを持ってくれる子でお父さんは嬉しいよ。母さん、あなたの孫はいい子です。そのうち連れてくるから、頑張ってくださいな。ダメな息子だけど、約束します。

5/12 (SAT)

無題

先日逝去した I 氏の葬儀に参列して感じたことは氏の人徳であった。32 歳という若さにも関わらず、数百人の参列。見事だなと手放しに感心したものだ。
自分が死んだ時には到底こんな数の参列者は訪れまい。それどころか身内だけの寂しい葬式になる予感がプンプンだ。それなら葬儀なんぞ行わず、東京湾にでも散骨してもらったほうが迷惑をかけずに済む。どうせ死から半年もすれば不在が当たり前の日常になるのだ。葬儀も馬鹿にならない金額がかかるという。香典でそれが回収できないくらいなら、その分の金で好きに飲み食いし、買い物でもしてもらったほうが有り難い。

人の死は突然にやってくる。それはもう疑いの余地がない。先の I 氏は奥様という存在があり、それが同僚ということもあって、ただちにエマージェンシーが拡散した。残念な結果にはなってしまったが、それでも人々が氏の復活を心から願い、思いを込めて鶴を折り、寄せ書きに筆を取ることができた。では Kashi. はどうかというと、フリーランスで引きこもっているような人間が倒れたところで、お付き合いのある人々にそれを知らせる術はない。女房と暮らしていた時には「俺に何かあればこの大事ノートに全部書いてあるから読んでくれ。場所はここだ」と指示もしていたのだが…。同じ事を同居中の父親にも伝えておいたほうがいいのだろうなあ。それでもネット上でお付き合いしている人などはもう絶望的かもしれぬ。日々更新を怠らないようなサイトであれば、異変に気付いてももらえるだろうが、何があったかはわからぬままであろう。なんと切ない。

死の準備。この年齢になるとそうしたものの必要性について考えさせられてしまうのだった。個人的にはまだまだ死ぬつもりはないけれど。

5/10 (THU)

無題

ここ最近改めて自分の人生について考えることが多い。最近の日記に書いた S 君との再会や、I 氏の逝去などが影響しているのであろう。

もう何度も似たようなことを書いてきたから今更そのあたりをほじくり返すつもりもないが、Kashi. は少なくともあと 10 年はがんじがらめである。その時点で 50 歳。やー、これはもうどうにもならん。Kashi. オワコン、という感じだ。10 年後の自分か。30 歳の時は、何を思っていたかなと 2002 年の今日の日記を紐解いてみると、「実はここしばらくずっと鬱状態が続いている。」などと書いてあり、鬱になりかける。まるで成長していない…のアスキーアートが想起され、ちょっとマジ凹み。10 年前と違うのは体重と、使用 OS が Mac から Windows になったというくらいだ。もっとも、鬱だなんだというのは言葉のアヤで、現在実際にそういう心持ちになることはない。鬱にもなれないほど、心が枯れてしまったのか、はたまた自暴自棄か、それとも受容受忍の心持ちか。

10 年後。Kashi. は何をしているのかなあ。人は Kashi. を語るに「まあ長生きするよ、あなたは」という。そうかもしれないが、ダラダラ生きていてもしょうないのだよな…。男と生まれたからには何かひとつくらいきちんと生の証を立てたいものだが。

5/6 (SUN)

無題

K 女史と連れだって、先日逝去された I 氏の通夜に参列する。案内では 18:00 からだったが、やや早めの到着を考えて 17:40 頃会場入り。K 女史は「お通夜に早めから参列したことってないかも」というが、早め参列は大正解で、すでにかなりの人数。記帳台に行くと、Kashi. が応援メッセージを入れて描いた似顔絵がコピーされ、ここでも参列者の寄せ書きとして用意されていた。この寄せ書きは納棺されるという。大変光栄であり、デザイナーとして誉れに思う。

香典を渡した後は祭壇で故人を拝顔できるとのこと。すれ違う人の多くが目を赤くしている。お線香を供える列に並んでいると、奥方からお声がけいただく。Kashi. が絶句していると気遣ってくれ、先ほどの似顔絵について丁重に御礼いただいた。「I さんからのフィードバックがいただけていないんですが、ご満足してもらえますかねえ」と言うと、「絶対満足してくれていると思います」と微笑んでくれた。気丈である。今は式の取り回しに気も紛れているが、明日の告別式が終わり、故人が荼毘に付されるあたりから悲しみがやってくるのだろう。それを思うと居たたまれないが、I 氏と職場結婚の奥様には、多くのご同僚のサポートが期待できる。お腹の赤ちゃんは女の子であると伺った。悲しみを乗り越え、秋には誕生する新たな命とともにこれからを歩んでいただきたい。

線香をあげ、お顔を見ると、静かな表情。一生懸命闘ったであろう証が少しむくんだ顔に表れていた。Kashi.が棺から離れると、読経と焼香が始まるということで祭壇への扉が閉められる。ギリギリのタイミングでお顔が見れたのは幸いだった。やはり何事も早め早めに行うべきなのであろう。

焼香は 5 人一組の 1 回焼香だった。なにせ人数が多いからさもあろう。心を込めて焼香させていただく。焼香のあとは香典返しを受け取り、そのまま通夜ぶるまいで精進落としの座敷へ通された。座る順番は先着順であるから、見知らぬ人と宅を囲むことになるのだが、目の前の女性が葬儀にも関わらず、大きく胸の開いた服装でギョッとする。谷間どころか下着も見えるくらいで、さすがに不謹慎だとは思うが、たしなめる立場でもないので黙っている。2 杯ほどビールを空けたところで K 女史に「そろそろ行こうか」と声をかけると、I 氏の同僚である A 女史が着席された。A 女史は亡くなった I 氏とは同い年で色々と親交も深かったようで、会場入りした時から涙をこらえる様子が傍目にも痛々しかったのだが、A 女史の着席に気付いた先輩にあたる M 氏が肩を叩くと泣き崩れてしまう。ダメージが大きすぎて少し心配だ。

お清めを済まし、境内に出ると焼香は終わるどころか「最後尾」の看板が出るほどの長蛇の列。故人の人徳が伺える光景で、一段落着くまでは会場を後にすることもままならないほどだった。この日は式の直前まで雷まじりの夕立でどうなることかと思っていたのだが、式の直前でサーッと雲がはれたのには感心した。おかげで焼香を待つ人々も濡れずにすんだ。こういうこともあるのだな。

一緒のお仕事は数えるほどしかなかったにも関わらず、奥様からは「かっしー、かっしーと呼んで頼りにしていたようですよ」とのお言葉を頂戴した。その心に報いるだけの仕事が出来なかったのは残念だが、I 氏の仕事は引き継がれてゆく。もしそこに関わることがあるならば、感謝の念を込めて努めさせていただきたい。変な言い方だが、とても良い葬儀でした。どうぞ安らかにお眠りください。

5/4 (FRI)

無題

Angel's ladder

4/24 の日記を参照いただきたいが、沖縄滞在中に意識不明の連絡を受けた I 氏、願い虚しく訃報が届いた。200 人を超える人々が Facebook などで復活を信じ、エールを送っていたがその思いは叶わず、天に召される結果となったことは残念であり、残された奥様の心中は如何ばかりか。お腹の赤ちゃんが忘れ形見となることはせめてもの慰めだが、一方では大きな悲しみと負担でもあろう。

I 氏とはまだ付き合いも浅く、そこまで気をかける間柄ではない。だが、今年の 1 月にお仕事を頂いて以来、訪問先の社内で顔を合わせれば何かと声をかけていただいたし、秋には Kashi.の 地元、中野に引っ越してくるという縁もあって、その明るい人柄も含めて好ましく思っていた人物なのだった。

Kashi. は I 氏をはじめとする似顔絵イラストを仕事として描かせていただいており、倒れる直前にはプライベート用に、氏の趣味である草野球のチーム ユニフォーム版を依頼されたばかりであった。倒れる前日、氏はそのおろしたてのユニフォームを着て写真を撮り「Kashi. に送るんだ」と言っていたと奥様から伺った。結局その写真は Kashi. の手元に届くことはなかったが、Kashi.としては居ても立てもいられず、ビチビチ スケジュールの渦中ではあったが、同じ野球チームの方とコンタクトを取り、応援メッセージを添えて似顔絵を作らせていただいた。その絵は同僚の方の手を通じて、関係者の寄せ書き色紙の添えイラストとして使っていただけたのだが、その枚数は十数枚に及ぶものであったと聞く。病院搬送後 2 日間で二千羽の折り鶴が病院に届き、看護婦が仰天したほどの人望を持っていた氏である。まだ若く、今後活躍が期待されていただけにご家族、周囲の無念は計り知れないだろう。

今日は朝から夜まで 1 日雨だった。しかし亡くなられた 14:30 から夕方までの短い間、天からの迎えが来たかのように雲間から陽が射し込み、無数の天使のはしご (angel's ladder)が空に広がっていた。思えば、Kashi. の師でもある、A 氏が肺ガンで逝去された時にも、その直後雨があがり、光が差したことを思い出す。人の死は避けられない。例え早すぎるものだったとしても、せめてそれを残された人々が受け入れられるよう、小さな奇蹟を起こすくらいのことを神様はやってくれるらしい。頼まれていた似顔絵イラスト、ご本人に見ていただけなかったのは本当に痛恨だ。出来はどうであったろうか。神がいるなら、氏にきちんと届けて欲しい。心から I 氏のご冥福をお祈りします。

4/29 (SUN)

無題

関越自動車道で高速バスが人身事故を起こし、7 人が死亡。なんともやりきれない。大型連休、ディズニーリゾートに向かう途中であったという。せっかく夢の国に行こうと楽しみにする中で他界してしまうのでは遺族はたまらないだろうな。

この事故、運転手の居眠りが原因であるという。これはとても恐ろしいことなのだ。もちろん一番の責任は運転手であるが、その雇用主の管理体制も今後問題になることは間違いない。ツアーを企画、主催した企業も責任を問われるだろう。といったところで亡くなった人々が帰ってくるわけではないが、今後同じような事故を起こさないためにも責任追及は厳しく行っていくべきだろう。

だが、今回の事故、個人的には消費者側にも無意識の問題があると思う。金沢から千葉までの運賃は 3,000 円だとか。そんな料金で行けるはずがないのだ。普通の感覚であれば。だが、不景気も手伝って、消費者は安いものばかりを選ぼうとする。安物買いの銭失いや、タダより高いものはないという言葉通り、適正価格を無視した値段設定は必ずどこかに歪みがある。今回は銭失いどころか命を奪う結果になってしまった。きちんと利益が出るような価格を設定する企業であれば、質もそれなりであり、ツーマンセルでの運行を行うのが普通である。運転をする側からすれば、9 時間ぶっ続けの運転などあり得ない。運転というのは恐ろしくストレスのかかる作業であり、それを交代要員もなしで行うのは事故が起きないほうが不思議なのである。

激安のスーパーがある陰で、割を食わされギリギリの採算となる生産者がある。そうして無理がくれば、産地を偽装したり、味をしめてそこから詐欺を行うような企業も出てくる。ほとんどは良心の呵責と顧客離れを怖れて真っ当にやるが、相当にキツいところもあるはずだ。

モノにはモノなりの値段があるというのは Kashi. が昔から言ってきた。きちんと利益が出る値段というのは結果的に、消費者にも経済にも良いのである。安いだけであればアジア諸国の製品やサービスには敵わない。だが、日本人は安くて質の高いものを求める。極論を言えば、300 円では牛丼しか食べられないのだ。最高級のヒレステーキは福沢諭吉が必要なのである。300 円の中でベストを尽くしている企業を探す、そうした目を養うことと同時に、適正価格を知るということも大切だ。それは消費者の義務でもあり、権利でもある。亡くなった方々のご冥福を祈りつつ、値段からリスクを嗅ぎ取る嗅覚を身につけたいと思う次第なのだった。

4/28 (SAT)

オキナワ

さて改めて滞在記。5 日分をまとめてなので大長編になってしまったがご勘弁を。

一昨日にも書いたように、Kashi. は 4/19 の深夜から 4/23 の夜まで沖縄にいた。3/30 の日記に書いた同期 S 君の誘いを受け、唐突に思い立った旅路である。利用航空会社はスカイマーク。シーズン前の早め予約ということもあって、往復で \29,000 の格安運賃であった。もっとも安いだけあって座席は狭いし、モニタなどもない。ただ椅子が並んでいるだけである。正直あまり安いとサービスはともかく安全性などで気になるところがあるのだが、飛行機事故ともなればもはや有事の際の生死を分けるのは単なる運だろう。せめてもの足搔きで後部に近い座席を選択する。多くの航空事故を見ても生存確率が高いのは後部座席だ。出発の時点からこんなことを考えるネガティブさもどうかと思うが…。

仕事と予算の都合で選んだフライトは 22:45 羽田発。この時間帯、人は少なく、空港全体がとても静かでホントに大丈夫かと不安になるも、出発ロビーでは該当便の搭乗客が控えており、ホッとする。予定到着時刻は 01:35 だったが、悪天候で 02:00 の那覇入りとなった。空港には S 君と、たまたま同じ日程で先着した後輩 Y が車で迎えに来てくれていた。生憎雨の沖縄となり、滞在最終日の 23 日まで天候の回復は見込めないという。明日早速海に入るということであれば早々に休むところだが、そうした状況であるし、小腹も減ったということで軽く呑むことにする。宿はホテルなどではなく、ゲストハウス。一泊 2,500 円也。ゲストハウスといいつつ、マンションの一室であり、食事は自炊。沖縄はこのテの宿泊施設が多いのである。家族や恋人と来るなら別として、野郎 3 人が寝るだけならばこうしたところで充分だ。宿の 1 階が居酒屋になっているため、そこで数杯を呑んで就寝する。

翌日はシトシトと雨が降り続ける。これではどうにもならんということで先に土産物を買いに国際通りへ。出発前に女房子供へ旅行の話を伝えた際、子供たちよりリクエストのあった「ちんこすこう」と「ちゅら玉」という四十路が買うにはあまりにも恥ずかしいシロモノを買う。これだけではアレだろうということで、S 君オススメのアクセサリ屋にて、ミンサーという伝統模様のネックレスを自分用に、女房子供たちにもそれぞれ鯨の骨、鮫の歯から作られたアクセサリを購入。別居している家族へ土産を買うというのはなんとも複雑な感情だ。正直未だ女房とはわだかまりに近いものがある。以前のような負の感情は消えたとはいえ、今後を考えればやはり同じ生活に戻るというところは考えにくいのだ。だが、憎いというわけでもない。子供たちはやはり好きだし、その自分の子を産んで日々を共にしてくれている。そうした感謝はあるので、今回はその気持ちということで得心できた。

残波岬

あちこち裏通りなども案内してもらったあと、やや晴れ間が見え隠れしてきたので、車を出し、真栄田岬というところへ。ここは青の洞窟というダイビング スポットがある場所で有名だが、そうしたメジャー ポイントとは逆の位置に、良い夕陽が見れるスポットがあるとのことでヤブを抜けてゆく。道のような道でないようなところを下っていくと、そこには小さな浜辺。これは確かに知る人ぞ、というポイントだ。雨は止み、雲こそ多いが良い感じに切れ始めている。その合間から傾きかけた太陽が見え隠れし、良い雰囲気だ。そのまま今度は残波岬という場所へ移動すると、時刻は完全に夕焼けタイムで、非常に美しい夕陽を見ることができた。この日は側にあるピザ屋で食事を取り、ドミトリーへ向かう。ドミトリーとは要は相部屋形式のゲストハウスで、場合によっては見知らぬ人間と夜を過ごすことになる宿泊施設だ。女子大生のグループとでも一緒なら楽しかろうと思うが、そうしたこともなく、身内 3 人での就寝となった。昨晩はバタバタとしてすぐに眠ってしまったが、この夜は久しぶりの語らい (馬鹿話という) となり、本当に久しぶりに腹筋が痛くなるくらい笑えた夜だった。思えば、こんなに笑ったのは何年ぶりだろう…という感じ。気の置けない男同士の語らいはやはりいいものなのである。

3 日目。この日は天候が多少回復していたため、海に入ろう!ということになる。Kashi. が行ったことがない (そんな場所ばかりなのだが) ということで、前日にも行った真栄田岬「青の洞窟」を見物することになった。S 君曰く、ここは中級者コースだけど、自分がガイドするから安心しろとのことで大いに頼ることにする。海で虚勢を張ったところで待っているのは怪我か死だけであろう。人生で初めてのウェットを着込み、シュノーケルを装備したらエントリー。足もとにはすでに危険生物ガンガゼがそこらにおり、素足の自分はヒヤヒヤするが、ウェットスーツというのは想像以上に浮力があるため、よほどの浅瀬でない限り、体を浮かせた状態でいられる。「さ、こっち」と手招きされて進むと、即座に 5m クラスの深さになり、動揺してしまう。が、ここでバタバタ懸命に泳ぐとただちに体力が失われて溺れるので一生懸命禁止と言われた。プカプカたゆたうのが一番で、そこでゆっくりバタ足さえすれば普通に進んでいけるのだった。慣れてくると立った状態でも浮いていられる。シュノーケルがあれば実に楽ちんで、コツを覚えれると海の中を見る余裕が出てきた。

青の洞窟

そうして眺める海の中はキレイであった。この時期にも関わらず、ダイビングの人が多くおり、魚もそれに慣れているため、人が側に行ってもまったく逃げない。多くの魚の群れと泳ぐのはなかなかの気分で、ダイビングにハマる人の気持ちがよくわかった。S 君は素潜りでグイグイと 7m 超の海に潜っていくが、Kashi. はなかなかそれができない。残念ながら子供の頃からの慢性中耳炎の後遺症で左耳の鼓膜が少し広がってしまっているため、深く潜ると水がダイレクトに入ってきて、それが抜けぬままになってしまうのだ。潜ること自体に抵抗はなく、プールなどでは底に寝そべったりも出来るのだが、ダイビングとなると致命的であり、これは実に無念であった。日常生活では支障がないが、次回に海に来るまでには本格的に治療してみたいと思う。

そのまま、800m ほど泳いだだろうか。やっとこ目的の洞窟に到着。ここは右側通行ルールということで岩伝いに泳いでいくと、折り返し地点から出入り口方向に向かって光が見える。なるほど、青い。天候が薄曇りのようなこともあって鮮やかな…というわけにはいかなかったが、それでもなかなかの美しさだ。ドピーカンの日だったら相当に美しかろうと思う。外光がうまい具合に洞窟下の海から照り返すように入り込むために、洞窟であるにも関わらず、海は真っ青に輝くという理屈なのだそうな。入り口付近には多くの熱帯魚もおり、楽しめる。結局 2 時間ほど海の中にいただろうか。腹も減ってきたし、シャワーを浴びて昼飯を食べていると、雲と風が出てきた。昨日の夕陽といい、肝心なところでは天候回復してくれるのは幸運だろう。

その後は S 君の住むマンションへ移動。散々 Kashi.の噂話を聞かされているという S 君の彼女とご対面。30 歳ということで 12 歳の年の差カップルだが、あれこれとこちらを気遣ってくれ、甲斐甲斐しく努めてくれた。こういう様子を見ると「いいなあ」と思ってしまうのは男の性であろう。男同士寄り集まっている中で、女性が世話をしてくれるシチュエーションというのは男にとってすごくリラックスできるのだ。女性からしてみれば、そんなの時代錯誤男尊女卑的な拒否感もあるだろうが、男はそれに感謝をしているのである。こき使うのとはワケが違うのであり、宴の後には御礼のひとつもしなきゃなと思っているのである。彼女は終始 Kashi. には丁寧語で接してくれた。亭主の元同僚をきちんと立ててくれているということであり、よく出来たひとだ、と嬉しい気持ちになる。よく、旦那の友達だからとタメ口をきいたりするようなタイプもいるが、それはやっぱり違うと思うのである。

後輩 Y と彼女が濡れモノを洗濯してくれている間に、Kashi. と S 君は夕食の買い出し。見知らぬ食材と地域の独自性に感心しつつ、帰りは土砂降り。明日には渡嘉敷島に渡るのに大丈夫かこれといいながらも、車中では懐かし話で盛り上がり、やはり笑いっぱなし。実に良いストレス解消となる。明日に備え、酒は控えめに済ませ、早めに就寝する。男達はすでに海でシャワーを浴びているのでそのまま布団に入るが、彼女は違う。「お風呂入ってきますねー」というシチュエーションにも、風呂上がりの香りにもやはり「ええなあ」と毒男丸出しの Kashi. であった。だって、石けんの香りをまとう女性なんてしばらく味わっていないんだもの…。いいじゃん、別に。

4 日目。朝食は当然ながら彼女の心づくし。沖縄に来てからというもの、実に規則正しい生活であり、朝飯が美味いのだが、手作りとなるとまた美味い。たちまちたいらげた後は、速やかに出発の準備をする。渡嘉敷島に渡る船は朝夕の 2 便しかないそうな。急げ急げということで彼女が運転する車も少々早めのスピードだが、途中パトカーが数台止まっており、すわネズミ取りかと思ったら、その先でフロントがぐしゃぐしゃになった軽自動車が電柱に突っ込んでいた。先日、京都で事件といっても差し支えないほどの事故があったばかりであり、その映像が思い出される。縁起でもない…と忘れることにした。

彼女の快走で、出航には間に合った。渡嘉敷島までは那覇の泊港から 35 分。例によってこの日も天候は芳しくなく、海はなかなかの荒れ模様だった。高速船のため、揺れはさらに激しかったが、Kashi.は生まれてこの方乗り物酔いというものをしたことがないため、高波もアトラクション的に楽しみながらの航海となった。外海に出ると窓の外は雨と波飛沫で視界は最悪だったが、残りもわずかとなると一気に黒い島のシルエットが見えてくる。見事な着岸で上陸してみると、そこはジャングルであった。もちろん港としての体は為しているのだが、その奥に見える山々の植生がまったく違う。いかにも南国の植物であり、地面がまったく見えないほど密生している。これはちょっと異次元の感覚だ。ほわー、と口を開けて見ていると、S 君の知り合いである島の有力者が車で出迎えてくれた。今日明日はこの車を貸してやるから好きに乗れ…ということなのだそうだ。後で聞くと、島では車の鍵はかけず、キーも刺しっぱなしであるという。そしてキーが刺してある車は自由に乗ってもいいのだそうな。なにせ人口 700 人程度の小さな島であるから、全員が誰がどの車に乗っているかがわかっており、盗難のしようがないからなのだそうな。名実共の村社会であり、人間関係を上手く築けるかどうかが重要なようである。S 君は人とすれ違うたびに挨拶をしており、島での生活が垣間見えたのであった。

ひとしきり挨拶が住んだ後は、天候的に海には入れないからということで (入れるが、入ってもつまらない)、島巡り。渡嘉敷島は大きく 2 つの集落となっており、北の渡嘉敷、南の阿波連という地域になっている。一般的な観光客は阿波連側のビーチを利用するそうだ。こちらには宿泊施設も多く、いわゆる海の観光としてのショップなども多い。もうひとつあるビーチは渡嘉敷から東側に山を越えた渡嘉志久ビーチ。こちらはまた趣が違い、渡嘉志久側唯一のホテルと、国立沖縄青少年交流の家という国の研修施設でビーチを分け合っているとのこと。渡嘉敷側と阿波連側では微妙に海のカルチャーが違うようで、いろいろと複雑な人間関係があるらしい。村社会は、それはそれで難しいのであるが、そんなことは関係ない Kashi. は客であるということであちこちを見て回る。曇天であるのが残念でならない景色であり、狭い島ではあるが短期滞在であれば感動も多く過ごせると感じた。手つかずの自然とは怖くもあり雄大でもある。

砂浜の花

おおっぴらなビーチとは違う浜辺も散策させてもらった。ここは貝殻が多く漂着しており、色とりどりで全然飽きない。珊瑚のカケラも好事家には収集の対象であろう。じっくり時間をかけたいところだったが、そうもいかず、きれいどころを拾って娘の土産とする。その帰り、展望台に立ち寄ると、先客の老夫婦が近寄ってきて「あそこの手洗い所にハブがいるから気をつけて」と言って去っていった。ハブ!思えばこの島に上陸した時からハブ注意の看板だらけであった。S 君も「ハブはマジで気をつけて。ヤブには絶対入らない。雨上がりとかマジで危険」という。ハブ毒は壊死毒であり、噛まれると体組織を破壊し、命が助かっても後遺症が残ることもあるという。もちろんほったらかせば死が待っている。噛まれた場合は即座に血清を打ち、ヘリで沖縄本島へ緊急搬送になるそうな。

そんな危険な日本で一番危険なハブが!さあ大変だ。これは退治だな、と男 3 人がバカを言い出す。もちろん単なる好奇心なのだが、動機は遊び半分でも、対応は本気で要注意。極力長い棒を携え、現場に向かってみると居たのはタイワンヒメハブ。ホンハブよりは遥かに小さいが、それでも危険には変わりない。S 君と後輩 Y が交互に棒で突く。まさにヤブ蛇を地でいく絵ヅラであった。実際にはヤブではなく、水道の隙間なのだが、知らずに近づけば間違いなくやられる場所であり、別の観光客のためにもなんとかしなければなるまいという大義名分で、ひたすらちょっかいを出す。蛇は怒りにまみれ、鎌首をもたげ舌を出し入れする。時折棒に噛みつくのだが、その速さったらない。電光石火であり、とても人間の反射神経で対応できる速度ではないのだ。全員腰が引けっぱなしになりながらも、度胸の男 S 君がなんとか引っ張り出したところ、なんと奥にもう一匹。完全に巣になっていたわけで、手に負えない。引っ張り出されたヘビもこれまた相当な速度に巣に戻ってゆく。「もうやめよう」と気力負けした男たちはそれでも緊張感から解かれてゲラゲラ笑いながら宿に戻るのであった。

宿は民宿であるが格安系であり、アメニティ、ラグジュアリなどは期待できない。もちろん食事なども手配できるし、レンタルバイクなどもあるのだが、基本的にホテルのような快適性を求めるのは酷だ。大人の素泊まりで \3,150。高いと思うかどうかは個人の判断だが、渡嘉敷港から歩いて 1 分というロケーションは悪くない。一人旅や男同士で過ごす分にはなんの差し支えもないのだが、恋人やファミリーだと「ええええ…」と言われてしまうかもというのは、これまで書いてきた宿と大差ないのであった。個人的には何も気にならなかったが。

そこでくつろいでいると、後輩 Y が夕方の便で帰りますなどと言い出す。実は滞在初日からそんなことを言っていたのだが、ワケを聞いてみると、翌日恋人が朝イチで那覇入りするため、それを迎えにいかねばならないという。話を聞くに、Y の彼女は結構な束縛サンであり、男 3 人の沖縄旅行なんてロクなことをしないに違いない、観光客の女にちょっかいでも出されたらたまったもんじゃない、あたしも後から行く…ということなのだそうな。ナンパなぞしたこともない Kashi. にとってみればとんだ言いがかりなのだが、S 君は 20 代前半の時点で 100 人から先は数えていないという猛者だし、Y は Y でこれまた女にだらしのない軟派野郎である。それぞれに武勇伝には事欠かない二人が揃っているのだから、彼女としては Kashi. もロクデナシのように伝わっているのだろう。それ自体は Y の自業自得であるから、普通であれば「まあそうだよな」と納得するところなのだが、問題はこの沖縄滞在でやっと晴れの予報が明日であり、その海を楽しむために島まで来たのに、それを目前にして帰るという愚行を考えると「マジかよ」と呆れてしまうのである。さらに後輩 Y は 38 歳だが、その彼女が 50 歳という理解しがたい逆年の差であることも苦笑いの原因であった。恋に夢中で彼に首ったけの 20 代前半とかならば「まあ若い子だし、しょうがねえか。行ってやれい」と言えるのだが、50 にもなってヤキモチとか、熟女嗜好のない S 君と Kashi.にとっては不気味だわい、という気持ちしか湧いてこないのである。

いや、五十路がどうのというのは別にいいのだ。そりゃ個人の趣味である。だが、久しぶりに行動を共にした旧友同士が集っている中、何も今このタイミングで「迎えに来てよ。絶対だから」と、こちらの旅程が分かっているのに言い出すというのはどういう了見なんだよ。いい大人の分別じゃねえだろう…という気持ちになってしまうのである。たった 1 日、いや夕方の船が着くまでの半日くらい「あたしは買い物でもしてるから男同士で島の海を楽しんできて。でもその後は一緒にいてね」くらいのことを言えないもんだろうかと思うのだ。そうなれば「彼女に悪いことしたね、お詫びしといて」と土産代のひとつも包む気持ちになれるのだが。

Y は終始俯きっぱなしであった。何もこちらも本気で責めるつもりはない。ただまあ冗談交じりに皮肉のひとつも言ってやろう程度のもんである。だが、こと今回の滞在においてアレコレと奔走してくれた S 君への恩義を考えれば、それはちょっとあり得ない。特に島では先述したように権力者に車を借りたり、「今晩は一緒にメシを食おう」と誘われた矢先である。相手はそのつもりで準備をしているわけで、それを断るとなると先方はもとより、S 君のメンツも潰すことになるのだ。Y もそれは分かっている。だが、しかし、といった様相であった。

とはいえ、無理強いはできないことは分かっているから、先輩二人は「しゃあねえなあ!」と後ろ髪を引かれながら去ってゆく Y を防波堤から手を振って見送ってやる。絵的にはなかなかのものだったであろう。ちょっとドラマチックだったせいか、あとから寄越した Y のメールでは「泣きそうになりました」などと書かれていたが、こちらは芝居がかった演出に爆笑していたのであった。

夜は件の有力者、M 氏のご厚意で島唯一の焼き肉屋で食事のあと、ご自宅に招いていただいいてささやかな酒宴。「いんたーねっとえくすぷろーらーで、おきにいりがきえてしまったんだ」という M 氏のリクエストにお応えして再設定する。それだけでも島では大きい功績となって残るわけで、Y は M 氏から「あの帰ったやつ」という有り難くない呼び名を頂戴することになったのであった。気の毒といえば気の毒である。ひとしきり談笑させていただいたあと、夜も更けてきたので…と丁重に御礼申し上げ辞去する。

その頃にはすっかり雨もあがり、星が見えていた。それならばと S 君が小規模ではあるが、天文観測所のある高台に連れて行ってくれる。そこから見た星空は圧巻の一言であった。折しも新月で闇夜であり、星を見るには絶好で、黒い画用紙に白い砂をばらまいたような星々。しばらく見とれながら、こんな空を恋人と見れたら最高だろうなあと妄想する。S 君と寝そべりながら「キスでもするか」と下らぬことを言い合いまた爆笑。実に良い夜であり、しばらくは忘れられそうにない。宿に戻ればキロキロキロ…と鳴き声。カエルかと思ったらヤモリだそうな。ヤモリの大合唱を子守歌に眠ったのは初めてだが、なかなかのものだった。

渡嘉志久ビーチ

最終日。今日の夜には東京だ。目を覚ませば待望の太陽と青空!よおし、と意気込み、S 君の案内で渡嘉志久ビーチへ向かう。先にも書いたように、こちらはホテルが一軒あるだけでハイシーズン前の浜辺にはほとんど人がいない。さらに今回連れて行ってもらったビーチは、S 君がライフガードをしていた時のツテで、同じく先に書いた国立青少年交流の家という施設のプライベート ビーチである。通常であれば海洋実習などが行われるビーチであるが、この時は誰もいないからということでライフジャケットその他の装備も自由に使えるとのことだった。実に有り難い友達を持ったものである。沖縄の海を独り占めなんて、そうそう経験できることではなかろう。そして晴れた海と、その中はどこまでも美しかった。それでも前日までの雨のせいで、まだ濁りがあるという。晴天が続いたらどれほどキレイなのか…。その美しさと共に、海域を熟知した S 君のガイドも手伝って、5、600m ほど沖に出ながらも、恐怖心はない。昨日よりも遥かに深い海にも関わらず、その浮遊感は実に心地よく、いつまでも泳いでいたい気持ちになれたのであった。ここでも 2 時間ほど泳ぎっぱなしだったが、ほとんど疲れを感じなかったほどである。基本的にはゆらゆら泳いでいただけであったから、そのせいでもあるのだろう。実に面白かった。

昼食を宿近くの食堂で済ませたあとは、再びビーチに戻って日光浴。気がつけば船の時刻が近づいてきていた。名残惜しいことこの上なかったが、しょうがない。またの来訪を誓い、船に乗り込む。斜陽の時刻、島は太陽を背負って美しく、末広がりの航跡がいかにも雰囲気を醸し出すのであった。ありがとう、渡嘉敷。

那覇に戻ると、S 君の彼女が迎えに来てくれていた。いちいちありがたいことである。「Kashi.さんにぜひ」と、何やら近辺の名物である天ぷらを持参してくれており、受け取ってみれば何やら内地のそれとは少し様子が違う。衣は厚く、味がついているためにツユにつけたりしなくても食べられる。また天種も独特でアーサーと呼ばれるアオサ海苔のかき揚げ風であり、独特。味はまあ美味しかったが、冷めてしまっていたのが残念だった。出来たてであればだいぶ印象が違ったようにも思う。

そのあと、那覇空港まで送ってもらい、チェックインまでの僅かな時間、お茶をして名残を惜しむ。出発ロビーに向かう途中の土産物屋は 2 年前家族と来た時と何も変わっていなかった。S 君たちに手を振り、搭乗ゲートへ向かうが、やはりこうした時には寂寥感を感じてしまう。一人旅、仲間を訪ねての旅も悪くはない。が、やはりこういう場所は恋人や家族と来たいと思った。まともな夫婦関係であれば子供たちの笑顔を見ることで同じように笑顔が浮かび、旅の疲れも消えたであろう。恋人と一緒であれば、同じ感覚を共有することでお互いの関係をより深めていく喜びを味わえただろう。そんなことを考えると、ため息が出てしまうのだが、今となっては諦めもある。いつかまた大切な人と旅を共にすることができるよう、誠実に生きるだけだ。

さて、長々と書いた沖縄滞在記。かなり駆け足で紹介したが、書ききれないことは山のように残っている。いつかまたお話する機会があれば、その時に。

4/25 (WED)

無題

旅行記を書きたいが、実は東京に帰ってきたその夜からいきなり完徹で仕事だったのです。金曜日まではその状態。旅行ですっかりリフレッシュできたので、仕事は前向きなんですが、日記を書く余裕がないです…。土曜日までお待ちを。ああ、サイト更新したい…。

4/24 (TUE)

無常

ということで沖縄から帰ってきた。が、滞在記の前に。

最終日の月曜、海を満喫していると 2 本のメールが届く。ひとつは先日高校時代のデザイン展で作品出展をされ、Kashi. 自身も学生時代に指導いただいた恩師急逝の報せであった。亡くなられた K 先生は、昨年より肺ガンを患い、その後脳への転移などもありながら当時と変わらぬ矍鑠としたジャケット姿で卒業生にビデオ メッセージを通じて闘病の決意を表明されていたばかりだった。作品出展した U 君からも「先日お会いしてきたよ。元気そうだった」と聞いたばかりだったのに、デザイン展の終了、そして学舎の取り壊しと共に鬼籍に入られたというのは感慨深く、最後までデザイン科を見届けてくれていたんだなあと哀悼の念に堪えない。

もうひとつのメールは、得意先でお世話になっている I 氏がクモ膜下出血で重篤であるとの一報で、これもまたショックであった。倒れられたのは日曜日。金曜日には Kashi. にも仕事のメールをいただいたばかりであり、GW が明けたら案件を進める予定だったのに…。まだ 32 歳と若く、スポーツマンでもあるだけに「あの元気な人が?」と信じられぬ気持ちでいっぱいである。気の毒なのはまだ新婚であり、GW には新婚旅行に行こうと言っていた奥様だ。お腹には第一子を授かり、順調であると聞いていただけに心労は計り知れない。

2 つの報せを受けた時、Kashi. は渡嘉敷の真っ青な海にいた。誰もいない浜辺で佇み、恩師の冥福と、病魔と闘う I 氏の回復を祈るばかり。

4/19 (THU)

命の洗濯

思い立ったが吉日ということで、今日の最終便で 4 日ほど沖縄に行ってきます。滞在記はまた後日。ああ、仕事が終わらない…。

4/17 (TUE)

ルールとマナー

腐女子という単語がある。BL (Boys love) と呼ばれる男の同性愛を描く二次創作物を好む女子のことを指すが、Kashi. の時代では 801 と呼ばれていた。ヤマ無し、オチ無し、意味無しの「やおい」というジャンルであり、ムードこそ違うが、相当以前から存在していた系譜である。男からするとあり得ない描写ばかりでとても直視できる内容ではないのだが、そこは妄想の世界だから良しとしよう。

その妄想の世界を現実に持ち込んでしまうと色々問題が起きるのは想像に難くないはずなのだが、とある腐女子の方が twitter で「ファミレスで薄い本を読んでいたら、全然知らない人間に注意された。なにがいけないの?」といったことをつぶやいて大炎上となる事件があった。togetter などで容易にまとめが見つかるので経緯や結果は省くとして、個人的には「よく同人誌を会場と自宅以外で読めるなあ」という感想だ。

コスプレのまま会場外に出ないでください、というのは遥か昔からの不文律であり、一般人の目に触れるところで同人を読まないというのもまた同じように存在していた気がする。これは一般人には明らかに奇異に映るものを公にすれば、そうした異文化に不快感を持つ人たちを刺激をすることになって、自分たちの首を絞めることになると分かっていたからなのだが、最近はヲタカルチャーが当たり前のように受け止められているせいで、そうした意識を持つ人が減ってきていると思う。だが、どんなに言い訳したところで著作権意識が高い今、二次創作というのは明らかな著作権侵害なのだ。だからこそ同人ヲタは昔から日陰を好んで歩いてきたし、定価ではなく頒価という表記で利益を得るものではありませんよとアピールをしていたのである (実際はそんなのおかまいなしに莫大な利益を得ていたサークルも多かったが…)。

この日陰者であるという意識が良いのか悪いのかは判断しづらい。ただ、BL のような性表現のあるものを公共の場で読むというのはやはり好ましくはなかろう。こうした一般でも通用する感覚に欠けていたことがアカ主の大きな間違いであった。非常識なことをやるからこそ常識を。これはいつの世も変わらぬことなのである。「自分さえ良ければ」の感覚は無しにしたいものだ。

3/31 (SAT)

同窓

高校はデザインの専修課程の学校だったのだが、デザイン科が数年前に廃止となり、学舎も取り壊しになる…というのはちょっと前の日記でも書いたような気がする。ともかく、そうした節目ということで、卒業生有志が企画した卒業生の作品を集めた展示会が開催されることとなった。Kashi. の同級生でも出品する人間がいるということで、どうせなら日取りを合わせて観覧後皆で呑もうということになった。

会場に行ってみると、当時の先生たちも作品を出しており、「へえ、今こんなもの作ってるのか」と感心していたら、突然目の前に自分の名前と落書きが飛び込んで来て腰を抜かしそうになる。見ればデザイン科生にはおなじみのパネルだ。パネルとは水彩画を描くためのケント紙を貼り付けるための木枠なのだが、何度も使うもので嵩張るからパネルの裏に名前を書いて教室に置いておくのがルールであった。学校生活に馴染んでくると、単なるサインだけでは飽きたらず、自分なりの主張をするように絵を描いたりするのだが、Kashi. は今でいう萌え絵を描いては悦に入っていたのであった。それが何故か彩色されて飾られている。経緯としては、デザイン科生活を忍ばせるものとして当時の機材や画材を飾るにあたり、デッサン室に放置されていたものを再利用したということらしい。共に鑑賞していた友人たちは「懐かしい!よくこんなの描いてたよな」と笑いながら「しかしよく残っていたなあ」という感慨を深くしていたのであった。

鑑賞後、近所の居酒屋で酒宴となる。これがまた楽しいのなんの。皆もう四十路であるから、級友だったのは 20 年以上前だ。にも関わらず、当時と同じノリで話せる。男子校というのも大きい。これで女子がいたりすると色々ややこしいことになったりもしそうだが、男だけであるから気を遣う必要がない。大いに呑み、笑って再会を誓ったのであった。昨日の同期との会でも感じたことだが、男同士というのはやはりいいものなのである。また会おう。

3/30 (FRI)

同期の桜

13 年前に退職したゲーム屋時代の同期の S 君、ありゃ?以前に日記でも書いたかな…ちょっと記憶が曖昧だが、とにかく色々あって 100 万円を握りしめて沖縄に渡り、ウチナーの手厳しい洗礼を見事に乗り越えて定住に成功したわけだが、そんな S 君から過日連絡があり、娘の卒業式に出席するにあたって上京するから会おうということになった。どうせ会うのであれば当時の同僚達を集めようぜという流れは当然であろう。突発ではあったが、結局 5 人が集まり、当時の勤務地でもあった中目黒にてささやかな酒宴と相成った。

S 君と会うのは約 10 年ぶり、退職以来であったが、それ以前、Kashi. が初めて就職した 19 歳の時からの付き合いである。とにかく苦労が多い職場であったから、ほぼ戦友のようなものだ。お互いの良いところも悪いところも知り尽くしており、ブランクなど何の障害にもならない。当時の思い出話はもちろん、現在の生活や環境など話は尽きぬまま河岸を変えることになった。

さてどこに行こうかという段になり、Kashi.以外の全員がダーツを投げるという理由から、渋谷まで足を伸ばしプールバーへ行くことになった。後輩 T はローカル大会レベルで優勝するほどの力量であるという。S 君は颯爽とマイダーツを取り出し、後輩 S もまた腕に自信がありそうだ。思えば勤務時代から同僚同士、何かにつけ勝負するのが常であった。勝負となれば何かを賭けねば面白くならぬのもまた常である。ということでゲーム代を賭けて勝負することにする。こちらは素人であるから本来ハンディを貰わねば勝ち目はないのだが、その前に T からコーチを受けたおかげか全員の予想を裏切り、Kashi. 大活躍。正直才能あるんじゃなかろうかと鼻が高くなるほどの好成績でフタを開けてみれば、ベテラン勢を相手にほぼ対等と言っても良い大善戦。ダーツは 3 投を 1 セットとしてターンが入れ替わるのだが、その 3 投が出来るだけ同じ位置に寄るのが良いだそうな。Kashi. はこれが出来ており、しかも照準が縦にズレることが多かった。「これはいいセンスですよ」と後輩が言う。フォームそのものは狂わず、手元の投擲タイミングだけが違っているとのことなのだが、なんのことはない、ガンシューティングにおける照準とグルーピングと同じ理屈だ。Kashi.はエアガン射撃に凝っていた時期があるので、その感覚が残っていたのかもしれない。また、Kashi. はカメラをやるが、ファインダーを覗きシャッターを切る時はやはり同様に息を止め、脇を締め、体を揺らさないのが基本である。ということで、ダーツにも自然と応用が効いたのではなかろうかと天狗になる。

結局朝 6:00 まで投げ続けての解散。S 君は「沖縄に来いよ。今が一番いい時期だ」としきりに誘う。屈託が無いように見えても彼は彼で色々と思うところもあるのだろう。沖縄か。去年は骨折で行けなかったし、行ってくるかなあ。

3/19 (MON)

在宅ワーク

Kashi. のメイン クライアント、本日は全社員在宅テレワークだそうな。自社製品によるインフラのおかげでインターネット接続さえ出来ればロケーション フリーで仕事ができるそうだ。電話、チャット、メール、ビデオ会議、情報共有を自在に切り換えられるテクノロジは感心してしまう出来映えだった。

だが、気の毒なのは派遣社員さんの面々である。社員は在宅勤務としてきちんと給料が出る。が、派遣さんは強制的に休業扱いとなり、当然給料も出ない。派遣というのは 千数百円の時給で動いているわけだから、1 日休業となれば 7 時間のワークだとしても最低でも 1 万円程度の実入りが減るのである。にも関わらず、業務だけは遅れが出る。昨今は派遣の残業も禁止というところが多いから埋め合わせることもできない。

東北大震災以来、固定のデスクやオフィスでの業務に囚われないフレキシブル ワークスタイルが注目されるようになってきた。だが、どうせ実施するなら、それは正社員だけでなく、派遣社員、子会社などの関連企業すべてに反映させるべきではなかろうか。監視、管理ができないという問題が出てくるのかもしれないが、それは社員でも同じことである。仕事がしたいのに出来ない。これは想像するよりもずっとストレスなのだから。

3/15 (FRI)

情報発信していることの意識

先日の日記で書いた知り合いの tweet への憤り、タイミングというのは恐ろしいもので本人がそれを目にしたようだ。その反応として「こんなんじゃ気軽にツイートもできない」といった主旨のことをつぶやいていたのだが、おかしなことを言うものだ。twitter はオープン サービスである。Kashi.がこうして書いている雑記にしたって公開リソースだ。インターネット上で何かを発言するということは、例え匿名掲示板であろうと会員制サービスであろうとオープンになると考えたほうがいい。それが分かっていないから自分に都合の悪いことが起きたときに嫌悪感が出てしまうのだ。件のアカウントはその後鍵をかけると書かれていたし、恐らくそうするであろう。まあそれが正解というものだ。Kashi. ももう敢えてググることはしない。

ネット上の多くは未だ善意に支えられているというだけで、この雑記にしたって微に入り細に入り読み解けば、Kashi. の特定は可能であろうし、ましてや Kashi. を知る知り合いが悪意を持ってその情報を流せばただちに Kashi. の個人情報など知れ渡ってしまうのである。いくらアカウントに鍵をかけたところでそうしたことは防ぎようがない。情報を流出させた人間は法によって罰せられる。だが、ネットに流出した情報は消えることはない。だからこそいたずらに人に恨みを買うようなことはしてはいけないと思うし、迂闊に身の回りの情報を流すようなことはしてはいけないのだ。

SNS によって個人の情報発信はさらに容易になった。だが、それを身内しか見ていないと考える人のなんと多いことか。twitter がバカ発見器などと言われる所以であろう。犯罪自慢はもちろんのことだが、位置情報の発信なども危うくてならない。子供の写真を載せることもそうだ。仕事のからみからどうしても SNS を避けては通れないご時世だが、そうした中でも極力迂闊な投稿は避けたほうがいい。会社への愚痴、勤怠状況、政治的発言、宗教思想への言及、プライバシーを侵害する恐れのある写真の投稿。それでもなお書き込む時には、有事の際の心構えとスルー耐性、対処法などを考えておくべきだろう。自分は大丈夫ということはないのだ。

ところで件のアカ主の「こんなんじゃツイートもできない」というつぶやき。これは自分が被害者のように考えているから出てきたセリフなのだろうけれど、逆に考えてみれば自身も同じことをやっているのである。Kashi. はすでに交流がなくなった知人のツイートを見た。だが、知人もまたすでに交流のない Kashi. のサイトを見にきたのである。やってることは何も変わらない。そこでどんな感想を持とうがそれは自由だし、それをネットに書くこともまた自由なのである。そうしたことが理解できていれば前述のようなセリフは出てこないはずだ。自分の発言に根拠や自信があればスルーすれば良いだけだし、異論があるなら反論してくれば良いのである。まったくの他人から荒しや晒しに遭っているというのであれば話は全然違ってくるけれど、相互理解を得、自身のモヤモヤを無くしたいという気持ちがあれば、鍵をかけて閉じこもるということはないはずなのだ。もっとも、Kashi. に対してそうした感情や信頼感はとうに消えており、単に好奇心で覗きにきたら自分が攻撃されていて腹が立ったということだとは思うけれど…。まあいいか、もう。

3/15 (THU)

赤字

税理士さんから確定申告終了の連絡。還付金約 60 万円、消費税 16 万円とのこと。うぅむ、不甲斐ない。

還付金が結構良い金額のために、一瞬「やった!」と思ってしまうのだが、還付金は稼ぎが足りず、経費が多く出てしまったという赤字経営を示すものだから、好ましくない話なのである。消費税にしてもたった 16 万の納税では少々情けない。

幸いにして今年は仕事も順調である。先の日記でも書いたように今年は帳簿付けをきちんとやっているのだが、これが意外と面白い。多忙にかまけてやってこなかったことが後悔しきりだ。個人事業ではついつい本業に力を入れてしまい経理業務を疎かにしがちだと思うが、個人事業だからこそこのあたりはきちんとやるべきなのだと実感する。時間は作ろうと思えば意外と作れるものなのだった。頑張ろう。

3/11 (SUN) 東北大震災から 1 年

無題

震災から 1 年。14:46、黙祷。テレ東以外の各局は追悼関連の特番を組み、日本全体が思い思いの哀悼を表した 1 日だった。心が荒み始めていた 1 年前の日記を読み返してみるまでもなく、当日のことは生々しい記憶としてすぐに思い出すことができる。当時は次々とメディアで流される衝撃的な映像に感情移入してしまい、辛くて辛くてしょうがない日々を過ごしたものだった。

時が経つというのはすごいもので、今ではそこまでひどい落ち込みもない。人の心というのは良く出来ていて、どうしようもない悲しみもちゃんと癒えてゆくだけの強さを持っているということを実感した 1 年だった。2011 年は、震災におけるショックもそうだが、個人的には家族との別居、信頼できる人との別れ、骨折などによる仕事と収入の激減など、辛いことの多い年でもあった。だが、今はきちんとそれらを受け止めつつ、前を向けるようになった。震災被害を受けた人々のそれとは比べものにならないということは重々承知だが、そうした人々にもいつかきっと安らかな心が訪れることを願ってやまない。

ひとつ、情けないなと感じた出来事を。今日のような節目の日に、黙祷という行為を行うことは決して悪いことではないだろう。無理矢理強要するようなことになればそれは自由意志を侵す間違いだと思うが、黙祷したいと思う…とツイートしたりすることに深い意味はあるまい。だが、日々の感謝も出来ておらず、震災も経験していない人がそうしたことを表明するのは偽善だ、とする知人がいた。実に歪んだ視点だと思う。曰く、「まだ思い出ではなく継続だから」ということらしい。

継続状態だからどうした、と思う。経験していなければ、当事者でなければ黙祷すると表明することは出来ないのか。であれば、終戦記念日に黙祷していいのは 67 歳以上の人だけなのか。心臓手術後間もない天皇陛下が式典前からずっと「参加したい」と言い続けていることも偽善なのか。戦争や災害で意に沿わぬ被害を受け、無念の中で亡くなっていった人々に哀悼の意を示す。こうした行為は世界共通の慈しみの気持ちだ。殊更にアピールするのは鼻につく振る舞いになるかもしれないが、だからといって偽善と言い放たれるようなことでもない。そもそも当人は長崎に在住していた経験があるため、8.6 と 8.9 には黙祷すると言っていた。大きな矛盾だろう。それとも原爆はもう終わったことだとでもいうのだろうか。まだ原爆病で苦しむ人が存命だというのに。

この知人は、「偽善は好きじゃない。自分でやれることをやるだけ」といった主旨のことも発言していた。こういう表明と「黙祷します」という表明のどこに差があるのだろう。Kashi. としてはむしろタチが悪いと思う。こういうことは自分で言うことではないのだ。一生懸命尽力している人に対して、周囲が「あまり無理せず出来る範囲でね」と安心を与えるためのものではなかろうか。まあ自分で自分を戒めたり、鼓舞したりするということもあるだろうが、大方の場合、自分でこんなことを言う人は結局何もしないと思う。せいぜい節電したり 1,000 円、2,000 円程度を募金するくらいが関の山であろう。もちろん募金が悪いわけではないが、どういう思いで募金しているかというところで考えたい。募金で「自分は支援した」という気になっているのであれば随分と思い上がった話だ。むしろ自己顕示欲でも周囲へのアピールでも、瓦礫撤去のボランティアに参加して実績を残すほうが遥かにいい。しない善よりする偽善という言葉も時には有益だろう。

結局こうした否定は、幼いニヒリズムであると思う。「黙祷したいと思います」というピュアな感情表現に対しての羨望または嫌悪が、他者への攻撃として現われているように思える。「人とは違う自分」のアピールに近いものがあるし、平たく言えば厨二病というやつだ。子供ならともかく、30 代も半ばになったような人間がそんなことを言うのは思慮が足りない。ほとんどマフィアだ。自分たちだけの正義を行動原理とし、他者が不愉快な思いをしてもそれに気付かない。

この知人とはもう随分長い間やり取りをしていない。ふとしたことから言い合いになり、そこで相手がコミュニケーションを拒否してからそれっきりだ。こちらも今更連絡を取ろうとは思わないし、今回の事以外にも共通の知人から色々な話を聞き、もはや信用するに値しない人物であると思っている。だが、何かの折にふと関心が向くことはある。特別な感情があるわけではなく、今日の場合は、震災の日何を感じているのかという単なる好奇心だ。誰でも知人や友人の名前をググってみたことはあると思うが、そのレベルの話である。

だが、願わくば…という思いがあったのも確かだ。未曾有の大災害である東北大震災、そしてその節目。身勝手な思い込みであるし、強要するつもりなどないが、こうした日、かつての知人にも、多くの人々と同じように優しい気持ちを持っていて欲しかった。そうした発言をどこかで期待していたのであろう。だが現実は真逆であった。発言を遡って見てみればいわゆる「イタい」ものばかりで驚いた。そのくせ、安っぽい、いわゆる「感動系ブログ」で泣いたりしている。驚くほど当世風だ。巷で話題になっている気仙沼姉妹ネタあたりにも触発されているんじゃなかろうか。この先も自分が世間ずれしていることには気付かないだろう。

ダメージこそないが、かつての「絆」がもう存在しないことは残念である。あれこれと考えさせられる 1 日だった。この先の未来、友人や知人に対してこんな感情を持つ日が来ないことを願うばかりである。…なんて、偉そうなことを書きながら、自分がそう思われたりして。しかし、そう感じた人はぜひとも進言いただきたい。Kashi. はそれを切に願うものである。

3/10 (SAT)

びっくり

銀行口座を見るとびっくりするくらい残高がなかった。ちょっとシャレにならないレベル。所沢のワンルームの家賃分くらいしかない。え、どうしてだろう…と考えると、クレジットの支払がすごく多かったことに気付いた。そういや、資料とか色々買ったのだった。うわー、しくじった…。リカバリしておかないと 4 月の消費税引き落としとかで税務署から怒られてしまう。

今年は娘も中学生になる。今年に限らず、今後はどんどんモノイリになってくるわけで、頭では倹約しなければと思っていたのだが、いきなりゼロ発進になってしまった。この程度の経済観念であるから、貯金もないその日暮らし状態なのだが、ちょっと猛反省。少し前にも「貯金しよう」なんて言っていたが、まるきり実行できていないこの体たらく。

だが、先日の確定申告以来、ちょっと自分の中で経済感覚が変わった。はっきり言ってスロー スターターもいいところだと呆れてしまうのだが、意識しないよりはいいだろう…と自分を騙してみる。20 日には 1 月分の入金があるから、そこから現金出納帳とは別に、家計簿的なものもつけてみよう。あとマジで貯金。ほんと、去年の骨折じゃないけれど、何かあったらまったく対応できないような状況はいい大人として大失格だろう…。そうだ、そもそも今年は腕に入ってる金属抜く手術もしなきゃいけないんだった。わー、マジで頑張ろう。超焦。

3/7 (WED)

びっくり

コンビニでホワイトデーのディスプレイを見るにつけ「関係ないし!」なんて思っていたら、連想ではじめてチョコをもらった時のことを思い出した。小 3 の頃であるが、ふと思い立ってその子の名前を Facebook で検索するとドンピシャで見つかった。想像も出来ないショウ ビジネスの世界にいたこともあるようでギャップに驚いてしまったが、思わず懐かしさからメッセージを送ってしまった。もっとも、いきなり 30 年近く前の同級生からメッセージをもらっても困るだけだろうし、そもそもアクト率は低めであるようだから、あまり返信は期待していないのだが…。かなり遠方に住んでいるようだし、邪な思いはまったくないが、自分でも、自分が女でいきなり同級生を名乗る男がコンタクトしてきたら「気持ち悪!」と思うだろう(笑)。はてさてどうなることやら。

3/5 (MON)

疲れた!

今年もやっとなんとかかんとか確定申告作業が終わる。申告自体は税理士さんにお任せしているから、まだ完了したわけではないのだが、Kashi. の作業としては終了だ。やることというのは実は大したことはなくて、レシートの管理、医療費のまとめ、請求書や納税の書類の用意、あとは交通費や現金出納帳をつけるくらいで難しい計算などは何もない。

だが、なのである。ついつい怠けてしまい、毎年ヒィヒィ言うことになる。どんなに頑張っても集中力がもたず、結局実働で 3~4 日くらいはかかってしまうのだ。こうなると辻褄が合わないところが出てきたり、書類を紛失していたりするものだから、薄れた記憶を引っ張り出して帳尻を合わせるのが大変なのである。特に去年は色々と荒れていたり、震災があったり、引越があったりでかなり出鱈目な記録になっていた時期も多かった。Exchange Server に予定などが記録されていてホントに良かったと思うのだが、結局確定申告というのは自分の得にもなるわけだし、今年こそはきちんと月に一度帳簿整理の日をスケジューリングし、美しい帳面付けを目指してみたいと思う。今年で 6 年目を迎える個人事業生活。まずは 10 周年を目指せるよう明朗会計を目標にしていこう。よく頑張ってるじゃないか、自分。

ちなみに 23 年度の「売上」は 700 万であった。実質 4 か月くらい無収入だった時期があることを考えたら頑張ったほうだろう。だが、そのおかげで余裕はまったくないギリギリライン。今年度はもう少し稼げるといいな。

2/20 (MON)

無題

1999 年山口で起きた光市母子殺人事件結審。死刑確定。遺族の本村氏にとっては本当に長い 13 年であったろう。本サイトは当時 Ice Cream Headache という名前で運営していた。惨い事件であり、強い義憤に駆られた記憶がある。1999 年は Kashi. が出来ちゃった結婚をした年であり、長女が生まれてからはなおのことその思いは強かった。

とにかくこの事件は犯人も残酷だが、とりわけ弁護団が酷かった。死刑反対を掲げる弁護士が集結し、これでもかと詭弁を弄して今日まで事件を引き延ばし続けたという印象しかない。特に弁護士の一人はテレビに出演した際、目の前の本村氏を弁護士とは思えぬ言葉で罵倒し、世間から批判が集中した。Kashi. もどこまで恥知らずなんだろうと非常に不愉快な気持ちになったことを覚えている。

少年法では更正が基本理念となっているため、18 歳未満の死刑はできないことになっている。しかし、凶悪な少年犯罪が想定されていなかった立法当時と違い、今この現代で精神的に未熟だからという理由だけで死刑を免れるようなことがあってはならないと思う。重大、凶悪犯罪を行うような少年は基本的に更正の余地は薄いのではなかろうか。女子高生コンクリ殺人事件の犯人の現在を見てもそれは明らかだ。例え死刑になったところでそれは自業自得というものだ。だが、力ずくですべてを奪われた被害者にいったいなんの落ち度があるのか。ましてや、それまで少年法に守られ、獄中での反省も一切なかったくせに死刑になりそうになるや、支離滅裂な言葉で自供を覆すような真似をする卑怯者を貴重な税金で活かし続ける道理はない。

人権とは人に与えられなければいけない。死刑とは畜生道に堕ちた獣を裁くための制度ではないと思う。なんの落ち度もない被害者、遺族が気持ちの区切りをつけ、健全な人生を送るための制度である。そうでなければ負の連鎖を断ち切れない。死刑廃止論は日本人のメンタリティにおいては机上の空論に等しい。よく言われることだが、廃止論者は自分の愛する人、子供が自分の欲望のためだけに蹂躙され、死後なお性的暴行を受けるような目にあったとしてもそれを許せるのだろうか。だとしたらそれはもう人間ではない。

願わくば速やかな死刑の執行を願う。死刑が確定したからといって、執行されなければ意味がない。弁護団は最高裁決定においてもまだごちゃごちゃ言っているのだ。ここまで来るともはやキ○ガイであろうと思う。さらに非常に不敬であると思うが、天皇陛下の健康不安もある。陛下に万が一のことがあって恩赦にでもなった日にはまた地獄の日々がやってくる。本村氏にはもうそんな思いをしてもらいたくはない。本村氏は 2009 年に再婚されているそうだ。新しい奥様とは二人の命日に墓前で手を合わせるという。長い闘いを終え、これからは止まっていたご自身の時間をゆっくり取り戻していっていただきたい。

2/14 (TUE)

基本的に関係のないバレンタイン デー

別れがあれば出会いがあるのが人生というものだが、どういうわけか Kashi. にはあまり出会いがない。そうした人間にとって St.バレンタインなんてのは小憎たらしいイベントなわけだが、それはまあそれとして、Ultima Online を再開してから、懐かしい仲間との邂逅はあった。そうしたことがあるわけであるから別れも決して捨てたもんではない。時にすっかり変わってしまう人もいて、そういう時はなんだか残念な気持ちになってしまうのだけれど、大抵の人はそうそう変わることもない。間が空いていた分、再会は嬉しいものだ。

不思議なもので、気持ちが前向きになってから急にそうした展開が多くなってきた。落ち込むことも必要であろう。だがそこから立ち直ることも必要で、それができればきちんとご褒美があるものなのだ。これからも出来る限りそうした気持ちを忘れずにいようと思う次第であった。

1/25 (WED)

3 年ぶり

ものすごく忙しい。ちょっと気を抜いていたらたちまち締切が重なった。だが、良いことである。

そんな中、Twitter で見知らぬ人からの Re:。ハテ、どなた?と見てみたら、かつて Ultima Online というオンラインゲーをやっていた時のお仲間、E 嬢であった。このゲーム、ゲーム内に自分の家を持ち、そこにアイテムなどを保管できるのだが、先頃システムに変更があり、Kashi. の家が腐敗しそうだとのお知らせであった。Ulitima Online (以下 UO) では、課金さえしていれば、プレイしていなくとも有効なアカウントとしてプレイ資格が維持される。Kashi. ももう何年も放置状態で、課金だけを無駄に続けており、そのおかげで自宅も保持できていたのだが、それがなくなってしまうという。E 嬢はわざわざ、自分の Twitter アカウントを探し出し報告してくれたのであった。

数年も放置していたわけだからゲームそのものに復帰しようという意志は薄かったのだが、家が腐敗する…と聞かされると心穏やかでなくなった。UO では家が腐敗すると、所持していたアイテムはただちに空き地に放り出され、見知らぬプレイヤーたちでも回収するおとができる。この世界では土地は有限の貴重品であり、最盛期にはどんなに小さなサイズの家でも相当高額で取引されていた。そもそも取引できる土地や家そのものがなかったくらいなのである。
加えて Kashi. のアカウントは 10 年モノであり、今では取ることができないレア アイテムも持っているし、当時の仲間との思い出も多い。そうなるとなんだか急に腐敗が惜しく思えてきた。だが、腐敗を止めるにはプレイヤーとしてログインし、腐敗を止めるためのアクションを行わねばならぬ。慌ててアカウントの復帰手続きを行い、クライアント ソフトウェアをダウンロード、インストールした。数年ぶりのログイン、当たり前だが、何も変わっていない我が家である。待ち合わせをした E 嬢と合流し、無事腐敗を止めることができた。実に完全腐敗の 2 時間ほど前。深夜 4 時くらいの出来事であった。

良かった良かったと思っていると、我が家を狙っていた他プレイヤーが次々と様子を見に来る。危ないところでしたと E 嬢に礼を言い、久しぶりのチャット。恐ろしいことにゲーム内コマンドなどは手が覚えていた。どれほどやりこんでいたかと思うのだが、ちょうど 10 年前の日記を見てみると、頻繁に UO の話題が出てくる。なるほど、忘れないわけだ。

オンライン ゲーの常である仕様変更の波は甚だしく、当時からは随分ゲームシステムも変わっているようだ。もともとこの激しすぎる仕様変更に飽きがきてすっかりオフラインになってしまっていたのだが、話を聞いてみるとどうも興味深い内容である。復帰ボーナスとして 2 週間は無課金期間があるようだから、しばらくは息抜き、気晴らしにプレイしてみようかなと思うのだった。さてさて。

1/24 (TUE)

暖房器具

実家は古い木造一戸建てであるからして大変に寒い。今時の気密型マンションとはえらい差である。ということで仕事をしていると下半身がとても寒い。湯たんぽやエアコン、ミニホットカーペットなど色々試すもやはり満足いくものではなかった。特にエアコンは音はうるさいし乾燥も心配。ギターが置いてある部屋で過度の乾燥は禁物だし、風が当たるような状態が好ましいとは思えない。

個人的には石油ストーブ、または火鉢が欲しい。この 2 つは、先の日記で女房宅に石油ストーブを買った時にも触れたが、一石三鳥くらいの良さがある。が、燃料補給に手間がかかる、移動させるのに手間というデメリットがある。今の部屋は 2 階にあるため、燃料補給に手間がかかるのは少しばかり不便なのだ。いつでもお湯が沸いてる状態にできるし、イモも餅も焼けるし、風邪予防にもいい。部屋さえ広ければ間違いなく購入するのだが、何せ四畳半にベッドと机があり、そのうえ本やらなんやらがいっぱいあるものだから、このテのものは危険なのだった。

となると電気ストーブしか選択肢がない。部屋全体を暖めるというより、足下が暖かくなればいいわけだからこれでいいのである。だが、今は何故か良い製品がない。ストーブに限らず、家電はどんどん使いづらく手抜きになっていっている。Kashi. が理想と思う電気ストーブの条件を書いてみよう。

  • コンパクトであること
  • 300W を最小単位とし、最低 2 段階で出力を切り換えられること
  • ハロゲンやセラミック熱源に多く見られるスタンドタイプではなく、重心が低いこと
  • 必要充分なスチーム機能があること
  • 持ち運びがしやすいこと
  • 操作スイッチが上面についており、ロータリー式できればガスコンロのようにつまみやすいこと
  • 最小出力動作の際、下側の熱源が使われる、または使用する熱源の選択ができること
  • 電源コードの収納に気遣いがあること
  • 空焚き防止、タイマー、転倒による電源カットなどの安全対策が施されていること

ざっとこんなところだろうか。どれもこれも難しい技術ではないと思う。しかし何故かこうした条件を満たす商品がない。日本のモノづくりというのが堕落した証拠であろう。だが、無いものをねだってもしょうがないので今発売されているものでなんとか絞りこむしかない。唯一近いと思われるのは「±0」というブランドの製品であった。デザインも悪くない。ハテサテ、どうしようかな。もし買うことがあったら使い勝手をレビューします。

1/21 (SAT)

家族とは

昼前に所沢に行く。最近は女房ともごく穏やかだ。むしろ顔を合わせて話をすれば笑い声が出る。この先離婚するにしろ復縁するにしろ、人としては良い関係になってきているのではなかろうか。

ご存じの向きもあろうが、我が家は全員の誕生日が 1 月だ。今回赴いた理由は車のバッテリーあがりの修理だが、ついでに石油ストーブの購入が本来の目的であった。すでに別居となっているわけだから、それぞれの生活の中で必要なものはそれぞれが購入すべきだが、民法において別居期間だとしても、お互いに等しい日常生活を送らなければいけないと定められている。つまり収入のあるほうだけが裕福な状態となり、そうでない側が貧乏を堪え忍ぶことになるのは違憲なのだ。もっともそんな理屈をさておいても、個人的に暖房器具が足りないような生活はあまりにも不憫なのである。

ということでストーブは石油だ。すでに電気ストーブはあるのだが、何せ木造アパートの 1 階というのは寒い。所沢は入間連峰が側にあることも手伝って東京から数十分にも関わらず、気温はだいぶ低い。そうした環境で電気ストーブだけでは無理なのだ。話を聞くと、部屋の気温は常に 10 度前後であるという。北向きの部屋では趣味のネイル用具が凍りつくという。確かに部屋の中にも関わらず息が白かった。こんな状態ではいつ風邪をひくかもしれない。それではこちらも困るのである。

なぜ数ある暖房器具で石油ストーブを選んだか。これが一番暖かいからである。ガスストーブが理想的なのだが、今はガス管が出ている部屋は少ない。セラミック ヒーターでも良いがあれは局所的で部屋全体となると効率が悪い。エアコンはもとより、石油ファンヒーターは乾燥と音の問題がある。コタツは出たら出られなくなるし、数が置けるものではない。何よりこれらは電源が必要というところで除外だ。東北大震災では電気に依存した生活が如何に危ういかを東関東の人間は実感した。ライフ ラインというのは絶対に分散しておくべきなのである。インフラへの依存は致し方ないが、それをひとつだけにしておくというのは不安要素が大きい。震災以後さっぱり売れなくなったようだが、オール電化の住宅などは以ての外だ。

石油ストーブは危険である。触れば大火傷をするし、落下物などへの引火や連続燃焼下での一酸化炭素中毒の可能性もなくはない。だが暖房器具として長く親しまれているものであり、危険性を理解すればそれ以上の利便性をもたらしてくれる。暖房効率は高く、10 度だった部屋はたちまち 18 度になり皆大はしゃぎであった。常にやかんをかけておけば湯を沸かす必要はないし、乾燥も防げる。餅も焼けるし、アルミホイルにくるめばイモも焼ける。湯たんぽを暖めることだってできるし、電源不要だから寒い部屋にすぐ移動させられる。難点は灯油の補給だが、所沢では灯油の移動販売車が常に回ってくるので不便はない。

家族の交流としてはささやかである。だが、「あったかいね」と笑顔がこぼれるなんてのはちょっと良いではないか。今はこの程度も充分だ。

1/18 (WED)

わかるぞ

毎週水曜日の夜はささやかな楽しみでテレ朝の「有吉×マツコの怒り新党」を視ることにしている。この二人の思考は実に Kashi. 好みな上に、アシスタントのフリー アナ、夏目久子も大変に好みだ (大阪推しのところを除けば)。有吉とマツコの発言は過激だの毒舌だのと言われるが、ウィットに富んでいる上、言葉選びが上手だから本当の暴言にならないし、笑いの要素を盛り込んでくるから後味がいい。ああ、頭が良いなと感じることが多く、ただ口が悪くてしつこいだけの Kashi. とはエライ違いだ。

この番組は視聴者が「怒り」に感じたことを投稿し、それをトーク テーマにして 3 人が意見交換するスタイルなのだが、しばしば話が飛躍してゆく。それが面白いのだが、今日はその中で有吉の今年の目標として「彼女を作る」というのがあった。そこでマツコが「たまに甘えられるような人とかいないの?」という問いに対し、有吉は「いない。時折泣きそうになる」と答えていた。さもあらん。以下、書き起こしてみよう。

マ「わかる。あたしもそうだから。わかる?(夏目に)」
夏「風邪ひいた時とかどうするんですか…?」
マ「風邪ひいた時よりも…わかるかなあ、ガマンが出来ない日ってあんのよ。寂しいとかそんな単純なもんじゃないんだよね」
有「(深くうなづく)」
マ「むかーしの細い糸を手繰る日とかあんのよ。電話しまくっちゃったりして、だーれも出ないの。折り返しもないの。わかる?」
夏「(苦笑)」
マ「なんだろう…"ああ!そういうことね!" っていう」
有「わかっちゃいるんだけど、今一人だな、って再確認した時ね」
マ「そうそう」
有「いいよ!って思う時もあれば、「はぁっ…」ってなるのが怖い時。今このマンション解約して、明日にでも狭い部屋に引っ越そうかなと思う時あるもん、俺」
マ「(ニヤニヤ)」
有「この無駄な一部屋はなんなんだって…」
マ「わかる…!」
有「ある?(笑)」
マ「気持ち悪い…(笑)。同じこと考えてるの、今…!」
有「ホント?(爆笑)」
マ「あたし、今のマンション、諸事情があってしばらくリビングが使えなかったの」
夏「(うなづく)」
マ「結局使ってないの。寝室と仕事部屋と衣装部屋?その 3 つだけで生きてるの。だからいっつも見えるのよ、ガラス越しにそのリビングが。玄関開けると」
有「(笑)」
マ「そんなバカらしいモノに、一瞬でもお金を使ってしまって、そこになんかの夢を見たわけじゃない?あたしは。別にそこで幸せな家庭を築こうとかね」
有「(うんうん)」
マ「男を連れ込もうとかじゃないのよ。一人なら一人でそのリビングになんかの夢を見たのよ。その自分が許せないの」
全員「(笑)」
マ「いらないじゃん!この部屋!っていうね」
有「まったくその通り。一緒。俺、寝室を一切使ってないの」
マ「逆なんだ(笑)」
有「リビングに布団敷いてそこで生活しちゃってるから、寝室なんて足も踏み入れないの」
マ「うちのリビングと一緒だ。うちのリビング、ソファ買ったんだけど座ったことないの」
夏「(苦笑)」
マ「で、寝室にある一人がけのソファが体重で押しつぶされて、そこで寝るの。だからベッドも綺麗なまま。多分そこで死ぬんだろうと思うもん、あたし」
有「一緒に住んだらちょうど良かったね(笑)」
マ「…ホントね!(笑)…別にいいよ?」
全員「(爆笑)」

この二人は一人暮らしをしているわけで、しかもそこそこ売れているタレントでそれなりの物件に住んでいるから部屋の話になるのだろうが、気持ちはすごくよくわかる。この会話のポイントは 2 つあって、「寂しいとかそんな単純なものではないガマンが出来ない日」という強烈な寂寥の思いと、「なんかの夢を見ちゃったけれど、実際には無用」という勝手な期待値とそれに対する諦めと悲哀である。

1 つ目はもうホントにそういう感じだ。「誰か!」という叫びである。こうした寂しさというのは単に知り合いや友達と騒げば満たされるというものではなくて、むしろたった一人と笑いあいたいとかそうした欲求だ。有吉にしてもマツコにしても今、または過去に強烈な恋愛をして、その思いが残念し、呪縛となっているのではなかろうかと思う。だいたいがこのテの頑固者というのはそうそうモテるわけではないし、付き合ったとしても衝突が多そうだ。決してそれは相手をゾンザイに扱っているとかではなく、逆に自分を理解して貰いたいと思うが故のことなのだけど、それはまずパートナーには理解されない。こうなると、フラれた側は強烈な自己嫌悪に陥ってしまい、周りの些細な幸せに過敏に反応するようになってしまう。そうして益々偏屈になるのだが、それでも心は渇いて仕方がない。マツコの「過去の交際関係者に電話しまくって…」というのは、普通の男が寂しさを埋めるために女を買うのと似た行動原理に思える。

2 つめの部分。これもよくわかる。「今の自分には必要ない」けれど「ひょっとしたら…」という思い。これは Kashi. の憶測でしかないが、それはアテのないものではなくて、その心には思い描く誰かがあるはずだ。Kashi. の場合、部屋ではないが、かつての想い人や子供たちが好きだったキャラクタのぬいぐるみやグッズなどを今でも手に取ってしまう。「これを見たら喜んでくれるだろうな。きっと笑ってくれるだろうな」と思ってしまうからだ。

未練と言えばそれまでだ。だが、それはせめてもの心の縁 (よすが) なのである。それを捨ててしまうことはその人自身を切り捨ててしまうようで怖い。だが、実際にはもう失われた時が戻ってくることはないことも解っている。だからこそマツコは「多分そこで死ぬんだろうと思う」と言ったのだ。やりようのない怒りを持ち続けながらも心優しく、そして不器用な人の諦めだ。

たかが深夜のバラエティでそこまで思うかね…という向きもあろう。だが、そんな想像を掻き立ててくれるほど彼らのトークは面白い。ガマンができないほどの寂しい夜にはオススメである。

1/16 (MON)

上っ面の決意

巷で噂のタニタ食堂のレシピ本を買う。うわー、無理っぽい。なんか分量が細かい…。夕食時間になってパッとページをめくり、今日はこれをちゃちゃっと作るか…というわけにはいかなさそうだ。結構下ごしらえから何からしっかりやらないといけないが、とてもそんな時間は取れなさそうだ。参考まで…というところかなあ、これは…。

1/15 (SUN)

BMI が…

年末年始の暴飲暴食により…ということもないが、自分も父親も見事に妊婦化してしまった。これはいけない。別に今更デブになったところで誰に見せるということもないのだが、単純に体が重くなり、物事が億劫に。そして寝不足のケが出てきて寝起きに屁が出る。確証はないが、どうも睡眠時無呼吸のような気がしてならない。ということで今日から節制の目安にすべく、夕食メニューを記していくことにする。これはブログ化したほうが良さそうだが、まあ取り急ぎ備忘録として。正直節制と言いつつ、酒飲みのメニューになることが多いからなんとも言えないのだが、献立作りの一助にはなろう。明日は本屋でカロリー系のレシピ本を漁ってみたい。

しかし、ここ数ヶ月で完全に昼食と夕食の仕度は Kashi. の役目になってしまった。おかげで仕事の時間がものすごくタイトに…。洗濯は交互といったところだからまだなんとかなっているが、世の中のワーキング ママというのはホントにすごいな…。本気でスケジュール管理しないと不味そうだ。真剣に頑張ってみようと思う次第なのだった。

1/10 (TUE)

名作とは

漫画殿堂というサイトがある。ソーシャル レコメンド サービスと謳っており、個々がオススメ、お気に入りの漫画 3 本を決め、それを公開、ランキング化するというものだ。なるほど、「このマンガがすごい!」が少々商業色が感じられるのに対して、こちらは多少公平だろう。食べログではヤラセ投稿が社会問題化したが、こちらは業者が著者にアプローチすることは難しかろう。

トータル ランキングを見ると案の定という結果。1 位が「スラムダンク」で以下、「ONE PIECE」「ジョジョの奇妙な冒険」「ドラゴンボール」「マスターキートン」「風の谷のナウシカ」と続く。ついにで「寄生獣」「AKIRA」「鋼の錬金術師」となり、10 位になってやっと「ブラックジャック」が出てくる。個人的にはなんだか底が浅いなあという印象。特に ONE PIECE なんて、「今」読んでる人が多いだけだろうし、正直 20 巻くらいから先は見るのが苦痛だ。スラダンもエヴァもそうだが、サブカル系をエッジィでイケてるものとして扱うメディアに有名人がコメントしたりして、それがカッコイイという流れの影響力が大きいように思える。

とはいえ、それなりのクオリティがなければすぐに飽きられてしまうのも事実だから、これだけ長く人気を保っているにはやっぱり理由があるのだろう。豊富で多彩なキャラクタはいずれも個性的で、それぞれに強いファンが付く。こうなるとストーリーはともかく、キャラが好きという理由で長続きするところもある。またジャンプというのは「辞めさせない」ことで有名であるから、イヤでも一般人の目にも触れていくことになり、長期連載となると読者当時は少年期、それが大人になって経済的余裕が出てきて単行本はもちろん、グッズ購入などで金を落としていくというビジネス モデルが生まれる。こうなると強い。

だが、それが名作なのかとなるとクエスチョンではある。どんなものにも栄枯盛衰というのはあるもので、ダラダラ続くことでどんどん質が下がる場合もある。ワンピースももはやストーリー的には限界に近い印象だ。こち亀もストーリーといい、画質といい、もう駄作としかいいようのないところまで堕ちている。とにかく絵が崩れてきたら末期であろう。ドラゴンボールだって高橋留美子だってそうだ。こうなるともう魅力はない。

話を「名作」に戻そう。昨年の今頃、仕事関係数人で呑んだ時、集まったメンバーは奇しくも全員漫画好きであった。そこで「Kashi. はどの漫画が一番?」と聞かれ、その出た答えは「マスターキートンですかねえ」だったのだが、その後ずっと一番の定義を考えていたのであった。(自分にとっての) 名作とは「何十年経っても変わらぬ気持ちで読める」「殺人や犯罪などの暗いテーマを扱わない」「読後感が良く、人生での教訓を考えさせられる」ことであった。マスターキートンは良く練られ、調べられ、読み物として非常に良く出来ているが、2 番目の暗いテーマという部分で 100 点が与えられない。細野不二彦の「ギャラリーフェイク」も同様だ (しかしいずれもアダルティで非常に良作であると思う)。

Kashi. の中の名作の定義は以下だ。

  • 子供が読んでも大人が読んでも面白く、それぞれの年代で感じるものが違うこと
  • 道徳的であること
  • 読後感が良く、優しい気持ちになれること
これを満たすものがまず「ドラえもん (藤本弘執筆版)」である。さすがに児童漫画であるし、ものすごい多作であるから全編がハイ クオリティかと言われるとそんなことはない。だが、ドラえもんが嫌いな人がいるんだろうか。いるだろうが、その人は恐らく偏屈で歪んだ心の持ち主で、人と違うことを言わなければ気が済まないようなタイプだろう。

さてもう一作。これはあくまで個人的である。が、未だに根強いファンも多いと思われる「釣キチ三平」だ。どうしても一作だけ選べと言われたら間違いなくこれを選ぶ。もうどこがいいとか、そういうレベルでなく好きなのである。上記の条件を満たしているのはもちろんだが、自然の描写が素晴らしく、鳥のさえずりや虫の声、渓流のせせらぎや頬を撫でる風の柔らかさ、夏草や土の匂い、雪の冷たさまでが伝わってくるようだ。ままならぬ自然を相手にする釣りという行為を通じて、生きることの喜びと厳しさ、人との繋がりの大切さを教えてくれる。小学生の時に読んだときは単に釣りへの憧れだけで読んでいたと思うが、大人になった今でもしっかりとストーリーを覚えているし、三平が作中でやった特訓を真似て竿を振った感触も忘れていない。誠に残念なことに、子供の頃には小遣い不足から売ってしまっていたのだが、やっと欠けていた数冊を Amazon で入手することができそうで、近々全 67 巻が手元に揃う予定だ。

釣りキチ三平 45 巻「少年の夏」©矢口高雄

釣りキチ三平自体は文庫版や愛蔵版がかなり発行されているため、今でも容易に読むことができる。この日記を書いている時点でもコンビニ本で「ふるさとの釣り 冬編」が読める。連載終了 30 周年の節目ということもあるのだろうが、今なお人気があることの裏付けであろう。未読の方はぜひ読んでもらいたい。ちなみに平成版として新連載が 2001 年より描かれており、こちらは新刊として入手可能だ。目の描写などがごく微妙に変わっているのが残念だが、それでも内容は変わらぬ三平ワールドで、昭和版よりも少しだけ落ち着いた印象の三平を読むことができる。

釣りキチ三平でも人の死は出てくる。しかも割と多い。だが、それは殺人など犯罪がからむようなものではなく、生きていく上で死はまぬがれない、だからこそどう生きるのだということを感じさせてくれる。釣りをテーマにしていく中で人の生き方まで考えさせてくれるという点で学ぶべきことは多い。

最後に Kashi. が好きな回をご紹介。第 45 巻最終話として収録されている「少年の夏」がそうだ。三平ストーリーの中で唯一と言っても良い思春期をテーマとした回だが、読後感が素晴らしい。誰しもが経験しているにも関わらず、いつの間にか忘れてしまったすべてが新鮮でピカピカしていた少年期を思い出させてくれる釣りキチ三平。機会があれば、ぜひ全話を通読いただきたい。古臭くも新鮮な何かを感じられると思う。

1/8 (SUN)

人生の折り返し

馴染みの Fork Bar のマスターに「明日、ギター持ってきて。ギター自慢大会やるから」と言われたのが先の日記にも書いた誕生日になった直後。「まあそれなら」とひょこひょこ持っていったのが間違いであった。ウェブ サイトを見ると「ギター自慢 5 分のほか、持ち時間 20 分で弾き語りしてください」とある。待ってくれ、俺はそんなことできない。遊びのように弾いてはいるが、ステージにソロで立って弾くなんてことは到底できない。しかしイベントとして成立してしまっている以上、辞退することもできず散々言い訳をした上で演らせていただいた。が、ものすごい緊張でミスだらけ、途中で演奏が止まってしまうほどの酷い出来。幸い優しい常連さんばかりだったので慰めの言葉はいただいたが、内心失笑モノであろう。まあわかりきっていたことなので、最後は開き直らせていただいた。

しかし、表面では笑っていたものの内心はちょっとショックであった。さすがに少しくらいは弾けるだろうと思っていたが、本気で手が動かず、今どのフレットを押さえているのかもわからない。ソロでスポットを浴びるというのがこんなにプレッシャーになるものなのかと驚いてしまった。この恥はなんとしても濯がねばならぬ。

ということで中野サンプラザ内にある音楽スタジオの会員登録をする。個人練習の場合は 1 時間 600 円とまあまあリーズナブルだ。部屋や設置機材の質を考えればまあまあであろう。これで下準備はできた。あとはレッスン先を見つけねば。2 月くらいまでにお金も準備して、そこからきちんと進めていこう。

ついでに今年のやりたいこと、やらなきゃいけないこと、やれなかったことを PC の壁紙にしてしまう。もう小学生の夏休みの計画のように、1 日のスケジュールをパイ チャートにしてやりたいとすら思っている。自堕落な自分よ、バイバイ!

1/6 (FRI)

人生の折り返し

四十路となった。わーパチパチ。
…なんて言ってみても、新年早々の誕生日というのはなかなかに祝われづらいところがあって、学生時代は小学校低学年時のお誕生日会を除き、友達から祝われた記憶がない。冬休みの真っ最中なのだから、それも無理からぬところであろう。高校を卒業してすぐ働き始めたわけだが、社会人になってからはこれまたロクに祝った記憶がない。一番ひどかったのは結婚前の女房から「誕生日おめでとう」と電話をもらったのに「誰が?」と返して呆れられた時だろうか。仕事が修羅場真っ最中で年を跨いで会社に泊まり込みをしており、日付はおろか自分が何を言っているのかわからなくなるほど。自分でも忘れてしまうくらいだから、他人が祝ってくれるというのはなかなか難しいのである。さすがに所帯を持ってからは毎年お祝いがあったが、それもここ 2 年はサッパリなのは過去日記から察していただけよう。

さて、今日はどうであったか。Facebook という SNS も手伝ってか、例年よりも多くの Happy Birthday を頂戴した。Facebook ではログインすると「今日は○○さんの誕生日です」というアナウンスが表示されるから、気がついた人、さらに気の向いた人であれば気軽に祝辞を書き込める。ちょっと少なめではあるが、9 人の方からおめでとう投稿をいただいた。それとは別にメールで 1 人、ダイレクト メッセージで 2 人からおめでとうを頂いた。オンライン外では甥っこからは FAX で、そして夜には女房子供からは携帯メールでメッセージが届いた。いずれもありがたいことである。

しかしだ。ちょっと寂しいなと思うのは、直接対面や電話で「おめでとう」をくれた人は一人もいないという現実であった。甥っこの FAX は除くとして、ネットがなければ、祝ってくれる人は一人もいなかったのじゃなかろうか…。まあ、本当に直接お祝いを言われなかったかと言うと、それは正確ではない。昨晩は馴染みの飲み屋で零時を迎えたため、その際に自ら告白することで、マスターと 1 人のお客さんにおめでとうを言われたし、今日は今日で、父親が行きつけのスナックへ「呑みにいくか」と気遣ってくれ、そこではわざわざ誕生日ケーキまで用意していただいて、ママの歌うハッピーバースディでロウソクを吹き消すこともできた。これはこれで本当にありがたい。

けれど、父親のそれは別にして、縁の薄い人々におめでとうと言ってもらっても…なんというか心に隙間風が吹いたような感じではある。誰だって「今日誕生日なんですよ」と言われたら「おお、そうでしたか。おめでとうございます」と言うだろう。自分だってそう言う。だが誕生日を祝われるというのはそれだけではあるまい。プレゼントを貰ったり、こちらも社交辞令でなく「ありがとう」と言えるような日。それが誕生日ではなかろうかと思う。

とまあ、ちょっと物寂しさが残る 40 歳の日ではあったが、それでもおめでとうと言ってくれた人々がいる。そのことに感謝を持ち、来年こそは真に喜べる誕生日を迎えられるようになろうではないか。今日自分のことを思い出してくれた人、ちょっとひねくれてしまってごめんなさい。でも。心からのありがとうをあなたへ。

1/4 (WED)

ひっそりと謹賀新年…

明けましておめでとうございます。Kashi. を知る皆様にはまあ、それなりのご愛顧を賜りたく。
なんとも締まらないご挨拶で恐縮なのです。しかし去年の愚痴だらけの 1 年と日記を振り返れば、通り一遍の挨拶というのもしづらいというもので、なんとなく卑屈になってしまうのも致し方ないところなのであった。

さて 2012 年。明後日には 40 歳となり、前厄である。例年であれば 1 月 1 日には日記を認め、抱負など語るところであるのだが、振り返ってみれば有言不実行もいいところというやつで、我ながらダラシのない話だ…。

ということで今年は大仰な目標や心構えは避け、出来るだけ心に平穏が訪れるような生活習慣を心がけたいと思う。昨年の (というか今もまあそうなのだが) 自身の落ち込みっぷりは甚だしく、そこから立ち直れない自分に対しての苛立ちは他人への八つ当たりとなって噴出してしまった。悪循環ここに極まりというもので、本当にもうどうして良いやら…というところだったのである。

こうした状態というのは人を排他してしまうものだ。「どうせ自分は孤独だ」とか「誰も自分を必要としていないのだ」という思い込みは愚痴という形で他人を益々攻撃してゆく。「自分は弱っているのだから助けてよ」という叫びが、他人には「お前ら、さっさと席を譲れよ、バカヤロウ」という怒声として届いていることが分からない。他者への攻撃や非難は自分自身の自信の無さの現われであるのだが、何故か「自分は間違っていない。分からないのはこいつらのほうだ」という気持ちになってしまう。こうしてロジカルに整理してみれば至極当たり前の結果なのだが、鬱 (医学的な意味ではなく) の時というのはそんなことが分からないのものなのだ。今こうしたことが書けるのは、ある程度気持ちが落ち着いているからかもしれない。天気も良いし。

結局 Kashi. が欲する渇きを潤そうとするのであれば、自分を認めるしかないようだ。本音をいえば、今自分は無価値だなあという思いが拭いきれないし、事実として 40 という年齢、皆無と言っても良い資産、不安だらけの将来、母親の病気や家族との別居といった家庭環境、こうした現実の総攻撃はハンパ無いのである。しかし昨年分かったことはこれらに対して愚痴や不平を言ったところでなんの解決にもならないといったことであった。どうせ明るい未来などないのだから、仕事で頑張って金を貯めよう…なんてのもバランスを欠いた目標であろう。色んなことが順当に回っていれば何かひとつだけ頑張って帳尻を合わせようなんて気持ちにはならないものなのだから。

今更大きく自分を変えることは難しい。社交的ではないし、どこかで馬鹿騒ぎのできない自分がいつもいる。だから大勢とワイワイやって発散するということを心地よいと思わない。しかしそれでもこれまでやってこれたのは、自分は自分であって、他人様と比べるようなものではないという自信があったからではなかろうか。それが明るさにも繋がっていたのだろうし、不安を払拭する力になっていたのだと思う。こんな自分でもまがりなりにも愛してくれる人たちがいたのだ。そうした人たちはきっと、そうしたところに惹かれてくれたのだと思いたい。

40 歳。まあ人生の折り返しと考えても良い年齢だろう。すぐには気持ちを切り換えられないが、最悪の場合でも子供たちがなんとか過ごしていけるだけの保険はかけてある。そういえば一昨年からそのままにしておいたメール ボックスをすべて整理した。たった 2 年前には朗らかなやり取りがなされている。そうした人たちとの交流が無くなってしまったことはやはり寂しいけれど、きっと新しい出会いがあると信じよう。

人生には色々なことがある。おみくじは吉であった。まあ。悪くないんでないかい。

log

※過去ログは追々体裁を整えてから公開していきます。というかこの部分、PHP 化しないと更新が面倒すぎる。しかしそうすると、せっかく index された Google キャッシュが…。302 リダイレクトすればいいか。まあじわじわと…。

追記:すいません、全然手ェつけられてませんです。

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