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2011 NOVEMBER

11/28 (SUN)

ということで、IS03 を触ってきた。といっても以下に書く理由でほんのちょっぴりではあったが…。

最初に実機を見かけた時には見知らぬ青年がカメラ機能を触っていたので、そちらを後ろから眺めていたのだが、あくまで見た感じでは軽快に動作しているようであった。携帯電話によく見られるシャッターを押してからのラグもほとんどないように思える。その後しばらく待つと、やっとこちらの番となったのでワクワクしながら触ってみたのだが、うーむ。

やはりというか予想はしていたが、iPhone のような軽快さはなかった。カクカクッといった感じだ。これは iOS と Android の描画アルゴリズムの違いから来るようで、iOS がスクロールを優先し描画を後から行うのに対し、Android ではリアルタイムに描画を行おうとするらしい。どちらが良いか?もちろん前者であろう。特にフリック操作がスマートフォンのインターフェイスとして重要な位置を占めているのであれば、無用な描画よりも目的地への到達を優先したほうが良い。このあたりの研究はいかにも Apple 的だ。とにかく、実際の性能がどうあれ、良く言えばユーザーにストレスを感じさせない、悪く言えばごまかす手法に非常に長けている。悪く言えばと書いたが、これはユーザーにとってはなんのデメリットもない。ブラックボックスだろうがなんだろうが、自分が行った操作が確実に行われるほうが良いに決まっている。そういう意味では、やはりちょっと残念だ。今はどうやったって絶対 iPhone と比べられてしまうのだから、少なくとも操作性に関しては同等か、それを超えるものでなければ評価を得るのは難しい。

とまあこのあたりまでいじくっていたところで販売員と覚しき兄さんがやってきて「Andoroid をお考えですか?」というので、「もちろん気になります」と応える。すると「ご説明を」というので、敢えて「じゃあ Exchange に繋がりますか」と尋ねると途端に答えに詰まり「お調べできますけど…」などと言う。「あ、じゃあいいです。それより、なんで無電波状態なんですか」と聞くと「SIM が入ってないので」と兄さん。さらに「WiFi が繋がらないみたいで」と自嘲するような笑い。そして「あっとちょっとすみません」などとカウンターの奥に引っ込んでしまった。正直レベルが低すぎだ。

ということで、CDMA だろうが WiFi だろうが、通信できないスマートフォンではレビューもなにもあったもんではないので、ポイツとうっちゃらかして引き上げる。知人が予約したようなのでそれを触らせてもらえたら、もう少し精細なレビューをしてみたいと思う次第なのだ。

11/27 (SAT)

au の Android 携帯 IS03 が発売である。予約だけで 20 万台近いと聞いているが、au ユーザーとしてはそれだけ待ち焦がれていた端末であるということだろう。なにせ猫も杓子も iPhone、iPhone。対抗馬と思われた Xperia もいまひとーつで MNP する気も起きず、さりとて iPhone みたいな電波が安定せず、通話も途切れ途切れになったりするような機械はイヤだ…しかし、IS01 にしたりするのはもっとイヤ!というジレンマの中、au の本気が見えた感じで、Kashi. もわくわくした感じだ。

レビューやネットの評判は概ね良好のようである。何よりなことではないか。なにせガラケーでは定評のあるシャープ製端末で、日本市場向けのギミックがきちんと押さえられているのであれば、高評価も当たり前といえば当たり前なのだ。

あいにくと Kashi. はまだ購入予定がないのだが、モックをみた感じだと黒の梨地加工はなかなかだった。しかし、せっかくなら au オレンジの端末が差別化できて悪くないなと思うので、表面は鏡面、裏面は梨地で統一すればよかったのになあとつくづく思う。明日は外出前に量販店にでも行って触ってみよう。

11/26 (FRI)

取引先の案件終了の打ち上げで表参道にある串焼き屋へ。芸能人も来るらしく、大変に美味であったが酒はお粗末であった。ゆえにあまり感心しない酔い方をして疲れてしまう。もっとも、今週は意図せず火曜日から呑みっぱなしになってしまったので肝臓も疲れていたのだとは思うが。量だけでいえば、二升くらいは悠に空けているような…。

あと 1 か月もすれば、Kashi. も 39 歳のアラフォー大台である。少し自重せねば…。

11/24 (WED)

今の家にに引越して来てから、なんというかあらゆるものの巡り合わせが悪いように思える。引越し直後に左上腕骨の骨折、メイン クライアントの代理店切り替えによる仕事の激減、母親の病状の悪化、その他人間関係のトラブルは多数、細かな日常の不満は数数え切れない。

何もこうした人生の不調をすべて住まいのせいにするつもりはないが、目に見えない何かというのはやはりあると思われるし、家相だの風水だのを切り離して考えたとしても、本人が安心して落ち着ける家でなければ、心はざわつき、イライラがつのることになり、必然的に物事が上手くまわらなくなるというのは道理であろう。

とにかく早くこの家を出たい。マンションそのものの出来がすこぶる悪いというのもある。どれだけ換気扇を回してもちっとも湿気が抜けない風呂場、扉の重量を考えずにぶら下がりにした結果、まともに扉がしまらなかったり壁紙にキズがついたままのクローゼット、あらゆる窓はカーテンを閉めることを考慮されずに、手抜きによりビスが足りず落下したり、そもそも長さが合っていないロール カーテン、押し出し式の窓で網戸がなく、虫が入ってくるために開けられない窓、操作性と取付位置が悪く使い勝手がものすごく悪い照明スイッチ、完全に備え付けになっており、前の住人の家具の跡ががっちり残ったカーペット、いちいち動線の邪魔をする台所収納の各引き手、やたら高い位置にある上にアース線もまともにつけられないような台所用コンセント、恐ろしく少なく使い勝手も悪い収納、配管がものすごく複雑になるクーラーの設置…。数え上げたらキリがない。

なんでそんな家に引っ越したのかと言われたら、焦っていたからとしか言いようがない。子供がある程度の年齢になり、いよいよ勉強部屋が必要になった。中学生くらいまでは相部屋でもいいとしても、これまでの 2LDK では、洋室を Kashi.が仕事場に使い、和室は母子の睡眠場所。せめて 3LDK で一部屋を子供部屋に…となったとき、条件に合う賃貸がここしかなかったのである。

普通であれば、入居についてはかなり真剣に色々確認するのだが、この時は本当に時間が取れずやむを得ず…という感じであった。ついムシャクシャしてやった。今は反省しているといったところであるが、引越しというのは金がかかるのである。不景気の折、そんな予算はとてもひねり出せない。

ということで運動不足、親の介護、打ち合わせの際の利便性、気分転換などなどを考慮して現在は実家に作業環境を構築中である。過ごす時間が長い場所ほど、そこの影響は受けるのではなかろうか。少しでも良い影響が出ればと願うばかりなのである。

ちなみに、今の住まいを大家に変わって代行管理している業者、全国チェーン展開している某不動産屋であるが、とにかく対応は最低であった。入居前に言われたことを何ひとつ積極的にやらない、そして結局壁紙の修繕、畳の張り替えも行わない、壊れた郵便ポストの鍵も取り替えない、店員の態度が馴れ馴れしい、入居後 2 年になるが一度たりともなんの連絡もない。まあ思えばこのあたりからケチがついており、最初からイライラさせられっぱなしだったのだが、この様子では退去時に敷金などが返ってくるかも怪しいものだ。もちろんそんなことになったら全額取り返すつもりではいるが。少なくとも壁やら床やらの張り替えで費用がかかるなどといったら、入居前に撮ってある写真と修繕要求および未遂の書面のやり取りを見せてぐうの音も出なくさせるつもりでいる。店名はとりあえず伏せておくが、航空公園駅前の不動産屋には注意されたし。ああ、早く出たい、こんな家。

11/23 (TUE)

以前は日記と言えば日記であるから、毎日書き綴っていたものだが、今となってはとても時間が割けない。ほんの一言二言ならばもちろん可能なのだが、日記というのはやはりその日に起きたことを認めたり、感にいるところを文章にしたりするものであると思うから、それなりに手間がかかる。ちょっとしたことであれば、今はそれこそ twitter でつぶやいてしまえばいいのだ。日々何かを発信したいと思いながらも、貴重な時間を割いてまで blog をやるのは面倒だ、twitter はそう考える人のニーズにガッチリあったサービスなのだなと思う。

まあ義務のように無理矢理に日記を書くこともあるまいということで、今後はこのスタイルでのんびりやっていこうと思う。若さはないのだし、何事も無理なくのんびりが長続きのコツなのだ。

11/20 (SUN)

前の職場の後輩の女の子からご母堂ご逝去の一報を受け取る。この後輩とは数日前に飲み交わしたばかりであり、その折にお互い母親の看病のことなどを話しあったものだった。自身の健康や、お互いの親の行く末などを話し合う年齢になったということであろう。

先には女の子と書きながら、年齢でいえば 32 歳であるから、女の子というにはちょっと無理があるかもしれない。だが、先輩後輩の間柄であったころは 25 歳。まだ女の子と言っても差し支えない頃であり、意識は基本的に当時のままなのである。さて、その 32 という年齢であれば親が亡くなるにはちょっと早いかと思うのだが、彼女は末っ子であり、長兄は Kashi. と同い年ということで 38 歳だから、ご両親としてはそれなりの年齢なのである。

病床にある母に対して子供はなにができるのか、となれば、皆どこも同じようなことになるわけで、兄弟同士で分担して見舞いや世話をするというのは当然の流れだ。そして、そこで母から聞かされる言葉や態度というのもやはり似たようなもので、すべてに無気力になり、一言目には「別にいいわ」、二言目には「死にたいわ」なのである。はじめの頃こそ、そうした態度に腹立ちも覚えたものだが、それも長期間になってくると致し方ないなと納得できるようになる。

何故かといえば、彼女たちは治らないのである。治る病気であれば、励みも目標もできるというものだが、なにせガン末期だの難病だのとなれば、死は緩やかながら確実にやってくるわけで、そこでバイタリティを発揮し、克己できるというのは相当な精神力でないと無理なのだろう。せめて体が自由に動かせればまだしも、完全に寝たきりとなり、食事も制限されるとなればなんの楽しみもなく、希望が持てなくなるのは至極当然だ。事ここに至っては、家族は出来る限り見舞いに行き、他愛のない話を続けることくらいしかできない。

彼女の母上は容態こそ急変したようだが、穏やかに亡くなられたようだった。「母を看取ることができ、ひとつ大人になれた気がします」と気丈なコメントをくれたが、それでも普段はさほど付き合いのない Kashi. にメールを寄越したところをみると、それなりに境遇を理解してもらえる人間からの一言が欲しかったのではなかろうか。深夜近くではあったが、電話にてお悔やみを申し上げる。応対した声はやはり少し力ないように感じたが、寝ずの番による睡眠不足だけが理由ではあるまい。

今は葬儀の手配、弔問客の対応などにはじまり、各種手続きなどでしばらくは忙殺されることになる。そうしてやっと落ち着いた頃に悲しみがやってくるのであろう。形見分けでそれまで使っていた品々に母の匂いを感じ、かつての笑顔と優しい声を思い出しながら、その温もりを懐かしんで涙が流れるのだろう。その時には存分に泣けば良いと思う。それが人としての想いなのだから。そうして時が流れていくうちに悲しみは消え、暖かい思い出だけが残るのだ。

11/19 (SAT)

母の長期入院とその世話で父親が疲弊しきっている部分もあり、しばらくは実家で仕事をするべえと、PC 一式を組み立て OS からソフトウェアのインストールに 1 日を費やす。Windows 7 になってからというもの、インストール作業は強烈にラクになったわけだが、環境構築となればやはり時間がかかるものだ。

そんな面倒なことをせずとも、今使っている PC をそのまま持っていけば良いという向きもあろうが、仕事だけでなく、プライベートでも活用しているから、それはそれで不便なのである。新規 PC の立ち上げの何が面倒って、主要ソフトよりも、長い間使うことで出来上がっているショートカットの設定やら、細かいフリーソフトのインストールなどが面倒なのだ。ブラウザのブックマーク sync も同様であろう。このあたりは Web で共有するためのサービスなどもあるようだが、この類の設定はローカルでないとどうにも落ち着かない性分だから、ちくちくと作業しなければならない。

あらかた終わって、さああとは何かなと考えて、フォントの問題にぶち当たる。Kashi. はモリサワ パスポートを導入しており、ライセンスで 1 年間あらゆるモリサワ フォントを使い放題…ということにしているのだが、これが 1 インストール 1 PC のみでしか利用できない。これは今回みたいなケースでは非常に不便なのである。何も違法コピーをするつもりは毛頭ないのだが、せめて 2 PC での使用を認めてはもらえないかと切実に思う。あの Adobe 系スイートですら 2 PC での使用を許可されているのだ。

高品質の日本語フォントを作り出すのが一筋縄ではないことくらいは重々理解できるのだが、それでもモリサワは昔からケチすぎる値段設定だ。あまりに標準化しているから、それを使わざるを得ないというところに少々天狗というか殿様というか、そんな匂いが感じられてしまう。1 PC での使用に限定するというなら、ローカルにインストールさせるのではなく、専用サーバにインストールされたフォントに対して証明書なりによる認証をかけて、同時使用でなければ、使用 PC そのものは問わないとするように出来ないものなのだろうか。仮に 20 人のデザイン会社であれば、20 回も同じインストール作業を繰り返させ、アップデートのたびに時間を割かねばならないが、ネットワーク フォントであればそうした手間はかからない。 (もっとも速度の問題などはあるのかもしれないが…)

モリサワ パスポートそのものは良い考え方であると思うが、クラウド コンピューティングが声高に言われる中、どうせ高いライセンス料を取るのであれば、もう少しユーザーの利便性を高めてもらいたいと思うのは図々しいのだろうか。それにしても新 PC のフォント、どうしてくれよう…。追加ライセンスを買うしかないのだろうけど、なんだか悔しいのであった。

11/15 (MON)

ギリギリのスケジュールであった案件も無事終了し、一段落である。しかし段落というのは続くものであって、すぐ次の案件が待っているので油断はできないのだが、心情的にはホッと一息だ。

先日本日記を公開したが、まだメニューには works などと書かれたものが工事中状態で残っている。こちらは何を載せるところかと言うと、これまで描いてきた絵だの、愛車の修繕作業などを載せたいと思っているのだが、なかなかにまとまりがつかない。ついでに過去のものだけ載せるというのも芸がない話だ。

そんな思いもあり、時間がまったくないものだからちっとも進んでいないのだが、ちょっとしたレタッチ作品などはいくつか作っている。ちょっとしたなんていうと大層なものに聞こえるが全然そんなことはなく、ネットで拾ってきた画像をとあるテーマに乗っ取って加工しているだけのツマランシロモノだ。まあ彩りには良いかもしれない。そのうち公開させていただくが著作権に絡んでくるかなあ…まあ今更…というくらい出回っている画像を使っているのでなんとも言えないが、お咎めがあれば消せば良い。

もうひとつ常々やってみたいと思っているのが「コミックにおける作品ごとの食事風景にまつわる考察」だ。Kashi. は食べることが大好きであり、コミックに限らず小説でも映像でも食事を摂る風景というのがとても好きなのである。特に今時はグルメ漫画が全盛で、むしろグルメにすればいいってもんじゃないだろう的な面もなくはないが、ネタには困らないというものだ。もっとも当然同じようなことを考える先人たちは既に存在しており、彼らの書評は総じて面白かったりするのでそこに割り込むのは気がひけるが、書かずにおれないという気持ちになることもあるのである。

まあそんな思いがある中で、どうしても我慢ができないということでプレビュー的に書きたいネタがあり、それが菊池正太氏作の「おせん」だ。何故かって、とにかくこの漫画と 美味しんぼの 50 巻以降と来たら、読んでいてメシが不味くなるほどなのである。何故か。

まず基本的に説教臭い。というか説教なのである。説教をされながらメシがノドを通る人なんているのだろうか。否、いないと思う。その時点でもうこの漫画は失格なのだ。
現在「おせん」は文末で述べる紆余曲折から新章がはじまり、装丁とサブタイトルも新たになっているが、そちらはもう読みすらしていないので、旧作について書いていることを前もって断っておく。この作品、2 巻目くらいはそれなりに面白く読めたのだ。絵柄は強烈だから好みは出ると思うが、まあそこは受け入れられた。だが、話が、巻が進めば進むほど不愉快な気持ちになってくるのである。巻末に作者がもの申す的なコラム漫画を載せ始めたのも、その一因だ。こういうのは蛇足とか末期であって、解説や巻末コラム上から作品で語り得なかったことをリアルで伝えてしまうというのは力量不足を示すものだし、ずるいやり方だ。余談だが、2010 年 11 月現在、単行本 2 巻までが発売されている「僕はビートルズ」の巻末コラムも実に蛇足である。文章力がなく、知識自慢のようになっているから「だから何?」という感じにしか思えない。

斯様に蘊蓄を語る時というのは上目線ではダメなのである。読後感も悪くなるし、仮にせっかく話が良かったとしても最後に龍角散舐めちゃったみたいな苦々しさしか印象に残らない。然るに「おせん」はどうか。

作者がどういうつもりでこの作品を描いているのかなんてのは知る由もないが、まず読者を下に見るのは止めるべきだ。作中では主人公とその取り巻き達だけが「真っ当」であり、その他の世界の人たちは味のわからぬ愚か者扱いであるが、すなわちこれは主人公が作者で、脇役が読者というスタンスであると感じられる。そして主人公はモノのわからぬ脇役たちを折伏させるのである。例えばこのテのジャンルでは定番のダシ、鰹節の話などはパック入りのかつお節をこき下ろし、「なんでそんなもんがあるんです?」「だって買う人がいるんでやすもん」と切って捨てる。その他、例をあげれば枚挙に暇がないというやつで、四六時中この調子だから読んでいて非常に疲れるのである。

しかし、この作品の根本的な問題はそこではないのだ。やれ道具の扱い方がどうの、昔ながらのやり方がどうのといちいちお題目のように「真っ当」という言葉を強調するのだが、そういうものはすべてが「真っ当」である人間が言ってこそ説得力があるというもので、一部のことだけやらせたら超一流、だけど他はてんでダメなんて人物にそれをやらせてもただの半可通にしか見えない。主人公おせんは生活に非常にだらしなく、朝寝朝酒は当たり前、部屋の片付けもできない、世俗にも疎いという描写だが、職人の世界で片付けもできないようなのは、そもそも下の下であろう。実用品の皿を床の間に飾るのは愚かなことだが、だからといって部屋の隅に放りだしておいて良いという道理もなかろう。

そしてなにより、これは作者自身がそうなんだろうが、作品全体が下品なのである。何かというとすぐ下ネタを鏤めてくるあたりがそうだ。鰹の心臓だったかをチンコと呼ぶそうだが、それを主人公とゲストキャラの女性に「ちんこさんたまらーん!」と連呼させる必要がどこにあるのだろうか。元々この作者は何かとそうした色ネタ作品を描くから、それが出てしまっているのだろうが、作品には作品にあった描写というのがある。

さらにこの漫画の説得力のないところは、作中はもちろん、コラムでも「真っ当」とやらを謳っている割に、本当は受け売りで本人はものすごく下世話なんだろうなと思える描写が散見される点だ。主人公おせんが酒を呑むときはコップを上から鷲づかみにし、食べ物を食べるときは迎え舌。手皿の描写も多い。当然すべて和食ではマナー違反であり、そんな描写を堂々と料理屋の主人に行わせるような作者の言うことのどこに説得力が出ようか。酔いが回ったとはいえ、椅子に片足を立てて靴を乗せるなどもあり得ないことであろう。アウトローが西部劇の酒場で壊れかけたテーブルに足を乗せながらイカサマポーカーをやるのとは違うのだ。こうした行為に抵抗がないから、そういう描写になるのだと思えてならない。

そこに追い打ちをかけるようにゲンナリさせてくれたのが、おせんドラマ化と連載休止の顛末だ。おせんは数年前に蒼井優主演でテレビドラマ化されたが、まあこんなもんだろうなという出来であった。しかし作者はそれを見てひどくショックを受け、なんの宣言もせず突然連載を中断したのである。いやしくも表現者として、それが読者に対する振る舞いと呼べるだろうか。商業作品というのはオナニーではないのだ。その作品を楽しみに、それが載っていることが前提で雑誌を買ってくれることだって多い。一通り読み終わり、奥付を見てはじめて「なんだよ、また今週もはじめの一歩休みかよ!いい加減にしろよ、森川ジョージ!」とか、「下書きってなんだよ、富樫の馬鹿野郎」とか「同じようなシーンばっかりで 8 ページって少なすぎだろ、頭文字D!」とか思った人は多いのではなかろうか。金を貰って商業誌に連載する以上、休むというのは本来あり得ない。事実、秋元治などはきっちりとそれを実行できているし、他のほとんどの漫画家だってそうだ。

その後がまたひどい。コミックのテレビドラマ化なんて、おせんが初めてというわけではない。これまでもどれだけたくさんの作品がドラマ化され、原作と乖離したものになっているかなんてのは、もはや当たり前のことであって、それを知らなかったとは言わせない。察するにドラマ化=金が入ってくるとか、作品が売れるとかの虚栄が介在したのは間違いないと思うが、それを隠すようにして単行本の巻末で制作陣に文句を言うような態度は卑怯であろう。仮にそこまで自分の作品を愛しているなら、制作の話が来た段階で徹底的に口を出すべきだったのである。事実、ハイスクール奇面組の新沢基栄は、恐ろしい量の設定資料と作画見本を描き、スタッフを驚かせている。それが出来ないなら、士郎正宗のように原作を貸しただけで、一切口は挟みませんでした、と割り切るべきだ。

主観というものは十人十色だし、読者それぞれに感じるところはあるだろう。本記事で気分を悪くされたファンの方がいたら申し訳ない。しかし、少なくとも Kashi. はこの菊池正太という作者を胡散臭いインチキな人間性で看ている。故に作品も愛せない。例え、そこに並べられる料理がどんなに魅力的であったとしてもだ。初鰹や鱸の粗い、蛸飯などなど、ノドが鳴りそうなるテーマもあったというのに。旧作だけはすべて買い揃えたが、以後表紙をめくられることはなく死蔵したコミックのひとつ、それが「おせん」である。描く人が描けば魅力的な作品になっただろうと思うだけに、残念なのであった。

11/14 (SUN)

昨日の日記はあまりにも暗い内容であり、リニューアル後初公開の初っぱなから載せる内容ではなかったかなと若干反省しつつ、日記は日記なのだからまあ良いか、という気持ちもあったりする。というかもうどこかにこうした想いを吐露しなければやってられなかったという感じで、数少ないアクセスいただいている読者の方には申し訳ないです。

さてそれはそれとして、この日記、今の段階では HTML で書いているわけだが最近仕事で WordPress をゼロから構築しなければいけない機会があり、色々嬲ってみたところ、かなり細かく出来そうであることがわかった。Kashi. が WordPress を知ったのはもう随分と昔のことで、その頃はあまり自由度は高くなかったように思うものの、Movable Type に比べると自分の性にあっているように思えた。とはいえ、いわゆるブログツールであり、自分がやりたい、もしくは将来的にやりたいことが出てきた時に対応できなさそうという感じがしてすぐに見切ってしまったのである。

しかしバージョンがあがり、ブログツールとしてだけでなく、CMS としての使い方ができるようになってきている今、きちんと導入してみてもいいかなと思えている。サイト全体を構築するものとしてテーマ カスタマイズを行うのは相当大変そうだが (ちょっといじくるくらいならともかく)、ブログ部分だけで見るならかなり使いやすいし、関数系さえ理解してしまえばプラグインの充実もあり、クライアントのリクエストに応えた構築をするのは比較的容易そうだ。
まだまだ Movable Type のシェアは大きそうだが、今後は WordPress が主体になりそうな気もしている。もっともこのあたりはちゃんと調べたわけではなく、ざっくりとした感覚で話しているから曖昧ではありそうだが…。これからはブログをやりたいというクライアントも多くなりそうだし、デザイナー スキルに WordPress 導入、構築、運用なんて書けるとそれはそれで箔の一枚にもなりそうだ。複数の顧客への提案を行うときのものとして、ver 3.x から、マルチブログ管理対応になったのも大きなメリットではある。

他人様の作ったシステムで運用する怖さとか不満があって headacher.com は未だオール ハンド コーディングだったりするが、日記だけに関していえばこのあたりに移行するのは決して悪くないかもしれない。ともかくもう少しいじくり倒してからだ。それまでは当面このスタイルが続くであろう。

11/13 (SAT)

妻はブログを持っていて、日常や趣味 (多少実益もあるらしいが) についてのあれこれを綴っている。まあ Kashi. が見ていないと思って色々書いているが、そういうのを油断大敵というのだ。今さっき、それを読んでみたが、一人で真っ昼間から映画に行ったりとなかなか優雅なようだ。まあそれくらいなら構わない。好きなことを書けば良い。しかし、自分に対しての愚痴を書かれているとなると看過できるものではない。

今年の子供の運動会は雨天で 2 回延期になり、結局行われたのは 11 月に入ってからの平日だったのだが、それについて彼女は「夫は仕事で、来なかった (家にいるのに。目の前なのに。まあ仕事ならしかたない)」とご丁寧に太字で仕事を強調していた。そうだよ、仕事だよ?行けなくて何が悪い?

その下には「結構お父さんたちがいてびっくりしたんです」と続いている。こちらに言わせれば、平日に子供の運動会ごときでひょいひょい休みを取れるほうがよほどどうかと思う。大した仕事をしてないから休めるのだという感覚しかない。それでも会社勤めであれば、事前に社内調整するとか有給を取るとかできるのであろう。だが、こちとら零細の個人事業主であり、客の要求があればすぐに対応しなければならない。ましてや今は 15 日公開の案件がびちびちであり、そのために何日も徹夜していた。件のブログは 11 月 9 日に書かれたものだったが、当日記の 10 日分に書いているように、「実にキツい」日々を過ごしているのである。それにも関わらず「仕事だからこないんだ、へえ」みたいな書き方をされなきゃいかんのか。

いったい彼女は誰に食べさせてもらっているのだろう。
大好きなネットをやるためのパソコンを買ってあげたり、ネットワークの設定をしたのはいったい誰なんだろう。
完全な専業主婦で、カラーセラピーの資格を取るため、ネイルの教室に通い、自宅開業するためのセット、誰の金で用意してもらったものだろう。
客が来るときにしか掃除をせず、風呂場と洗濯槽の中は真っ黒のカビだらけなのは、ゴスペルサークルで歌を歌っているから時間の余裕がないのだろうか。
平日でなんの用事もないのに、買い物とやらに出掛けて夕方すぎに帰ってきて、出来合いの総菜ばかりを出すのは何故だろう。
こちらが打ち合わせから帰宅してみると家族で吉野家で夕食を済ませていて、こちらには冷めたホカ弁が置いてあるだけなのはどうしてだろう。
何度注意しても、食事のマナーが直らず、あれほど言っても Kashi. がいないときは子供達とテレビを見ながら食事するのはどういう理由だろう。
行ってらっしゃいも、お帰りなさいも、おはようからおやすみまで一切の挨拶がないのは何故だろう。
旦那の母親が半年以上入院しているにも関わらず、ただの一度も見舞いに行かず、具合や様子を聞くことすら一切ないのはどうしてだろう。

正直、もう結婚生活というものに限界を感じている。
子供の運動会が延期になった云々だって、こちらは聞かされていない。窓の外から「それでは○○小学校運動会をはじめます」の放送が聞こえてきて初めて知ったのだ。それで「来ませんでした」と言われねばならないのか。

正直結婚生活というものを送っていくのはもう無理なんじゃなかろうか。
こんな状態で残りの生涯を連れ添っていく自信はまるでない。
こちらは奴隷ではないのだ。
この不況下で毎月 45 万円の現金を生活費として渡すことの出来る苦労や努力を労ることもなく、家事すらまともにしない。思いやりの欠片も感じられない態度や行動。こんな人間のために、完徹までして稼いだ金の大半を何故渡さねばならないのだろう。

子供たちのためと思ってずっと我慢してきた。
だが、こんな状態を見せているほうがよほど教育に悪い。

彼女の戸籍に 2 つ目の×が付く日もそう遠くはないような気がする。
Kashi. はもう限界だ。

11/10 (THU)

今週は実にキツい。月曜日から完徹が続くような毎日で、今はもう何時間起きているのやら…。、もう普通の眠気覚ましの量では足りずに、モカの錠剤も通常量の 2 倍だ。それでも定期的にやってくる睡魔。冷えピタを貼ろうと思ったが、存外冷えピタは肌に張り付いてくれないのである。あれは横になった状態で貼るものであり、着席してる状態だとすぐにズリ落ちてきてストレスになる。なので、保冷剤を首筋やら足の甲に当てたりしてなんとか耐える。

ここまで寝ないでいると、頭がぼーっとしてくるレベルではなく、体内からジンジンと熱いものを感じるようになってくる。それでも手は動かさねばならぬ。だが敵も然るモノ引っ掻くモノというやつで、まるで出産直前の陣痛のように感覚を狭めてくる。こうした時はさすがに横になりたくなるのだが、ここで間違っても布団に横になってはいけない。たちまち負け戦となるからだ。ではどうするかというと、固い床に直接ゴロリとなる。ここで少し安静にすると意外に持ちこたえられるのだ。

だが、ここからが Kashi. のダメなところで、仰向けになってぼーっとしてくると余計なモノを催してくる。然るモノは去るモノとなるのだが、自分のモノが毒蛇の如くムクムクと鎌首だかカリ首だかをもたげ始めてくる。しかし、これは必ずしも Kashi. のダメさ加減だけではなかろう。男子は眠気を催すとそういった生理現象が現われるものだ。高校生くらいが授業中に居眠りしてる時に股間に注目してみれば、それが正しいことであると納得いただけるであろう。

起きてしまったものは是非もない。鎮めるしかないのである。だがこれは強敵であり、こちらの体力を確実に削り取っていく。だが、Kashi. は負けるわけにはいかない。全身全霊を以てこの強敵を打ち倒さねばいけないのだ。時に挫けそうにもなるが、これは己との戦いだ。

戦いはいつも虚しい。例え勝利したとしてもだ。俺の右手は汚れている、そんな殊勝な気持ちにすらなるものだ。だが俺は男。涙見せられないモノ。すぐに次なる戦いが否応なしに襲いかかってくるのだ。その時に備え、また心を磨かねばならない。哀しい今日の勝利が明日への喜びを運んでくれる。明日はどんな強敵と闘うことになるのか。フィニッシュ、いやトドメはどこで刺してやろう?そうして想像力を磨きながら、すっかり目が覚めた Kashi. はまた仕事に戻るのである。そろそろ Kashi. は目を覚ました方がいいんじゃないだろうか。

11/04 (THU)

世の中のスマートフォン市場は確かに iPhone 一色という感じであり、追随する他社製品もどれもこれも iPhone の模倣といった域を出ない。ただ、au が今冬発売していく IS03 以降の機種については iPhone との差別化をきっちり図ってきており、こちらには期待が持てる。しかし、どんなに機能が魅力的でも iPhone の持つ、あの軽快さとレスポンスと精度の高いタッチ感がなければ決して iPhone を超えることはないだろう。それほどまでに iPhone はよく出来ている。

iPhone ははっきり言って電話としての性能はまったくお話にならない。特に iPhone 4 は豪快な設計ミスも手伝って裸のままでは断線のような症状が頻繁に起ったし、そもそもソフトバンクの回線の貧弱さと来たら本当に使い物にならないというのが実感であった。

それでも人は iPhone を選ぶ。人によってはフューチャーフォンとの 2 台持ちまでしてだ。何故か。答えは至極単純で Web がサクサク見れるからである。そしてブームとなった App 群。アプリを本体 OS とシームレスに融合した設計は、電話というよりガジェットだ。ついでに電話もできるなら…と、メールや Web がメインの使い方であるユーザーにとってはこんなに便利なものはないのである。

元々アップルのアーキテクチャはとことんまでユーザビリティをあげていくという部分にあり、かつての Mac OS も、発売前からユーザーに膨大なテストをさせ、その様子を撮影し、人はどういう操作に戸惑うのか?どういったところでミスをするのか?などを徹底的に検証、改善していった経緯がある。タッチパネルの精度についても、すべてをここで操作する以上、そこにストレスがあってはならないから、他社製品とは比べものにならない精度の作りを誇り、ボリューム ボタンひとつとってもプラ成形ではなく、金属パーツの組み合わせで作っている。こうすることで剛性は上がるし、操作に不安が出ない。

日本企業のいけないところは、経済的な目線はさておくとして、会社が要求するコストダウンにたやすく迎合し、見えないところで手を抜くところであろう。かつて江戸っ子は羽織の裏にこそ気を遣うような粋を持っていたが、そうした精神はとっくに薄れてしまった。使っているとハゲてくる安っぽい塗装、すぐにキズのつくディスプレイ。iPhone はこうした妥協がなく、それが同じ価格で買えるのだ。

しかしだ。もし iPhone 成功の理由を徹底調査し、きちんとマーケティングを行い、打倒アップルを製品メーカー、キャリアが本気で打ち立てたとしたら、iPhone のシェアはかなり落ちていくだろう。スタンドアロンでは OS のアップデートもできない、セキュリティやプライバシー保護に疑問が残るソフトウェア、電池交換や部品交換にすら高額な請求がくるようでは面倒さが先に立つ。サマータイムに対応せずに、iPhone ユーザーが一斉に遅刻したなどというのはソフトウェア アーキテクチャの肝心なところが抜けているとしか思えない。ガラパゴスと揶揄される日本の携帯電話だが、もしこれらが iPhone の持つ快適さと実装したら、間違いなくユーザーはガラパゴスに帰ってくる。

もうひとつは日本におけるソフトバンクのやり方。孫社長が日々 twitter で docomo を権勢するかのような発言をしているが、ソフトバンク自身は何一つ自社で生み出したモノは何もない。創業時から「すでにあるもの」を転売したり買収したりしてきただけだ。ナスダックはどうなったか、安さが売りだった Yahoo! BB のその後は。彼らはメーカーではない。iPhone、iPhone と鼻息が荒いが、アップルが「iPhone は全キャリアで使えるようにしないと売らないよ」などと言い出したらどうなるであろう。iPhone の「次」のスマートフォンが出たとき、アップルがどういった契約条件を持ち出してくるかなど、ジョブズがいる限り何も安心などできないのである。他社に完全に依存しているような状態で業績好調を押し出すようではタカが知れるというものだ。

動向や発言が注目されている今だからこそ、ソフトバンクは謙虚になり、自社の回線の弱さを認め、日本の携帯市場停滞の原因のひとつでもある SIM フリー化を各キャリアに先駆けてやらねばならない。なんとかして市場を独占しようと、他社を批判し、けなし、一部のユーザーに迎合して twitter で声も高らかに叫んでいるようでは業界的には総スカンであろう。iPhone が無くなったとき、彼はどう対処するのだろうか。

11/03 (WED)

昨日の呑み会のお礼を出席者の皆様にメールし、それとは別に、件の女性にも幹事役を労うメールをすると早速のお返事。同様に楽しんで貰えたとのことで何よりであった。が、昨日散々空振りを続けて打ちのめされた Kashi. が今日というオフ日にまで完封されることになるとは。

メールには、宴の途中で聞けた仕事話で「久しぶりに Kashi. さんの真面目な声聞いてクラクラしました。正直危なかったですw」などと書かれているではないか。うわー、嬉しー!確かにクライアントに常駐していた頃、彼女からは同じように「声がいい、声がいい」と、しきりに言われていたのである。しかもそのあとの結びで、「ものすごく楽しかったけん、またみんなで呑みに行きたかね。祝日も仕事とか大変やけど、がんばりぃね。」などと書かれている。これは悶絶ものだ。

彼女は旦那様にラブラブであるから、あくまでからかいであることは承知しているが、これはグイグイくる。直球が途中でぐわーんと曲がるくらいの変化球だ。当然ストライクである。さらに「今度は Kashi. さん、幹事でお願いできればうれしいっちゃけど。お願いしてよか?」と書かれているではないか。やるとも!幹事くらい!その時にたくさん真面目声聞かせてあげますと返信したら、「相当ヤバいかも。でも聞きたいかも」とレス。何これ。誘ってるんだろうか。

いやまあそんなワケはないのだが、「じゃあ文学作品でも朗読してあげます」と返したら「別件で呑み会企画があるけど確定したら声かけます。その時声聞きたか」なんて返ってくる。ちょっともう、いっそのこと個室で二人きり、差し向かいに小鍋でも囲みながら声聞かせてあげたくなってきたではないか。そんな機会はとんとなさそうだが、そんな妄想が噴き出すほどのやり取りであった。呑み代稼ぐためにも仕事に励むぞ!実に良い天気の一日であった。

11/02 (TUE)

クライアントのところに一時常駐していた際に親しくなった人たちと今冬初の鍋を囲む。ブツは博多水炊き。「博多」と冠の付く水炊きははじめてだ。

本懇親会、言い出しっぺは Kashi. であるが、最初に持ちかけた人が博多出身の女性で「だったら地元に本店があるお店を新宿で見つけたから行ってみよう」ということになったのであった。初対面の人も数人いたが、Kashi. の仕事を知っていてくれたり、「社内で何度もお見かけしてました」と言ってくれる方もいて宴はなごやかに進む。そして酒も進む進む。銘酒の類ではなかったが、酒を美味くするのも不味くするのも一番の要素は同席している人々であるからして、これはこれで美味い酒なのだ。

さて先述の女性、御年は 36 歳だったかな。結婚されて 5 年目。妙齢の人妻というやつであり、Kashi. 的にはストライクなのである。もちろんストライクといっても空振りばかりなのは言うまでもない。でもってその女性が博多出身ということで、方言大好き Kashi. さんとしては、酒のつまみに是非とも口上を賜りたいということで何度もお願いしてみると、最初は「周りの人が標準語だとうまく話せない」などと言っていたのだが、酒も回り始める頃になると、「えー…」なんて言いながらも「少しなら良かよ?」などとおっしゃる。

少しだなんて言わずにどうせ話すんだから、たくさんにしていただきたい。そうねだっているうちに、別の出席者が頼んだワサビ巻きが出てきた。言わずもがな、ワサビが 9 割残りは味付けの欠片のような具が入っている巻物であるが、男性陣で口に放り込むと鼻腔を直撃する刺激。味がついてるので美味くはあるが、まあ素晴らしい刺激でガーッと酔いが冷める勢いだ。これは良い。ぼんやりした感じが飛んで気持ち良く酔える気すらする。

ということで博多女史にも勧めてみると、どうにも苦手な類の気がするからヤダとかなんとか。まあまあそんなこと言わずにと押していたら「うち苦手やけん、お願い、Kashi. さん、食べてちゃ」などと言う。食うとも!くわー!ドカンと来るぜ!ストライクに剛速球で空振り三振!なんてキュートなのだ、九州方言を話す女性というのは。これまで長崎は何度か聞く機会があったが、博多が生で攻めてくるとこんな感じか。

Kashi. は未だにモーニング娘。が好きなので、東京に来て 6 年にもなるのにバリバリの博多ッコ、田中れいなで博多弁には慣れているつもりであったがダイレクトにこちらに向けて発信される方言のなんと心地よいことよ。その後も 3:30 まで宴は続き、三者凡退続出でゲームセット。大変楽しい流れであった。たまにはこんなささやかな幸せがあっても良かよね。

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※過去ログは追々体裁を整えてから公開していきます。

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