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2010 OCTOBER

10/31 (SUN)

B 型の女の子、女性の話をしてみる。あくまで Kashi. の観察論であり、all for one というわけではない。が、ここに来て血液型ごときで人間が区別できるかい、と馬鹿にできない共通点が出てきたので検証してみたい。

Kashi. は 38 年間、たった 1 人をのぞいて、今までおつきあいしてきた 5 人ほどが何故か全員 B 型である。そして母親、妹も B 型であり、嫁もまた B 型である。縁深いのか、それも何かの因縁なのか。狙っているわけではなく、個人的には A 型や O 型の女性ともおつきあいしてみたいのだが、何故かこうなる。前世が B 型だったのかもしれない。ともかくそうした人たちに囲まれて過ごした結果、共通して見られる生態を書いてみたいと思う。

彼女たちは、普段はサバサバしているし決断は早いし行動力もあっていいのだが、他人に対する要求が多かったり理想が高いのが特長で、しかもそれが自分の中では正しいと思っているフシが看られる (もちろん時にそれはものすごく正しい)。そしてそれを自分の中で重要度の高い人にかなえてもらえないと不機嫌になり、どうでもいい人に対しては見向きもしない。

要求というのは物質的なものではない。むしろ、B 型の人たちでコテコテの物欲な人というのはあまり見ない気がする。もちろん自分の好みやスタイルはあるのだが、それがしっかり確立しており、自己分析が完了していてブレがない。だから、ある意味で特殊なファッションになったりすることもあるのだが、もちろんそれは自分のスタイルであって、他人にとやかく言われようとガンとして変わることがない。ただし恋人の意向は汲もうと試みる。それは「ねえ、こういう服を着てよ」ではダメで「俺、こういう服が好きだ」の場合だ。

物欲でなければ何か。それは行動や理念であったりする。良くも悪くも確たる持論があり、それを行動原理として生きている。だから自分が良かれとか、これなら別に構わないだろうと思ったことに対して信念を曲げず、その通りに行動する。しかし、これが相互作用となって他人に良い影響を与えるかというと、そう上手く行くことばかりではないことになる。

一例である。B 型女性は恋人のために良かれと思ってやったことがあるとする。しかし相手の男性にとってそれが好ましくなかった場合、それを指摘すると「はぁ!?」とたちまち不機嫌になる。自身の行動が相手の承諾無しに行われ、一方通行であるにも関わらずそこに気づいておらず、むしろ「あたしの何がいけないの?」という態度になる。こちらとしては「余計なお節介」であったことに対して迷惑を被り、それに文句を言っているのに、逆ギレされてしまうのだ。

いや、誰にだって都合というものがあり、気分だって変わるのである。それで良い時もあれば悪い時もある。なのに彼女たちは晴れの日も雨の日も行動が一切変わらないのだ。統計的に情報を収集し、この時期は概ね晴天続きの傾向が、しかし低気圧の襲来でところによりにわか雨とか、そういう観点に欠けている。これはかなり困る。

しかもタチが悪いことに、こちらが一旦は不機嫌になったり注意したりしたは良いものの、落ち着いてみると「彼女たちもこちらを思ってしてくれたことかもしれない」とか「あちらはあちらで事情があったのかもしれない」と思い直し、ちょっと短気だったかなと詫びてみたとしても「全然わからない」などと言いだすのである。

こちらとしては「わかれよ!」という気持ちでいっぱいになってしまうではないか。こちらが望んでいることと違う形を相手がしてきた、だから不愉快な気分になった、しかしそれは少し大人げない話だったからと誠意を見せ、歩み寄りと和解を求めているのに「はっきり言って傷ついたし、付き合い方を考えさせてもらう」などと言うのである。

毎回毎回ならともかく、たまのミステイクで人間関係の精算にまで考えが行くのかと思うと、驚愕すべきアルゴリズムだ。これは何も一人や二人に限ったではない。ほぼ大抵の B 型女性が同じことを言うのである。身内の場合はひたすらフテ腐れて階段を踏み抜かんばかりにあがっていったり、自室のドアを壁が倒れるんじゃないかくらいの勢いで閉めたりして、こちらを不愉快にさせる。そして何日もそれを引きずるのだ。

これは逆のケースもある。こちらが B 型女性にしてもらいたいなと思うことがあったとしても彼女たちはそれをかなえてくれない。そしてそれを要求しようものならやはり不愉快になってゆくのである。しかしこれは必ずしもかなえてもらえないということではないようだ。例えば秘められた財宝を探すように暗号を解読する、または爆弾を解体するためにどちらか正しいコードを切るなど正確な手順がいるのだ。そしてそれは彼女たちにしか正解がわからない。しかも時限式であり、タイムリミットがある。タイミングを逃すといつまでもかなうことはなく、まるで時効かのように消えてなかったことになる。正直ピースのわからないチクタク・バンバンをやっているようであり、まごついているとただちにバーン!と逆鱗に触れてしまう。

さてここで重要なのは Kashi. が A 型であるということだ。さだまさしの「恋愛症候群」によれば、A 型は "開き直らねば何もできず膝を抱えて目が点になっているばかり" なのだそうな。そして B 型は "人のことなど考えられずに大切な花畑平気で踏み荒らして顰蹙を買う" のである。どちらも血液型別に見られる欠点をブスリと貫いた名文句であろう。すわなちこういうことなのである。

こんな日記も実のところ、A 型の根暗さがにじみ出たものであり、面と向かっていうとまた機嫌を悪くされることを恐れての所業だし、B 型はやはりこれを読んで不機嫌になるのであろう。つまり A 型と B 型が相容れることは一切無く、いつまで経っても平行線であり、水と油、犬と猿、陰と陽、円とドル、信長と利休といった関係なのである。

それでもである。せっかく知り合った縁なのだ。そして少なくとも一度は心を通わせた者同士なのだ。長く付き合っていくことが悪いとは思えない。A 型には慎重かつ大胆な采配を、B 型には柔軟かつ思いやりの心を。それをお互い持ち寄るだけで良いではないか。所詮は他人同士、100% が重なることなどあり得ない。しかし、結果的に交わらなくとも、歩み寄る心が二人の距離を縮めてくれ、それを続けていく限り、どこまでも距離はゼロに近くなっていくのではなかろうか。

反省の多い人生である。フイに口をついた言葉が失言だったり、何気ない素振りが失態だったりもする。しかし、本心はどこまでも優しくありたいと思っている。だから失敗には指摘が欲しい。ふて腐れたり一人で結論を出す前に、言葉で教えてもらいたい。そうしてこちらが納得したならば、そちらも同じように壁を取り払ってもらいたい。崩れた壁から笑顔を覗かせて欲しい。そうすれば我慢強い A 型男子はきっと B 型女子のお役に立てるのである。

10/30 (SAT)

デザインを専攻していた男子校時代の友人から電話が掛かってきて「土曜にみんなが集まるから来て」と言われたのが一昨日の話。風邪をぶり返し、体調は万全とは言い難かったが、話に聞いたメンツで集まるのは実に 10 年振りである。前日から栄養剤と感冒薬と睡眠でなんとか体調を戻して外に出てみると折からの台風とやらで雨であった。十分に暖かくして出掛ける。

約束の時刻に 5 分遅れ、待ち合わせ場所に到着。遠方住まいの身を呪う。迎えに来てくれた S.N 君はやや目元に疲れらしきものこそ見えたが、ほとんど高校時代と変わらぬ風貌であった。Kashi. もそれなりに「変わってない」とか「若いね」と言われるが、彼ほどではなく、体型もダラシナク変わっている。しかし S,N 君曰く「ほかのみんな見たら年齢相応で安心するよ」とのこと。

果たしてそのとおりであった。席にはすでに 6 人が集っていたが、最初「誰この人!?」と思うほどに太っていた Y.K 君、すっかり髪が薄くなった K.A 君などなど。思えばアラフォーである。18 歳のころと同じであるほうが化け物であろう。そう思って席につくと、隣に化け物がいた。T.K 君ははっきり言って高校時代よりも若いんじゃないかと思えるほどで肌のツヤなども良い。驚愕すべき姿であったが、考えてみると高校時代から彼はオヤジだのオッサンだのと呼ばれる風貌であり、思想言動もまた同様であった。見た目に年齢が追いついたというか、そう考えれば辻褄は合う。

ハイピッチで酒が進む中、主役である T.O 君到着。元々今日の集まりは T.O 君の個展があり、それを見に行ったあと皆で呑もうという趣旨であった。しかし残酷な事に、集まった仲間の中で観覧に行ったのは直接 T.O 君から招待を受けた K.A 君だけであり、他は誰も足を運ばなかったという。まあしかし当時からのキャラを考えると、皆そんなものであろう。

学友との呑みとなれば、話題は当然当時の思い出話である。年齢的に健康だのの話にもなるが、通常のオヤジ同士の飲みと違い同窓が集まるとなると皆当時の年齢にタイムスリップするのであろう。笑顔はあの頃とまるで変わらぬもので、思い出という花は百花繚乱、とにかく笑った笑った。よくまあそんなこと覚えているなということばかりだが、さすがに 8 人集まればバラバラのピースもひとつに繋がるというもので、「ああ、そうだったそうだった」と盛り上がり甚だしく、話せど話せどネタは尽きない。

店を出てからは全員でプリクラ撮影へ。そういえば前回集まった時にもプリクラを撮った記憶がある。男 8 人、しかも全員四十路前の集団ともなればただでさえムサ苦しいのに、それが全員酔っぱらっているのである。これは最高に鬱陶しい。そんな状態で撮影と相成ったものの、誰一人として最新型プリクラの操作方法がわからず、そのあたりからだんだんおかしなテンションになってきて、全員でゲラゲラ笑いながら「ああでもないこうでもない」としっちゃかめっちゃか。選んだ機種は浜崎あゆみの期間限定フレームとやらであったが、そんなことはおかまいなし。とにかく 8 人がフレームに収まるとなると大変なのである。オッサン同士が顔を押し付け合い、付属のタッチペンで落書きをし、しかも最近のプリクラときたら美肌だのデカ目だのの補正がつくものだから、出来上がった写真は爆笑ものであった。

終電で T.N 君が離脱したものの、飲み足りないメンツは 2 軒目へ。まるで隔離されるかのように店の一番奥の席に押し込められつつも、女の話から学生時代の悪行まで、やはり話題は尽きぬ。先のとっちゃん坊や T.K 君はすっかり酔いが回り、ウザさ爆発であったが、それすらも愛されるキャラクタとしてイジられていた。ラストオーダーとなり時刻は 3:30、T.K 君、K.I 君、S.N 君、Y.K 君は始発までマクドナルドで時間を潰すとのことだが、Kashi. は病み上がりのせいかヒットポイントに余裕がなくなり、タクシーで離脱。再開を約束して別れる。

盛大に呑み、盛大に笑ったせいか、風邪自体はすっかりよくなったようだ。Kashi. は普段付き合いしている友人が極めて少ない。長年仕事をしているうちに都合が付かないとか、生活が変わったりとかで一人離れ二人離れという感じである。そんな中では新しい友人というのも出来づらいのが本当だが、それだけに同窓の仲間たちとの会合は楽しいひとときであった。時が過ぎ、皆変わった。青雲の志を抱いて今なお芸術の道を進む者もいれば、早々にデザインとは違う道を歩み、家族を養う者もいる。しかし本質は皆何も変わらぬ。

男子校であることも良かった。ここに女子の同級生がいたりするとちょっと違う様相になっていたのではないかと思うが、そうした余地は一切無い。入学初日からケンカが始まったり、プレハブの仮校舎で全員で貧乏揺すりをしたら建物が倒壊しそうになったり、地下階の作業室のマンホールをこじあけ下水道で煙草をふかしたり、修学旅行でボートから転落し海に落ちたり、備品を壊したりと、そんなことばかりをやって馬鹿笑いしていた日々。体型は変わり毛髪は薄くなっても、確かに皆ピカピカの青春を送っていた。あの頃を思い出し、腹の底から笑って、皆また明日に向かっていくのである。今は無き H 学園高等部デザイン科 42 期生の仲間達に乾杯。また呑もう。

10/27 (WED)

メールにほんの一言添えるだけで、受け取る側の感じ方が変わる。メールだからこそ大事なことだと思う。それを求めすぎるのは間違いなんだろうか。

10/26 (TUE)

かつて交流のあった仲間達は今何をしているのだろう。そんな風に思ったとき、昔であれば思いを馳せるか人づてに噂を取り寄せるしかなかったが今はインターネットの検索というものがあり、探そうと思えばいくらでも探すことができる。

なにせ mixi や twitter、ブログだって十分な情報源だ。直接ワードが無理でも and/or で関連キーワードや、参加が想定されるコミュニティ、足あと、フォロワー、ブログのコメントやトラックバックなどなど、情報はうなるほどある。要は根気の問題とちょっとしたヒラメキであり、テクニカル的に難しいことではない。Kashi. も時に好奇心にかられ、そうした人たちを探してみることもある。しかし、ヒントっぽいものが手に入ったくらいの段階で止めてしまうことにしている。なんだか浅ましい感じがしてしまうのだ。

縁があればまた会える。なにも無理にほじくり返す必要はないし、Kashi. はコンプレックスが激しい人間だから知人やかつての友人の成功事例なんぞを見つけたら僻んでしまうかもしれぬ。わざわざ心根が卑しい人間なのだなと自己嫌悪に陥ることはなかろうよ。

そんな自分でも時には探される対象になってほしいとフト思ふこともある。何かのはずみで誰かが自分を思い出しすこともあるかもしれない。だから Kashi. は 10 年前から Kashi. のままであり、独自ドメインもずっと headacher.com のままだ (単にこのドメインを気に入っているというのもある)。

探されることを切望しているわけではないのだが、コロコロとブログを移転したり、サイトを閉じてしまったりするのが当たり前の世の中だ。10 年前のブックマークでリンクが生きているものは極少数であった。であれば、たまにはずっと変わらないアドレスがあっても良いだろう。Kashi. はいつだってここにいる。

10/25 (MON)

先日、自分のことをとても愛してくれている人に、その想いに応えられないことを告げた。ここで多くは語る必要もない。

Kashi. が既婚者であることは分かっている。しかし、遊びや快楽のためではなく真剣に想いを伝えてくれ、どこまでも優しく親身だった。時に想いが溢れ、秘めた激情が迸ることもあったが、すぐにそれを噛み砕くことのできる聡明な女の子。本当はもっともっと言いたいことがあったであろう。「そっか」と言葉に詰まった時も、きっと抱きしてめて欲しい、手を繋いで欲しい、髪を撫でて求める言葉を言って欲しかったと思う。誰だって愛する人にはそうしてもらいたいだろう。まして女の子であれば、なおさらに。

今はまだ得心することができないようだ。話をする中で、応とする時もあれば否とする時もある。すぐには呑み込めないから時間をくださいと彼女。いつかは呑み込まねばならない時がくるのだが、今は流されてしまわぬよう、ゆっくり待とう。

想いに応えることは出来なかったけれど、自分を愛してくれた人を忘れたくはない。Kashi. はとても忘れっぽいから、せめてここに記したい。ありったけの愛情をありがとう。どんなにあなたの優しい言葉に助けられたか。Kashi. は心からあなたの幸せを願っています。

10/24 (SUN)

一応このサイトは Google Analyticsと ウェブマスター ツールに登録している。効果測定というほど大したことをしているつもりはないが、Web デザイナーという職業上、このテのツールを知らないでは済まされないし、解析を希望する顧客も多いのである。なんといってもタダだ。タダほど怖いものはないということで、どんな情報を抜かれているかはわからないが、とりあえず実害はないので良しとしよう。

さて、Google Analytics。便利なようではあるのだが、痒いところに手が届かないというか、ビミョーな感じ…。もっとも本来はそこまで必要ないのだが、どうせ OS や プロバイダを調べてくれるなら、OS のバージョンやプロバイダも IP レベルで集計して欲しかった。

もうひとつのウェブマスター ツール。これはこれでリンク エラーがすぐわかったり robot.txt の生成が容易に行えるので便利だ。しかし、初回登録時、htaccess によって海外ドメインからのアクセスを弾いてしまっていたためにクロール エラーとなってしまった。こちらを修正し、robot.txt を生成し直してアップロード。さあいつだ、まだ反映されないかと待ち続けた結果、約 20 日程度でクロールされたようだ。

おかげでとりあえず Google と Yahoo! では「headacher」で 2 番目に表示されるようになった。今は 1 番目になんだかやたら目に悪く、人によってはてんかん発作を起こしそうな画像が表示されるサイトが来てしまっているので、これを抜くことが目標である。残りのコンテンツもさっさとアップロードしたいものだ。

10/23 (SAT)

今週月曜日に風邪をひいてからというものの、あまり食欲がない。加えてそんな体調でも容赦なく打ち合わせや取材なんかが集中してくれた上に、訪問先が皆悪名高き都営大江戸線を最寄り駅としているものだから、まあ歩くこと歩くこと。幸か不幸か、先週から筋トレなどはじめていたせいで体重は順調に減りつつある。

体重だけで見ると Kashi. は軽肥満といったところなのだが、完全なデスクワークで SOHO 故にとにかく運動不足が甚だしい。おまけに徹夜が続いたりすると、ついつい清涼飲料水やらおつまみ的なものをポリポリやっていたものだから、体重の割に筋肉がなく脂肪が下腹部に溜まるというイヤな体質になってしまった。しかし、ふと姿見を眺めた際に、強烈に醜い体の自分がそこにあり、許し難くなったのである。

健康のために痩せようとは思わないのだが、見栄えのためには痩せたい。しかし、この仕事体力が資本だから運動もせずに食事だけ抜くような不健康ダイエットは好ましくない。ということで、適度な筋トレと階段の昇降、そして徹夜中でも間食をせず飲み物は水かお茶という生活を続けてみた。

結果、わずか 2 週間で体重は 5kg 減、ウェストは 4.5cm の減少と目覚ましい成果だ。ベルトは一番内側の穴でも余り、ジーンズは尻がだぶだぶである。問題はここからで、だんだん体重は減りづらくなっていくから、ここでくじけてしまうと強烈なリバウンドが待っている。それだけはなんとしても避けねばなるまい。年内中には 65kg に到達したいところ。そして正月のモチの誘惑に打ち勝つことが目標だ。強い意志を以て完遂したい次第。

10/21 (THU)

ちょっと前、何やら Windows Update が再起動を要求してきた。XP くらいまでは WU を自動化していると、たまにとんでもないパッチを当てられ設定をやり直したりするハメになっていたが、それも後半には解消され、Windows 7 になってからはほとんど不都合がなかったのだが、久々にやらかしてくれたぞ。

トラブルは主に Windows Media Player 関連である。これまで 3GP は QuickTime、DivX などは VLC Player など、メディアごとに再生アプリケーションを分けていたのだが、それがすべて WMP に登録されてしまった。はっきり言って大変不便なのである。WMP ほど面白みがないプレイヤーもない。誰でも簡単に触れるという点では意味のあるものかもしれないが、痒いところが出てくるとまったく役不足で、いくらボリボリ掻いてみたところでどうにもならぬ。

しょうがないのでエクスプローラから 1 種類ごとに割り当てを変更したりしていたのだが、とある MP3 を再生しようとした途端、WMP が起動した。しまった音楽系の関連付けを忘れていたか…と思いつつ画面を見ると、WMP の初期設定画面になっており関連付けも再設定できるらしい。

おう、良かった…と思ったのも束の間、WMP で再生するメディアを選べということで拡張子の前にチェック ボックスがあるにも関わらず、それらがチェック済みになったままグレイアウトしている。どんなにカチカチやってもまるで反応しない。なんと意地の悪い設計思想であろう。しょうがないのでやっぱりエクスプローラからちくちく直す。

マイクロソフトはいい加減こういうところを直した方がいいと思う。本当に、本当に、君が大好きだったから、いやそんな馬鹿な。でも本当に。

10/20 (WED)

メール依存症というものがあるそうな。一日の中のメール送受信の頻度が高く、相手からの返信が来ないと焦燥感や不安感に駆られ、時にはイライラする。また送信したばかりや、届いていないと分かっているのにメール チェックを頻繁に行うようになるとか。

そこまでになってしまうと依存症の名の通りカウンセリングなどが必要になってくるのだろうが、Kashi. だって、それほどではないにしても送ったメールの返信が来ないと「どうしたんだろう?」と思うのはやっぱり人の常であり、はじめは楽しみに待っていたものが不安になるのもやっぱり分かるのである。思うに、手紙であれば制作に手間がかかるし、到着までに時間がかかるということも理解しているが、メールは即時性があるために、あたかも「目の前にいるかのような」錯覚があるのではなかろうか。特に、常日頃しょっちゅうやり取りしていて、返事もすぐ来る相手なのに、それがパッタリと途絶えたり時間がかかるようになってしまうと、「何があったの?」となるものだ。

さて世の中の女子はかく言う。その結果がこちらだ。リツイートばかりでオリジナルがどこかはすでに不明だが、これを自己中と思うか、恋する乙女の傷つきたくないという複雑な感情の揺らぎと感じるか。Kashi. は答えが出ないのであった。

10/19 (TUE)

さあて、久しぶりに鬱陶しさと屁理屈爆発の日記でも書こうではないか。

西武新宿線のていたらくときたら憤懣やる方ないものがある。かつて実家に住んでいた頃は新井薬師前というところが最寄り駅であった。ここは新宿まで 15 分程度で大変快適だったのである。そして結婚して新居を決めるにあたり、経済的な都合から所沢に居を構えることになった。同じ路線の延長線上だから単純に 30 分時間が延びるだけだと簡単に考えたのが大きな大きな失敗であった。

新井薬師は高田馬場からわずか 3 駅であり、各駅停車の電車はだいたい急行などと交互に来るのでさほどの問題はない。しかし所沢に行こうとすると、本川越行きというものに乗ることになるのだが、新宿線は行き先がいくつもあり、途中で分岐してしまうので、目的の電車が来るまで各停時代よりも大幅に待ち時間が増えたりするのである。例えば、

  • 15:03 快急・本川越行き
  • 15:05 急行・本川越行き
  • 15:07 各停・本川越行き
  • 15:13 準急・本川越行き
  • 15:16 各停・拝島行き
  • 15:19 各停・玉川上水行き
  • 15:23 拝快・拝島行き
  • 15:29 各停・上石神井行き
  • 15:33 特急・本川越行き
  • 15:35 急行・本川越行き

というダイヤ パターンがある。これは 2010 年 10 月現在実際のものだが、13 分の準急を逃すとなんと 33 分まで本川越行きの電車なく、それも特急であるから別料金 350 円がかかるのである。都内の電車で 20 分も待たされるなどということがあっていいのだろうか。あり得ない。いやいや待て待て、例えば 23 分の拝島快速に乗り、途中小平あたりで本川越行きに連絡すればいいじゃないかという意見もある。確かに乗り換えれば先に着くことは着く。しかし、本川越というのは大変に遠いのだ。出来るなら途中で乗り換えることなく、だんだんと乗客が減っていく中で座れるものなら座りたいのである。だが、乗換を行うとそこでリセット。ひたすら立ちっぱなしになることだってザラだ。

また同じ西武線でも、池袋線は所沢~池袋間を急行利用時に 23 分で結ぶ。然るに新宿線は所沢~高田馬場間が 30 分もかかるのである。JR 山手線で高田馬場~池袋間は 4 分の距離だ。もちろん路線の敷設されている長さに差はあるから多少のズレはしょうがないところもあろう。しかし同じ急行でほとんど都内の同じ場所に行くのに 7 分の差が出るのは腹立たしい。何故かというと、池袋線急行が所沢→ひばりヶ丘→石神井公園→池袋と、中間停車駅が 2 つなのに対し、新宿線は所沢→東村山→久米川→小平→花小金井→田無→上石神井→鷺宮→高田馬場と、5 つも余計に停車するのである。これが同じ鉄道会社の急行と言えるだろうか。7 分は微々たるものかもしれないが、これだけ頻繁に止まられると体感としての快適度がまるで違うのだ。

しょうがないので公称 24 分で所沢と高田馬場を結ぶ特急に金を払って乗ることになるのだが、ちょっと待たれよ。さあここに通常運賃だけで乗れる快速急行というのがある。これは特急とわずか 1 分しか所要時間に差がないのだ。たった 1 分のために 350 円!なんというお大尽であろう。だったら快急に乗ればいいじゃんと思うだろうが、これがまた本数がちっとも走っていないのである。特急はすべての列車種別で最上位であるから特急が走ると各停やらなんやらの電車は通過待ちをしなければいけなくなる。これがまたストレスなのだ。特急と通常列車を同じホームで共有するものだからどうしてもロスが出る。池袋線は池袋に特急専用のホームがあり、他の列車を阻害しない。

はっきり言って快急さえあれば特急の意義などほとんどないのである。要は必ず座れるかどうかといっただけなのだが、1 時間に 2 本運行する特急を廃止し、快急を増やせばもっと多くの乗客を一度に運べるのだから、全体的な混雑緩和にもなる。そもそも金を追加して特急に乗ろうと思うのは朝と夜の疲れたくない時がほとんどで、その他日中の特急は指定席を無視して座っても何も言われないくらいガラッガラなのだ。そんな空荷の列車が走るために通過待ちが発生する。非効率と言わずしてなんと言おう。

斯様に問題の多い特急だが、それでも定刻通りに走ってくれるなら確実に座れもするし楽ではある。しかし、これがまたちょくちょくと遅れるのである。ひどい時には 38 分かかったこともあった。様々な状況で遅延はやむを得ないものではあるが、特急というのは早く着くから特急なのであって、それに対価を支払っているのだから、ここまで遅れたら料金を割り引くなど何かしらの措置をしていただきたい。また、人間ついうっかり寝過ごしてしまうということもあるが、この路線でそれをやるとしっかりと乗り越し分も追加料金を取られる。改札口を出ないにもかかわらずだ。これはもっともと言えばもっともなのだが、駅員にその旨を告げたときの「いや、それは無関係で料金は料金なんで」という冷たい態度は忘れられない。もうちょっと温情ある接客でもいいんじゃなかろうか。

とまあ、ツラツラと不満を述べたが新宿線はこちらや、こちらなど他にも不満を持つ人がいるようだ。すべての人が思うとおりに快適な電車などはあり得ないわけだが、それでも「これなんのためにあるの?」「なんでやらんの?」と思われるような状況については真剣に改善を進めていくべきではなかろうか。

西武鉄道には他にもわんさか不満がある。全然やる気が感じられず、もうどこかに身売りしたら?と思えるほどだ。いずれ折りを見て書いていきたい。

10/18 (MON)

久々に風邪をひく。普段病気なんぞほとんどしないのでたまに病気になると「ああ、これでムダに払っていた国保を活用できる」などと思うのだが、億劫さが先に立ち病院に行かないのでやはりムダになるのである。

国保は中流家庭の経済を直撃する極悪制度であり、改善を強く要求したい。病気になる確率は富裕層から貧困層まで誰だって同じあり、国民あっての国という言葉もあるのだから、そこは平等公平な支払いをお願いしたいものなのである。消費税もそうだが、必須の生活基盤となる医療や食料品などの税率はゼロないしは極めて低いものにし、煙草、酒をはじめとする嗜好品や、毛皮やら高級スポーツ カーといった完全に趣味の世界のシロモノには高税率にする。

内需拡大と各種産業の国内生産率を高め、人件費が安いという理由で国外の労働力をアテにするのではなく、基本的にすべてのものは made in japan として、作るのも買うのも日本。そしてモノなりの適正価格を設定し、それぞれの製品、商品を流通させ、スーパーで買おうが個人商店で買おうが値段に大きな差がないようにする。そこから先は企業努力であり、いかにエンド ユーザーが喜び、リピート率を高くできるかは月に一度のスペシャル プライス デーであったり、店主の人柄やらきめ細かい顧客へのケアだったりする。値段が同じだからと殿様商売で客を見下す商売をするところは自然と客足が遠のくであろう。

産業の種類によってもそれぞれがハッピーになる方法を考えたい。毎年のように野菜の高騰が叫ばれるようなことのないよう、ものが足りてなかったとしてもある程度までの値上げで留まるようにし、農家への損失補填は国および他の娯楽産業などが行う。安売りをするということは、どこかが無理をしているからであり、奥さんが 50 円安い大根を買うたびに、流通に携わる旦那の給料はコストカットにより 1 万円減額されているかもしれないのである。高いものは高いのであり、それを刹那的な客寄せで安売りしていては未来がない。裕福とまではいかなくても、日々の生活で可もなく不可もない程度の生活水準をキープ出来れば、おのずと景気は安定するだろうと思う。経営者がクビをくくらねばならないような世の中ではなく、経営者がより事業で国に貢献できるような仕組みにしていかねば、この国の未来は暗い。

ああ、熱のせいでなにを言っているのかよくわからないのであった。

10/17 (SUN)

調べ物をしていて、「ホームページの作り方」なるものを紹介しているとあるサイトにたどり着き、なんとなく眺めていたところ、そこかしこに誤りを発見した。結構看過できない内容であったので、ついメール フォームから指摘してしまう。もっとも Kashi. 自身も未だに誤りは多く、CSS に至ってはかなりデタラメでもあり、偉そうに言える立場ではないのだが…。

そのサイトでは h1 の複数使いを禁止していたり、h1 をページ タイトルとして使うことを推奨しているかのように記述されていた。しかしこれは誤りである。何故か h1 は 1 ページにつき使用は 1 回のみとしているようなところがあり、某大企業のアクセシビリティ規定でもそのようになっていたりする。しかし h1 は最も大きいレベルでの見出しであって、それがページ内に複数あることがなぜ問題になるのであろうか。例えばあるプロダクトを紹介するページがあり、そのページでの伝えたい大きなテーマが 1 つは製品紹介、もう 1 つは試用版ダウンロードだったとしよう。これら 2 つは明らかに異なるコンテンツであり、しかも制作者がどちらも重要とするのであれば h1 が 2 つになっても良いのである。

考え方によるものかもしれないが、W3C のサイトでは堂々と h1 の複数使いをしているページがいくつもある。ついでに h1 が複数ある場合、リーディング ブラウザなどでも重要項目として抽出が可能であったりとアクセシビリティ的にも問題がない。

ということで連絡したのをすっかり忘れていたのだが、メールをチェックしてみるとサイト オーナーからの返事が来ていた。どれどれ、と見てみると正直お話にならない内容であった。

曰く、「ホームページ作り初心者には必要のない情報であると思います。だから一番簡単なルールだけを伝えることを考えています。Web 標準は必要になれば学ぶだろうし、そもそも W3C のルールなんて守れているサイトはほとんどないです」とのこと。はっきり言ってお粗末と言わざるを得ない。初心者だからこそ正しい知識が必要なのである。段階を踏んで教えることはもちろん必要だが、だからと言って「h1 は 1 回しか使えません」というのは明らかに間違いであり、見出し構造の概念などは国語の話であるから html とはなんの関係もない。

また「W3C のルールを守られているページがほとんどない」というのも今時相当に時代遅れな認識だし、そもそも何故守られていないのかといえば、html を学ぶ段階で間違った知識を受け付けられているからに他ならない。そうした知識を正しく伝えてこそのラーニング サイトなのだが、どうにも意識が低いようだ。

また情報発信した日付もついておらず、そのことも指摘したが、「たいしたことも載せていないし、ブログっぽいから載せていない」との返事。これまた情報発信する側としての意識欠如であろう。書籍などと違って Web の情報はいつでもフレッシュに見えてしまうのである。一定期間以上経つとだんだんページが黄ばんでくるようなシステムが世界標準になったら面白かろうと思うのに、生憎とそうした技術に期待できない今、情報の掲載日というのは大変大切なのである。

子供に箸の持ち方を教えるのに「子供だから出来なくてもしょうがないよね。大人になってから直ればいいもんね」ではダメなのである。子供だからこそ何度も間違える。だから教える側は何度も根気よく、正しい持ち方を教えなければいけないのである。間違った持ち方で覚えた子供が大人になったら直っていたなんて話は聞いたことがない。

件の管理者に一度は長々と返事を書いたが馬鹿らしくなって送信をキャンセルしてしまった。これまでは悪貨が良貨を駆逐していた。今後はどうなっていくであろうか。

10/14 (FRI)

Kashi. はここ数ヶ月、プライベートで色々とあってかなり気分に波があったり、ひどい時には本当に四六時中イライラして部屋に籠もりっぱなしになる時もあったのだが、今日突然霧が晴れた。子細は書かないが、あれほど心を支配し辛い気持ちになっていたものが、同じ事柄に対して考え方や解釈を変え、それが腑に落ちるだけでこうも変わるのかとちょっと驚きだ。

普通はこうした状態は時間をかけてゆっくり直していくものなのかもしれないが、本当にパチッとスイッチが切り替わり「あれ?待てよ?ひょっとしてこういうことか?」と瞬時に切り替わったものだから、慌てて検証のためにテキストを書き起こしてしまったほどなのだが、それはより明確に道を開く結果となり万々歳。

正直あらゆることに無気力になっていたのだが、これで活力が湧いた。いやあ早まったマネなどしなくて本当に良かったというものである。もったいないところであった。

ところで霧が晴れたと言っても、それは暗中模索五里霧中の状況が変わっただけで、立ち向かわねばならぬ現実などはやっぱり残っている。だが、気力が出たということは踏み出せる準備が出来たわけで、それまでの不安感はない。むしろ、じゃあこうしたらどうだろう?などと考える余裕が出てきた。

Kashi.はそこまでの段階には行かなかったと思うが、世の中にはもっと酷い鬱や適応障害などにかかっている人もいるであろう。実際に体に影響が出てしまうような事態は医者に行き、適切な処方をしてもらうのが良いと思うが、そうでない自分の内面に荒ぶる波があるようであれば、一度それに対して今までの考えとは別の視線に経ってみると良いと思う。本当に気持ちって変わるんだというのを実感できる時が来るのではなかろうか。

10/13 (THU)

二日前のニュースというか記事で「女のコの味方~ピル服用のすすめ」というものがあった。なるほど、随分と軽いノリではないか。もっとも記事は生理痛の軽減などの効能をメインにしているからなんだろうが (本当の意図はわからない。大義名分かもしれない)、日本でピルはまだ別の印象があるのだから、物書きであるならそのあたりも考慮して表題をつけてもらいたいものだ。

さておいてピル。セックスを愛の証としてだけでなく、単純な男女のコミュニケーションとしてカジュアルに楽しまれるような形になってきた昨今、もうこのあたりの薬はタブー視するのではなく、積極的に取り入れてしまっても良いんじゃないだろうかという気がする今日この頃。コンビニで取り扱い、女性側が「あっ、ちょっとコンビニ寄って。新発売のピル買ってくるから」ってなくらいお気軽に。

男はヤりたい、女もヤりたい。諸条件、状況、事情、環境、個人の性癖などなど、子供が出来たらやばい、けどセックスはしたい、でもゴムはイヤ…なんて言うのであれば、女が自らピルを服用することに男からなんの異論があろうか。男女ともに無用なリスクを背負うことなく、確実に安心と快楽を得られるのであるからして、これはありがたい話というものだ。

Kashi. は 11 年前に子供を授かり、然る後結婚した。そして 3 人目の子供は妊娠の兆候に気づいた数日後、流産であることを医者から告げられた。言葉では尽くせぬ感情が胸を締め付けたのをよく覚えている。加えて書くと Kashi. には弟がいたはずであった。生まれてすぐの死産と聞いている。カトリック系の産院で洗礼名をもらい、天に昇っていった顔も知らない弟は、生きていたらどんな男になっていたのだろう。ほんのわずか、母は弟を抱いてあげられたそうだから、きっと安心して召されたはずであると思いたい。

誕生。生涯に遭遇するあらゆる大惨事のうち、最初で最悪のもの。その性質は千差万別。…と、ビアスは著書「悪魔の辞典」の中でそう書いている。一理あるし、痛快な皮肉を書いた本であるから、高尚なブラック ジョークとして受け止めよう。しかし、出来ることであれば、すべての誕生は祝福されるべきものであって欲しい。それは妊娠したその時からということでもある。

子の誕生を望まず、今を楽しみたいだけであるならば存分に愉しめるようピルを飲む。そうした手段がきちんとあるにも関わらず、それを怠ってダメージを受けるのは間違いなく女のほうなのだから (男は単に居心地が悪くなる程度のものだ)、ぜひそうしてもらいたい。

堕胎。
「そうなったらそうなったでしょうがないしね」などと思っているよりも、遙かに辛い気持ちを抱えることになると思う。そうならないならば良い。しかし万が一、もし望まない命を授かってしまったその時は、せめて相手の男があなたのことを想い、しっかり男としての筋を通してくれることを心から願う。世の中のすべての女子へ、心から。

10/12 (WED)

ただいま時刻は 22:00。完徹 2 日目が終わろうとしている。途中何回か 30 分くらいの仮眠は取っているが、一昨日の朝からほとんど寝ていない…。そして恐ろしいことに今日も徹夜なのである。デザイナーなんて商売はするもんじゃないですな。

先ほど提出したものは月曜の日記に書いた FLASH 案件の初校。これで明日戻しがあって、修正して明後日納品。その戻しが来るまでの間に他の案件を片付けねばならないために徹夜というわけです。もうなんだか目の奥がジーーンとするし、疲れてるのは確かなのだけど、こうなってくるとテンションはあがるようで、目は冴えてくる。なにせ明日 14:00 締め切りなのに手つかずなのだ。わはははは。

本当はこういうやっつけ仕事はまったく誉められたものじゃない。どこかが雑になったり間に合わなくなったりするものであって、お客さんにとっても失礼だし、自分のためにもならない (心身ともに)。まあ今回はエマージェンシーすぎたので致し方のない部分もあるのだが、実は今さらに 3 つも別件を抱えていたりする。さすがにこれ以上は無理だ。

こういう状態で OK が出たものというのは、納品したあとでもいつまでも自分の中にひっかかる仕事となる。戒めねば。しかし金を稼がねば、本当にやばい。良質の仕事をこなして良い報酬を貰えるように、さあ仮眠だ。
誰か起こしてええ。

10/11 (TUE)

今回のサイト リニューアルにあたって、かつて使用していた CGI を再利用すべきかちょっと考えた。このサイトが一時停止していたのは 2006 年のことで (!) 、その当時から比べるとネット テクノロジの進化がハンパないのである。基本的な html は 10 数年前からなーんも変わらないのだが、利便性というところにおいて Web 2.0 が提唱され、今や個人サイトといえば blog を指すのが当たり前であり、WordPress などの blog/CMS ツールも充実している昨今、いちいち html をハンド コーディングすることにどこまでの意味があるのかは正直疑問でもある。

とはいえ、仕事で使ったり自前のサーバを建てられるならそうしたシステムを利用するのも悪くないのだが、どうにも既製のシステムにすべてを委ねる気にならないのである。これはこうして書いているソースは Kashi. にとっては紙媒体となんら変わらない大切な資産でもあり、いくらログやソースをエクスポートできるとはいえ、サーバありきでローカル上での編集や確認、保存ができないというのは得も言われぬ不安のようなものがあるのだ。

時代遅れと言えばそれまでだと自分でもハッキリ自覚しているし、ネットに繋がってさえいれば携帯からでも更新が可能な blog というのは利便性が高く、正直ちょっとした憧れに近いものもある。それでも、そのシステムがある日突然開発終了になったりしたらどうすれば良いのか?とか余計なことを考えてしまうのも性分だし、ソースをちくちく編集するというのは「書捨て」にならずに、推敲する時間が取れて良いとも思える。

手間がかかるというのは、それだけ面倒なわけだから、思い入れがないと出来ない。そういう意味ではちょっと誇らしくもあるし、まあ一人くらい前時代的なハンド コーディングでサイト構築をする人間がいたっていいんじゃなかろうかと思うのだ。

ということで冒頭の話の続きであるが、CGI 各種。Kashi. は Web デザイナーなどと言っておきながらプログラムまでは組めないので、どうしても既存のものを利用せざるを得ない。いきなりこれまで語った内容と矛盾してしまうわけだが、こればかりはどうしようもないのである。出来るところまでは自分でやるということで勘弁いただくとして、アクセス解析の CGI なんかは再利用することにした。さすがにちょっと古い内容で、アップデートを確認したところ、すでに作者の方は CGI 配布を中止していたようなので、今時の OS やブラウザのエージェント情報部分は改造させていただくことにした。

幸い作者の方のサイトはまだ継続されていて (案の定 blog になっていたが…)、twitter でコンタクトを取ることができた。幸いに改編を快諾いただけたので TOP ページのアクセス解析として使用させていただいている。多少なりではあるが今回自分の手を入れたことで愛着も出てきた。作者ご自身から手離れしたソースではあるが、手作りであることで他人が使い続けるようなこともあるのである。もっとも本サイトが誰かに再利用されるなんてことはないだろうが…。

10/10 (MON)

Kashi. はどうも人のやらないような仕事を低賃金で請け負うせいか (当方の自覚はあまりないのだが…)、時として駆け込み寺のようになることがある。今やっている仕事がまさにそれで、制作期間 1 週間で某展示会向けに A5 リーフレットと展示 PC でループさせるための FLASH を作ってくれと言うことになった。

リーフレットはともかく、FLASH なんて Macromedia 時代の MX しか触っていないから正直お断りするつもりでいたのだが、ともかく話だけでもと打ち合わせに同行したのが運の尽きで半ば流れでやらざるを得ないことになってしまった。もっとも経験からいえば、打ち合わせに参加=受諾ということであるからして、これはこちらのせいなのである。

しかしあまりに制作期間が短い。ということでシナリオから素材からすべて用意していただけた上で、動きも PowerPoint で作ったモノを移植する…という条件をつけさせていただいた。それならばということで届いた PPT を見てみれば、思い切りこちらの読みが甘かった。素材といってもロゴくらいで、ほとんどのグラフィックは描かねばならないし、要求されるアニメーションも PowerPoint レベルではない。こちらとクライアントの温度差がすごかったということであろう。こちらは PowerPoint で移植となれば、動きも当然その程度であると思っていたが、向こうは「単純に PPT でシナリオを渡す」という理解だったようである。さもありなん。

一回受けてしまった案件だから断ることもできないし、今断ったら展示会という性質上、思い切り穴が空くことになる。それは避けねばなるまい。しかし何よりしくじったなあと思うのはコストであった。ここまでの内容であれば 3 倍ほどのコストをかけても良い内容である。これは痛かった。

まあ外注に出さなくてほんとに良かったとは思うが、今回のことは別段気にはしていない。良い勉強になったし、次回から気をつければ良いだけの話である。もっともエージェンシーだけは「話違うよね?次回からはこういうことじゃ困るぞ」とじっくり念押しさせていただいたけれど。さーて、今夜も完徹だ。Hard dey's a night.

10/9 (SUN)

そういや何日か前からアップロードは始めてるのに、ちぃとも Google 先生に表示されないなと思っていたら、.htaccess で日本系以外のドメインを全部弾いていたことに気がついた。そりゃそうだわな。この間 W3C も弾いちゃったんだっけ…ということで修正、さてどうなることやら。

10/5 (TUE)

最近では財産分与とか親権とか調停とかそんな単語ばかりを調べてしまう。ああ、嫌な日々。
輝くような日々もあったはずなのになあ。さだまさしの「YouTube へのリンクママの一番長い日」などを聞くと泣けてきてしまう。なんとかせねばなるまいよ。

10/4 (MON)

ATOK が馬鹿すぎて、日々のディスプレイやキーボードへの破壊衝動を抑えるのが大変なのである。今使っているのは version 2009 であり、そこまで古い製品とも言えまい。しかし実に馬鹿だ。

Kashi.は 20 数年前から PC を触っているが、当時はメモリやら CPU やらがプアだったし、日本語変換のアルゴリズムについても成熟されているとは言えなかった。勢いどうしても連文節変換よりも単漢字変換のほうが効率がよくなる傾向があって、その名残で今も単漢字での変換を良く行う。

しかし今時はとにかく長文を打っていき、IME の自動変換に頼りながら間違っているところだけ戻って変換していくというのが主流のようだ。句読点のタイミングで変換されていくようなところもあるのだが、ともかくこのリズムが Kashi. には合わない。もちろんこの類のものは慣れなのだろうが、長文を打ち、その最初のほうの単語が誤変換していたりするとそこまでキーを打って戻して…というのが馴染まないのだ。

それからすると、携帯電話の変換というのは良くできていると思う。とにかくあのキーは打ちづらい。ましてブラックベリー系端末に見られる芥子粒のような QWERTY キーなどは以ての外だ (あれがいいと言う人もいるだろうが、少数派であると思う)。そこで如何にしてキーを打たずに済むかということで先読み変換が登場したのだろうが、その精度は新機種が出るたびにあがっていっているように思う。中でもソニーエリクソン系端末に搭載されている POBox は秀逸だと思う。スマートフォンの Xperia などではフリック入力も加わりだいぶ良い案配だ (しかし Xperia の場合、動作そのものが重たいので体感自体はいまひとつとも言える)。フリック入力は Apple の偉大な功績でタッチ入力ならではの入力方法でこういうのをエポック メイキングというのであろう。

さて、携帯端末での入力方法がこれだけ進化する中、PC 向けの IME は変換効率、学習効果こそそれなりなのかもしれないが、何故変換方法そのものは旧態以前の流れのままなのだろうか。結局かなを漢字に変換しているだけである。文章というのは人によってクセがあり、時期によって頻出する単語というのもある。携帯ではそのあたりをちゃんと拾ってくるわけだから、もっとメモリの多い PC であれば、さらに工夫された変換が考えられても良いと思うのだが。早く「いつも」と入力したら、「いつもお世話になっております。○○です。」くらいまで変換候補が出るようになっていただきたいものだ。

#実際には ATOK でも似たような機能はある。しかし、実行タイミングや学習頻度が今ひとつなのであった。使いこなしていないだけかもしれないが、そこをユーザーに要求するようなアプリケーションは今の時代「出来が悪い」とされてしまうように思える。なぜなら携帯端末では実装できているのだから。

10/3 (SUN)

レギュレーションというもの。これは厄介だ。一度できあがってしまえば楽なのだが、出来るまでがひたすら面倒で紆余曲折である。

このサイトについても、できるだけデザインに共通性を持たせるなどの部分以外に日本語の表現というものを統一している。例えば英数字は必ず半角、日本語に挟まれる時には半角スペースを空ける、カッコについては外側のみ半角アケ、英訳時にスペルが分割するカタカナ言葉はやはりスペースを入れる…などである。

個人的にこうしたほうがスッキリして見やすいからというのがあるのだが、困るのが TOP ページのニュースで見出しを引用する時である。なにせ各メディアでバラッバラで、しかも新聞系はすべて全角で表記するようなルールが見受けられる。

  • 100人の刑事がTOKIOと対決!!
  • 100 人の刑事が TOKIO と対決!!
…といった感じだ。どちらが見やすいかというのは賛否両論だと思うが、Kashi. 自身が上記ルールを決めてしまった以上、見出しも修正せねばならぬ。これが意外に手間だ。ソースはハンド コーディングで、10 年以上も WZ EDITOR を使っているのだが、このソフト、バージョンがあがるたびに使いづらくなっていく気がする。個人的には version 5 までかなという感じ。unicode の対応などがあり、仕方なく 6 を使っているが、毎回 UI を変えてくるのと、とにかくこのソフトは設定の類がわかりにくい。非常に微に入り細に入り設定できるためメリットもあるが、わかりにくさのほうが先に立つ。文字変換もそのひとつで以前はショートカット一発で全角→半角変換ができたのに、今はキーが変わってやりにくくなってしまった。

ソフトウェアを理解できていないだけという話もあるのだが、変えて良いところ悪いところというのはあると思う。Office 2003 が 2007 になって導入されたリボン インターフェイス、あれはあれで、あそこまで豪快に変えてくるなら慣れの問題というところもあるのだが、微妙に「あれっ?」という程度であればそのままでも良いと思うのだけれど。

WZ EDITOR はかつて VZ EDITOR と呼ばれ、MS-DOS 時代に MIFES EDITOR と並んでテキスト エディタの巨頭であった。当時から MIFES が万人向け、VZ がマニアやプログラマ向けという棲み分けはあったが、それがアダとなったのか、とうとう WZ は発売元会社が解散となり、別会社で業務譲渡が行われた。MIFES は着々と開発が進んでいるが、WZ は遅々として進まない。愛好者としては物寂しい限りだ。

(余談) MIFES の発売元である MEGASOFT のサイトを見ると、なんとまだ MS-DOS 向けに MIFES 5 を売っていた。Windows 版より高価であるのは需要の問題だろうか。しかし恐れ入る。

10/2 (SAT)

朝 7:00 に目が覚める。おいおい、寝たのは 4 時なのに。しかし目はスッキリ。よほど深く眠れたのだろうか。いっつもこうなら大変にありがたいのだが。

今日は昼頃に起きて母親の病院に行こうと思っていたのだが、早く目覚めたなら、それはそれでやることはある。この日記も今はテキストで書きためているだけだが、きちんと html に整形しなければいけないし、それ以前にサイト全体をちゃんと作らねば。

…なんて言っておきながら、やったことは部屋の片付けなどであった。仕事が詰まってくるとどうしても部屋が乱雑になるが、これはホントはすごく良くない。仕事なんてのはごちゃっとしてる場所よりも、なんもないくらいのところでやるほうが効率良かったりするのだが、SOHO ということで余計なものもたくさんあり、勢い乱雑になってゆく。

良い仕事、良い精神は、綺麗な居場所から。今の Kashi. はあまりよろしくない居場所にいるのである。改めてゆかねばなるまいなあ。

10/1 (FRI)

久しぶりの日記再開である。いやいや長かった。ブランクは 4 年といったところか。まだこの時点ではアップは出来ていないが、書きためだけはしておこう。

友人と 23:30 から呑む。日本酒を飲んだのは何か月ぶりだろうか。味見程度であればあったが、しっかり呑んだのは久しぶりで、店のラインナップも店員さんの対応も上々であった。1 杯 150ml で 5 ~ 6 杯だから少なくとも小瓶一本分くらいは空けたのだが、ほとんど酔わなかった。前日もほとんど寝ていないし、メシも朝に少しとポップコーンを放り込んだくらいだというのに、我ながら呆れる。

どうにもならない思いがあり、理解してはいるけれど、殊更に突きつけられるとやはりとても寂しく悲しい。楽しく、そしてひたすら切ない酒と夜であった。

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