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2011 AUGUST

8/30 (TUE)

なんだかんだと 1 日かかり、引越し完了。前日の夜から所沢に入り、ソファ、ダイニング テーブル、巨大なリビング ボードを粗大ゴミとして搬出したのだが、そのせいもあって死ぬほど疲れた。あとは 5 日後の明け渡しに備えて、残置物の処理と掃除。嫌な家ではあったが、立つ鳥跡を濁さずで行きたい。

夜、9 か月ぶりくらいにスーパー銭湯で汗を流す。子供たちは久しぶりの大きな風呂に喜んでいる。去年までは家族でよくスーパー銭湯や温泉にきたものだが、車が必須であり、Kashi.がいない今となっては、通うすべもなかったということだ。

風呂上がり、番台の前にあったプライズ マシンの景品に NINTENDO DSi LL が入っていた。戯れにやってみると 200 円でゲット。下のチビは大興奮、店の人間も「取った人はじめて見ました…おめでとうございます」などと驚いている。上のチビは「弟くんだけずるい」とふて腐れ顔。姉弟で使えばいいだろうと言っても、この年頃の年代に通用するものでもない。女房にちゃんと管理するように言うが無理だろうな。

姉のほうはなんだか納得できないらしく、自分の手を取って「こっちもやって」と言う。見れば、リラックマのストラップが入ったカプセルの UFO キャッチャー。まあいいかとチャレンジすると、こちらも 100 円で取れる。人生ではなんの役に立たぬ才能をいかんなく発揮してしまった。

ちなみに今回の引越し業者は、引越しのサカイを選定した。アーク引越センターと最後まで競り合い、見積も 100 円単位でまで頑張ってくれたのだが、決め手となったのはタンスの中身を入れっぱなしにしていてよいかどうかであった。実際、営業と現場の人間は違うので引越し終了までどうなるかはわからなかったが、サカイは当たりであった。元々周囲の人間の評判を聞いていても悪くなかったし、どうかなと思っていたのだが、勉強しまっせの謳い文句、信頼性は高いと言えよう。引っ越しの予定がある方、ご参考まで。

8/29 (MON)

8 月も終わり。ああ、早い。ということで、引越しに備えてエアコン業者が現住所のエアコン取り外しにやってきたが、ものすごく苦労しているという。ああ、やはりな…という感じ。

何度も書いているが、現住所のマンションはホントに設計者をぶん殴ってから小一時間説教し、二度とこのような設計はいたしませんと反省文を書かせたいくらいの構造となっている。それがパッと見にはわからないから始末が悪い。そのひとつがエアコン設置の構造だ。普通、エアコンなんてのは内壁から外壁に向かって穴を開けるだけで済んでいるが、このマンションは隣り合う二部屋の配管を天井のフタを開け、中の梁にあるスリーブを通すようになっている。それならそれで直線的な設計にすればいいものを、開いてるから問題無いだろと言わんばかりにクネクネと曲がっており、しかもそのためドレン ホースなどの配管も通常より距離が必要になる。さらにリビングのエアコンは 200V ソケットであり、これまたまだ一般的とは言えない。とにかく業者がヒィヒィ言うほどのシロモノなのだ。

しかもこれは半分こちらのミスなのだが、それだけの容量を冷やすのならばということでダイキン エアコンの「うるるとさらら」を購入したのだが、こいつがまた特殊な構造になっているおかげで室外機は巨大だわ、配管ホースも通常が 65mm のところ、80mm もの太さになる。でもって、マンションの構造が構造なおかげで、取り外しには配管を切断するしかないらしい。こうなってしまうと、新たにこの部分のパーツを購入しなければならなくなるのだ。おお、なんということであろう。コジマ電気め、そんなデメリットの説明はまるでなかったぞ!

で、業者がいうには、とりあえず取り外しのためには配管を切断しますが、そうすると梁のところに配管が残ってしまいますが、それは OK ですかね?と言う。OK もなにも、切断しなければ取れないというのであれば致し方がない。切断したあとで引き出せるのか?と聞くと、それは可能だが、二人がかりになるという。もう面倒だ。これは残置物として残して、あとから対応すればいい。

なんで、こんな投げ遣りな態度になるかというと、現マンションの管理会社の対応がいちいち立腹モノだからだ。直せと言ったところを直さない、「調べてみます」といったきり連絡も寄越さない。クーラーについても、そこまでややこしくボルトまで違うとなると、通常よりも多くの工事費がかかる。こうした構造についての重要事項説明がまるでない。別の不動産屋の話では「あそこは元々不動産売買の会社で、賃貸契約の客には結構ゾンザイなところがあるんです」などと言う。開かなくなったクローゼット修繕のために、管理会社が手配した業者は部屋の中でチェーンソーを使って、おかくずを散らかしていったり、断りもなくまったく模様の違う壁紙を貼ったりしていった。

これも何度も書いたが、このマンションに来てから良いことがなかったなあ。希望条件に沿うところがここくらいしかなかった、時間が逼迫していたというのもある。だが、やはり住まいはじっくり時間をかけて決めるべきであった。家相、風水というのを信じているわけではないが、そうしたものというのを全否定するものでもない。この部屋は分譲賃貸だったが、なぜそうなっていたのか。何故前の借り主は 3 か月足らずで出て行ってしまったのか。よく考えるべきだった。住み心地の悪い構造に、ダメな管理会社。おのずと悪いモノも溜まっていくというものであろう。思えば引越しを決めてからは、色々と上手くいっているように思える。新しい住まいに自分の居場所はないけれど、陽当たりの良い建物だ。残る家族たちが明るく暮らせていければ、それで良い。とにかく金は減る一方でホントにやばい状況だけど…。

明日、いよいよ引越し。様々な都合で名義はまだ自分だが、これも年内には切り替え予定だ。一歩一歩。

8/27 (SAT)

バタバタと実家と所沢を移動中の車内にはラジオで隅田川花火大会の様子が流れている。どうせリア充どもが「すごい人だねー」とか「めちゃめちゃ綺麗!」とか「君のほうがもっと綺麗だよ」とか「来年はスカイツリーもライトアップされて、もっとすごいよね」とか「じゃ、来年もまた一緒に来なきゃね」などと手を握り合っているのだろう。ああ、不愉快。暴発事故でも起きればいいのにと不謹慎な思いが満ちる。

さて、ここから先はエヴァ批判のアーティクルである。「お前は何も分かっていない」と言われるかもしれないが、そこはあくまで個人の感想であるのでご容赦いただきたい。不愉快になりそうな方は見ない方がよろしいかと。

[画像] ヱヴァンゲリヲン新劇場版 : 破 イメージ ポスター ©カラー

昨晩、金曜ロードショウでエヴァンゲリオン新劇場版・破テレビ版を観た。声優陣の劣化にまあこんなもんかと思いつつ、それはそれとして、まあひどい作品だ。エヴァがはじめて世に出たのが 1995 年だからもう 16 年前か。その当時から実に不可解な作品だった。ヒロインの可愛らしさや無駄に力の入った細部描写の拘りと、その難解さだけが大変なインパクトとして、ヲタはもちろん、一般人や芸能人、文化人と呼ばれる人種までも巻き込んだブームとなったが、Kashi. 個人としては綾波レイが好みというだけであって、末期の中 2 病全開の作風とストーリーはまったく好きになれなかったし、後半の商業ベースとは思えない雑な作りには怒りさえ覚えたものだった。

ある意味でエヴァは精神疾患や知的障害を持つ患者の描く絵のようである (こうした人々への差別の意図はまったくないので誤解無きよう)。全体に暗い色調を使い、やたらと部分部分のディティールを掘り下げ、執着するが、全体を俯瞰で眺めると何がなんだかさっぱりわからない。それぞれのパーツやテイストが独立して個性が強く、混じり合わない。それぞれのスパイスの味がクッキリしすぎて不味くなったタイ料理のような感覚だ。そうした個性の強さもバランスさえ良ければトムヤムクンのように絶妙な味となるのだが、それでも味わいを深めるためには環境や文化が必要であると思う。あれだけ暑い国で常に汗をかき、かつスタミナを維持する必要があるからこそ、トムヤムクンはトムヤムクンになりえるのであろう。

Kashi.は古臭い日本人気質の人間だから、調和の取れていないものを好まない。故に合理性に欠けたストーリーに、ビジュアルのインパクトばかりが目立ち、怒りと負と自己を主張するばかりのキャラクターが、薬袋無く、それらしいセリフをがなり立てるだけのエヴァは非常にイライラする。さらにインディーズを気取りながら、商業主義バリバリで、いつまでもストーリーに決着を付けず、引っ張り続ける姿勢はケジメのつけられない趣味の世界でしか許されない。「もうエヴァで金儲けはしません」と言っていた庵野のセリフはなんだったのか。

水戸黄門のように、分かりやすい勧善懲悪のような偉大なるマンネリが良いとは思わない。あれはあれで時代の嗜好についていけず、とうとう打ち切りになった。だが、間違いのない安心感は確かにあった。だが、エヴァを観ていると不快感しか生じないのである。例を出せば枚挙に暇がない。例えば、はじめはきちんと握っていた操縦桿も、暴走モードになればまったく意味を成さず、パイロットがエントリープラグ内で暴れているだけ。命令違反をなじるくせに「乗るか乗らないか自分で決めなさい」と上官とは思えぬ采配で部下に判断を委ねたり、独断ばかりでオペレータの言うことに耳を貸さない指揮官、バグだらけのシステムをまったく制御できず、想定外の事態に狼狽えては場当たり的な対応ばかりのシスオペ。クラシックやフォークソングの名曲を安易に使い、雰囲気だけをそれっぽくしたり、噛み合わない会話だらけの脚本、評価できるのは爆発シーンだけ。いやもうキリがない。

エヴァは壮大な駄作であり、庵野監督の自慰行為でしかないと思う。エンターテイメントなんてのは得てしてそうしたものだが、嗜好品であるからこそ、品質というものが問われるのじゃなかろうか。同じロボットアニメ (エヴァがロボットであるとは言い難いが) でも、ガンダムはまったく違っていた。作品として人が観る、ということを意識しながら、生々しくリアルを描くと生じてしまう生理的不快感の部分を極力排除しつつ、立場が違うことで人は正義にも悪にもなり得るという戦争の矛盾や、絶望の中に人はひとりでは生きられないのだという希望を仲間との生活の中で見出して人間的に成長するキャラクタによって、未来への喜びを感じさせてくれる。それゆえ、戦争がテーマの作品にも関わらず、鑑賞後には爽やかな感動があるし、メカの造形としても納得のいく設定が出来ていた (戦争の道具は機能美の極致であるから人型である必要性はまるでないのだが、そこはロボット アニメとしての前提があるから良しであろう。リアル フィクションではなく、エンターテイメントならば、シンプルなカッコ良さは必要だ)。

エンターテイメントにおけるセックス & バイオレンスを必要とするか、否かは人によって好みが分かれるところだと思う。だが、それが作中で存在するのであれば必要性というものが求められるべきだ。例えば、旧作でシンジは植物状態となったアスカのバストを見て自慰行為を行う。そもそもこのシーンそのものが不要であると思う。シンジはモノ言わぬアスカに対して救いを求めるが、フイにはだけた胸を見ただけでそうした精神状態になるかは疑問が残る。もちろん、救いを求めつつも、それまでアスカから受けた扱いなどがフラッシュバックし、優しくされたい=愛情を受けたい=今なら無抵抗のままのアスカ=性行為という帰結も考えられなくはない。だが、掌に出した精液まで描く必要はないし、そこまで深く読んでいかねばならないことは苦痛で、それ以前にすでにファンがついていたキャラクタを汚す行為であるとも思う。あそこで果ててしまったシンジを見せてしまうと、その後のシンジの行動すべてが嘘臭く見えてくる。

エヴァの各キャラクタが持つ強烈な心の壁。AT フィールドの描写などもその一環であろう。なんとしても自分を認めてもらいたいというアイデンティティへの主張は、AT フィールドをこじ開ける描写となって描かれているが、極めて乱暴だ。抵抗されながらズカズカと相手の領域に入り込み、血肉を喰らう。レイプのようなものであり、非常に不愉快になるのだが、それを見て「これが本当のエヴァの力」などと使い古されたセリフだけで済ませてしまうのはいかにも雑だ。バッテリ駆動であるなら、供給源であるアンビリカル ケーブルを切断された時点で絶対に動いてはいけないのである (S2 機関の取り込みは後からだったと記憶している)。

ともかく、エヴァを観たあとは、暗い気持ちや、人のことなどどうでもいいという虚無感しか生まれてこない。愛の感情描写もあるが、利己的であり、多幸感は得られない。ただ漫然と観ているとまったく理解できず、理解しようとすると消化不良になるエヴァンゲリオン。どうしてこの作品が評価されているのか、未だにわからない Kashi. なのである。ひょっとしたら、人生に余裕がないからなのかな。

8/26 (FRI)

予定より 1 日早く父親が退院となり、迎えにゆく。順調な回復のようで、片手杖は残るもののかなりきちんと歩けている。大したものだ。自分の骨折も治りが早いと言われているが、父親譲りの回復力なのじゃなかろうか。ありがたい話だ。

もっとも退院したとはいえ、日常生活に戻れるにはまだしばらくかかるであろう。まだキズとしての痛みはあるようでロキソニンは欠かさず服用しているし、腫れもあるためアイシングをしている。縫合後は生々しさが残っており、これがフラットになる頃にはだいぶ痛みも軽減すると思われる。家の中は不幸中の幸いというか、母親のために施工したセミ バリアフリー化のおかげで手すりだらけ。だが、階段はまだ難しいようだ。階段の昇降はひとつの目安になるだろう。

2 週間の一人暮らしはこれでおしまい。相当に忙しくはあったが、気楽でもあった。これからは再び食事の時間などを合わせ、よりきめ細かいスケジュールで動かねばならないし、父親の回復のためにも多少栄養に気を配った献立が必要であろう。それはそれでまた大変だ。

だが、こうしたバタバタもあと数日で終わる。昨日は電話、水道、ガス、電気の移設連絡を済ませた。接続にしか使っていないネットは解約申込書を取り寄せ中だ。今時オンラインで解約もできないとはなんと時代遅れなことよ。メールは Gmail でいいし、フリースポットが増え、WiMax や EM のような接続サービスが出てきた現代、プロバイダの在り方というものも変わってくることだろう。

ここ数日でいったい何冊の本をブックオフに持ち込んだことやら。リセール バリューはほとんどないけれど、あれば見るし、けれど普段は見ない、そして経年劣化で古くなった…といった 20 年以上前の単行本や数々のムック本、その他雑多なエッセイ、PC 関連のリファレンス、デザイン関連の本など。そしてハロプロ関係の写真集すべて (一番気に入っているなっちの 1 冊だけを除く)。全部で 600 冊くらいだろうか。それだけ売ってもせいぜい 2 万円といったところだ。所詮ブックオフであるから期待はしていない。それよりも片付けたいという気持ちのほうが多かったのだ。ちなみに 25 年前に発行されていた 8 年分のエロマンガ雑誌はすべて捨てた。こちらも好事家であれば絶対に欲しがる人はいたであろう。今は講談社で連載を持つ、大暮維人のデビュー作なども掲載されていたし、その他資料としては貴重なものだが、世間から見れば単なる古雑誌だ。大量のエロマンガを資源回収に出すのは気恥ずかしかったが、素知らぬ顔をする。

それだけやったにも関わらず、残った漫画は段ボール箱 24 箱分。これらは開封時に分別しやすいように、すべてのタイトルを箱に書き入れた。これがまた時間がかかったのなんの…。いよいよデータベース化したほうがいいのかもしれないが、これらもいつまでも実家に置いておくわけにもいかない。価値あるものもあるから、こちらはいずれまんだらけなどで査定してもらうことにしよう。

それにしても腕がまだ完全ではないのに、これらをすべて自力でハイエースに積み込み、それを実家の 2 階まで運び入れる労力と来たら!一箱だいたい 20kg。約 500kg の本を見て父親は言葉を無くしていた。すまぬ、父よ。今しばらく辛抱してくれ。

8/24 (WED)

プレゼンスという概念がある。在席情報という意味だが、多くの企業で在宅勤務や固定デスクの廃止などが導入されており、こうした場合の所在確認に使われる概念だ。対応したアプリケーションを使えば、その人がどこにいるかが分かったり、チャットやボイス メッセージで会話することもできる。震災などでオフィスが潰れた、または在宅勤務を命じられた際にも役立つ考え方であり、今後私生活を重視するようなライフワーク バランスを考えた際には、社員のモチベーションを下げずに生産性を維持するという意味で一般的になっていくだろう。

反面、固定デスクやオフィスへの出社、これはこれで意味があることでもある。前述したようなワーク スタイルは自堕落な人間にとってはサボタージュへの誘惑が多くなる。もちろん後で困るのは自分なわけだが、Kashi. のような人間は固定デスクでいつもウォッチされているほうがよろしいかもしれない。

こうしたプレゼンス用のアプリケーションを使わずとも、SNS の台頭が激しい現在、人は常にウォッチされているようなものだ。本人は意識していないのだろうが、人によっては積極的に自分の居場所をスポットでアナウンスし、自らの行動を公開している人もいる。あれは何のアピールなんだろうかと考える。Kashi.もある特定の人にだけ向けた情報を、さもパブリックなものに擬態して発信することはある。だが、頻繁にプレゼンスを公開している人を見ると、それはやはりアピールなのだろうなと思うが、それはウォッチの対象 (何かの弾みで炎上した時など、ログが残る故に時間軸を問わない) となる場合もあり、避けた方が無難な行為であるように思える。

Web における大きな意味でのプレゼンスでは生存確認というのもある。ちょっと前に wikipedia ではページ内のリンクを 6 回辿るだけで、特定の項目からどんな項目へも辿り着けるというのが話題になり、スゴロクまで出来てしまった。同じように Facebook や twitter でも何回か知り合いを辿れば、まだ繋がっていない知り合いと出会えてしまうのではないかなどと思うことがある。すなわちそれは既に親交が途絶えた過去の恋人であったり、友人知人であったりだ。事実 Facebook や twitter、mixi にはそうした人がいることを確認している。これはやっかいで、すでに自分の世界とは違う世界の人々であるのに、そうした人の動向が気になってしまう時もあるのだ (Kashi. は特にそうした傾向が強く、猛烈な自己嫌悪に陥る)。そして、万が一どこかの世界で知り合った人と SNS で友人関係になった時、過去の人々がその人と友人であったらどうしよう…という思いだ。現実世界でももちろんあり得ることなのだが、SNS コミュニティでのそうした繋がりはやはり気まずいのではないだろうか。

Kashi. は、そうした余計なことばかり考えてしまう。コミュニケーションというものに臆病なくせに他人が気になってしょうがない。だから、他人もひょっとしたらそう思っているかもしれないということで、このサイトを運営している (もちろんそれだけが理由ではないのだが…)。SNS のようにパブリック色は強くない。だが、なにか自分のことを気にしてくれている人たちに、「自分はここにいるよ」という意味でこうした戯れ言を綴っているのだ。我ながら偏ったプレゼンスであると思うのだが、口に出したり面と向かって言えないことばかりで恥の多い人生を送っている身としては、この程度がせいぜいのアピールだ。この日陰者のような人生観、なんとかならんのかなあ。

8/22 (MON)

1 か月ぶりの診察。女医はすっかり呑み会の話など忘れているようだ。敢えて触れないだけかもしれないが、多分忘れている。ま、女性はそうしたものだろう。頻繁に会ってアプローチしなければ、得てしてアッサリしたものであり、このテのことを女性に期待するほうが男としては間違っているように思える。

治癒自体はやっぱり順調で、ドクターが「ほんとに急成長。開放骨折でここまで治ってくるのはすごく珍しい」と感心するほど。それはありがたいのだが、別に大したこともやっていないのだ。毎日コラーゲンを溶かした牛乳を飲み、出来るだけお日様にあたり、ビタミン C と A を多少多めに摂るようにし、レインボー オブシディアンとカイヤナイトという、骨折に効くと言われるパワーストーンのブレスレッドを身につけたくらいだ。ほら、大したことはやっていない。

気になるところもある。骨を固定していた金属棒のうちの一本が骨の成長に伴って押し出されてきており、肘の内側から出っ張ってきている。あまりひどくなると、ここだけ皮膚の炎症が起きるため、その場合はこの金属だけ抜く手術をしなければならないそうだ。それは困る。金銭的に。抜くだけとはいえ、2,3 日は入院するだろうし、できればこのあたりで留まってもらいたいものだ。

リハビリは 40 分。ここ最近は忙しすぎてセルフ リハビリの時間が取れなかったせいか、可動域を測定すると 5 - 130 度であるという。目標の 0 - 145 度にはまだ微妙なところだ。骨折したのは上腕だし、動きが鈍いのは肘なのに、前腕の筋肉が張ってとても痛い。この筋肉がうまくストレッチできれば、もう少し可動域が広がりそうな気もするが、今はとりあえず固まりきらないように動かすことくらいしか時間が割けない。もどかしい。

帰宅後、仕事依頼のメール。おお、と思って要件を見てみると、24 日オリエン、納品が 9/5 となっている。絶対無理。引越しやら両親の面倒などがなければ、やってやれないこともないが、それでもタイトだ。金銭的にもあまり旨味があるとはいえない内容で、泣く泣く断る。せっかく声をかけてもらったのに…。

なんだか悶々としてしまい、父親が入院前に用意してくれていた砥石をセットして、すっかりナマクラになった包丁 2 本に研ぎを入れる。ここのところはまともに料理なども出来ないのだが、なんとなく物事に集中したくなっての行動であった。おかげで刃こぼれしていた部分も輝きを取り戻せたが、40 分くらいは消費してしまう。こんな行為も今はインスタント砥石みたいなもので、数回包丁を往復させれば済んでしまう時代だ。自分のやってるようなことというのは、今後どんどん廃れていくことなのだろう。

明日は久しぶりに会うクライアントの人たちのお呼ばれにより、ビアガーデンで呑み会。平日であるし、翌日は所沢で最後の不燃ゴミ出しだから、早々に帰宅して早朝に向かわねばならぬ。粗大ゴミの回収手配やら、住民票の手配やら、引越しにあたってやることはまだまだ満載だ。何故か仕事もちょこちょこ入るし、日々の母親の相手もしなければならぬ。よく親父は悪い膝を抱えて仕事をしながら、2 年間こんなことをしていたな、という感じだ。心底感心する。

もうここ最近はこんなことばかり書いていて、既出事項も多いような気がしてならない。早く終わってくれ、ホント。

8/21 (SUN)

拝啓、アーティスト様

笑える歌をください。腹の底から笑えるような歌を。
瞳を閉じたり、桜が舞い散ったり、感謝したり、声にならない声で叫んだり
そんな歌はもうどうでもいいから
口ずさむだけで思わず笑ってしまう歌をください。

笑える本をください。心の底から笑えるような本を。
心の闇を抱えたりとか、誰とでも寝たりとか、結局最後は愛で救われるとか
そんな本はもうどうでもいいから
奥付まで一気に読めるくらい笑える本をください。

笑える言葉をください。息が詰まるほど笑える言葉を。
女子会がどうとか、イケダンがどうとか、wwwと草を生やした笑いとか
いい加減にムカついてくるから
思い出すだけで心が躍るような笑える言葉をください。

笑える歌をください。お願いだから笑えるような歌を。
会いたいのに会えないとか、切なくて抱きしめてとか、そばにいてとか、せめて夢の中でとか
そんなのはもう味わいたくないから
たった一人でも生きていけるような笑える歌をください。

可笑しくて涙が止まらぬくらい笑える歌を。

8/17 (WED)

例によって所沢にて片付け。引越しの片付けというか準備というのはとにかく疲れるし、細々としたものを持ち帰る都合から、車で動くことになる。が、この時期、帰省ラッシュやら U ターン ラッシュやらでとにかく渋滞する。混雑というものはラーメン屋の行列ですら苦手な Kashi. にとって、渋滞というのは苦行以外の何物でもないのだが、自分もまたそのうちの 1 台だし、公道を走る以上そうしたことに巻き込まれるのは致し方もない。

だが、納得のいかない渋滞というのはあるもので、お盆のこの季節の日中に街路樹の伐採をやったり、乗り入れられる路肩があるのに、そのまま道路にハザードを焚いて路駐する商業トラックなどは非常に不愉快だ。例えば所沢街道というのは古い道のせいで片側 1 車線しかない。にも関わらず、東京西側に繋がる道はこれ 1 本しかないものだから、ものすごく混雑する。それがバス通りになっているうえに、青梅街道まであと少しというところにあるバイク屋は堂々と搬入のレッカー車を路駐して道路を塞いでしまう。そうなると 500m 足らずの道を抜けるのに 15 分以上かかったりすることもあり、5 分以上の積み卸しで駐車するのは道交法違反じゃねえの?と腹が立つ。せめて店員は交通整理くらいしろと言いたい。

他にもこの季節はサンデードライバーが多く、運転に慣れていないためにスムーズな交通を妨げることが多い。その最たるモノが、高速道路で緩やかな上り坂になっていることに気がつかず、どんどんスピードが落ちていき後ろが詰まる現象だ。オートクルーズを有効にするか、小まめに速度計を確認してもらいたい。他にも高速道路にも関わらず 80km/h くらいで真ん中を走ったり、ひどいのになると、追い越し車線を延々と低速で走るのもいる。追い越し車線は追い越すためのものであり、恒常的に走るのは原則的には NG だ。とはいえ混雑している時は追い越し車線も埋まってしまうことになり、これはしょうがないのかと思うが、その原因となっていることにも気付かず、渋滞の先頭でノロノロ走る車は本当にストレスだ。だいたいそういう運転をするのは老人だったり女性だったり軽自動車だったりする。彼らが皆そうだということではないし、そうした人々でも「わあ上手」と思える人もいる。だが、納得いかない運転にこれらの人々が多いのもまた事実だと思う。

運転は経験だから、そうしたことを頭ごなしに責めるわけではないし、自分だって下手な時期はあった。だが、それならそれで渋滞時の運転にはどういう配慮が必要かなどには気を遣って貰いたいなと思う。と、同時に自分もまた慢心しないように心がけたい。どうもイライラする時は、些細なことでもどんどんそれが重なり恐ろしく短気になってしまうものだが、これは間違いなくトラブルの元だからだ。

ひとつだけどうしても許せないものがある。それは混んでいるからといって、路側帯を走り抜けていく車だ。他の車だって早く行きたいのを我慢しているのに、ルールを守らず他車に危険を及ぼす傍若無人な振る舞いはドライバーとしても人としても失格だ。こうした車を見かけた際には強制停車させ、通報しても良い権利が欲しいくらいだ。もっとも、そうしたドライバーにいちいち憤らず、どうせいつか事故を起こすだろうから関わらずに放っておくのが大人の判断だという考えもあるのだが、それならそれで、そうしたドライバーは早めに捕まえてもらいたいとも思う。せめて渋滞時の路側帯には一定間隔で高速機動隊の白バイなどを配置してもらえないかと思う次第だ。

8/15 (MON)

66 年前の今日、天皇陛下が玉音放送を行い、人々は戦争に負けたことを実感する。戦争を知る父親はまだ幼かったが、何やら難しい言葉をラジオで聞いた記憶があると言っていた。ポツダム宣言を受諾し、もうこれ以上は無理だ、そう考えた昭和天皇が放送を以て国民に敗戦の意図を告げた放送は、これまで聞くことの出来なかった天皇の肉声が流れた初めての放送でもある。

この放送の中で昭和天皇は、この悲劇をずっと語りつぎ、日本の未来を信じて道義を篤くして再生を誓おうと語りかけている。今、日本は天皇の言う「敵の残虐なる爆弾」によるヒロシマ、ナガサキの悲劇を忘れ、御することのできない原子力利用を強行した結果、敵ではなく味方であるはずの国によってフクシマという第三の悲劇を生んでしまった。過日放送された NHK の特番によれば、旧日本軍は B29 エノラゲイによる、爆弾投下の情報を掴んでいたにも関わらず、それを隠蔽し、みすみす悲劇を招く結果になったとあった。東電、原子力保安委員会、今でもやってることはなにも変わらない。自分たちの不都合を隠し、適当な言い訳と欺瞞で国民を騙し続けている。とうとう安全な被曝量というものは、「一生で…」という単位で括られることになってしまった。一生とは何年のことだ。誰もが同じ歳までしか生きないとでもいうのか。幼児も老人も同じか。「今すぐに影響のあるものではありません」こうした言葉は不信感を募らせるだけだ。

3 年前の 8 月 6 日、NHK の「視点・論点」という番組でウクライナ出身のナターシャ・グジーという女性アーティストが紹介された。彼女はウクライナのプリピャチ、すなわちチェルノブイリ原発から僅か数キロの場所で被爆した。その後はアーティストとしてバンドゥーラという弦楽器を携えて、様々な被災者救援のための活動を行っている。日本に帰化してからも、原発の悲劇を伝える活動をしており、前述の番組では「二度とこのような過ちを起こさないでください」と滑らかな日本語で語っていた。だが、残念ながらその思いは届かず、3 年後、日本ではチェルノブイリと同じ悲劇が起きてしまった。

12 年前の今日、Kashi. は婚姻届を提出した。日本における大きな意義を持つこの日、決して忘れてはならぬ日との思いも込め、自分の人生の大きな節目としてこの日を選んだ。まだソースの最適化が出来ていないため、現在は非公開だが、当時サイトに掲載していた日記を引用してみる。

1999.08/15 (SUN)-The end of Pacific Ocean War - clear
54年前の今日、ラジオから流れる声を聞き人々は負けたことを知る。それまで神だ全てだと奉られ畏れられていた天皇が、ただの人になった瞬間だった。
年端もゆかぬ少年達までもが、片道分だけの燃料しか積まぬ戦闘機で自らの身を焦がしてまで得た哀しい結果。
通常攻撃の5倍もの炸薬を詰めた回収不可能の鉄の棺桶に乗りこみ海に沈んだ無念の結果。
全てが忘却の彼方に消えていこうとする中、微かに聞こえるのはわだつみの声。

俺の言葉に泣いた奴が一人。
俺を恨んでいる奴が一人。
それでも本当に俺を忘れないでいてくれる奴が一人。
俺が死んだら山梔子の花を飾ってくれる奴が一人。
みんな併せて、たった一人。

たった半世紀前は言葉すらも選ばなければならなかった時代があったのだ。不自由の中で自由を願った彼らと、自由の中で不自由になってゆく現在。
今の時代を生きることの意義を考えつつ、今日入籍。忘れてはいけない二つの記念日を胸に刻む。

人は誓いを忘れてしまうのだろうか。特別な想いを抱き、共に暮らすようになったはずなのに、いつの間にか日々が当たり前になり、その中で水滴が岩を穿つように、大切なものに穴を空けてしまう。Kashi. は挙式をしていないが、西洋式ではこのように誓うはずだ。

良いときも悪いときも、富めるときも貧しきときも、病めるときも健やかなるときも、死がふたりを分かつまで、愛し慈しみ貞節を守ることをここに誓います。

Kashi. 愛を慈しむことが出来ず、大切な人たちを失ってしまった。未来に活かしたい反省ではあるが、後悔の念は甚だしいし、今の自分を客観的に見てみれば、とても活かすような未来が見出せない。今、愛する人がいる人たち。自分が何をすべきか、本当に大切なものはなんなのかを時には思い、考えて欲しい。自分に都合が悪い、面倒なこと、やりたくないこと、人間なんだからそうしたこともあるだろう。だが、それを乗り越えて相手を思いやって、日々を健やかに過ごして欲しい。

国も個人も変わらない。もう繰り返してはならないことがある。2011 年の今日は、そういう特別な思いを殊更に感じる日となった。もう二度と忘れたくはない、そして味わいたくないこの切なさを、先のナターシャ・グジーさんの歌声を聞きながら胸に刻みたい。原発の悲劇で夭折した人々が眠る天に届くかのような透明で美しい声が歌うは、千と千尋の神隠しの主題歌「いつも何度でも」。Kashi. が大好きなこの映画は、女房とも二人でよく観たものだった。歌詞に込められた想いを悲しみだけでなく、未来を信じる力強さで歌い上げるナターシャさんの姿は下記に。削除されてしまう前に、ぜひ聞いてみて欲しいと思う。

「ウクライナ美女が "千と千尋~" 主題歌を熱唱 Nataliya Gudziy sings "Spirited Away"」(YouTube)

8/11 (THU)

震災から早 5 か月。世間では毎日のように東電の不始末とその影響、そして国民そっちのけで泥仕合を続ける政界や、経済危機と熱中症の報道ばかり。ヒロシマとナガサキの報道も、66 年を過ぎると、あまり興味が無くなってしまうのか街宣車の音も目立たず、報道も控えめに感じた。事実から目をそらし、不都合は隠蔽、そして国民に被害という戦時中と同じ放射能被害で、国民はそろそろ耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶのももう限界だ。

そんな中、今日は父親がいよいよ入院となった。これから月末までは一人暮らしだ。自分の車で病院まで送り届けて入院手続き。明日は朝から手術のために再度病院に行かねばならないが、ここ半年というものの、ひたすら怪我の足に鞭を打ち続けて働いた父親がやっと苦痛から解放されると思えば、自分の大変さなどどうということはない。内臓系神経系の病気ならともかく、整形外科系の入院というのは、とにかく体が休まる。完璧にカロリー コントロールされた食事と十分な睡眠に、やることがまるでないほどのリラックス状態。事あるごとに「疲れが全然抜けない」とボヤいていた父親も、こうなれば確実に休める。毎晩呑んでいたアルコールもシャットアウトとなれば心身ともの休息となる。これはつい数ヶ月前に Kashi. 自身が体験済みだ。ヘトヘトの父親が退院時にはどれくらい元気になっているかが楽しみなのである。

とはいえ、今度は自分が保つかちょっと心配だ。この夏は休んで過ごそうと思っていたが、ままならぬのが世の中だ。何故か仕事は 3 件ほど入り、自宅の引越しも急遽決まったために、各種手続きに大片付けで大わらわだし、保険の請求やら、税金のやりくりやら。両親の病院は毎日行くことになるし、実家ではカナリアの飢えを満たし、植物たちの乾きを癒さねばならぬ。

正直、精神状態が良いとは言えない。こうした状況がイヤというわけではないし、良くないと言ってもそこまで切迫しているということでもないのだが、不安定なのは確かだ。世の中を見回してみるとこんなことをしているのは自分だけではないか?と思ってしまうこともある。実際はもちろんそんなことはない。アクションを起こしたことで、色々なことが前に進み始めているし、度々例にあげるように被災者の人たちの苦悩に比べれば、どうということはない。だが、これから 2 週間近く一人で過ごす中、心にフイに闇が襲ってこないか、そうした時きちんと立ち向かえるか?という不安はある。…しかしまあ敢えて多忙を味方につけて乗り切っていくしかないのだろうな。

神様、もしいるなら、なんとか頑張ってみるつもりですんで、くじけず全部乗り越えたら、ご褒美をください。
願いはたったひとつ、とてもささやかですから。
なにとぞ、ひとつ。

8/10 (WED)

今日は 1 日大変だった (最近こんなことばかり書いているような気もするが)。昨晩帰宅して眠れたのが深夜 2:30。そこから 7:00 に起床して父親の手伝いで品川埠頭の先まで運転し、1 つ 20kg の荷物の積み下ろしを 1t ほど行い、帰路ももちろん運転。昼食後は洗濯やら掃除やら仕事やら夕食の仕度やら…。夕食後はさすがにしんどくなり、PC を前にボーッとして時間が過ぎる。やろうにも手が動かぬ。ということで寝ます。珍しくリアルタイムな日記でした。

8/9 (TUE)

所沢にて片付け作業。日中は作業、夕方は母親の病院があったため、夜になってからの移動となってしまった。そんな時刻から片付けなどしたくはないのだが、向こうでの不燃ゴミ出しのチャンスが引越しまでに 2 回しかなく、それが明日のためやむを得ない。

とにかく、この狭い家のどこにこんなに不要品があるのかと思うくらい捨てた。完全に壊れた 20 年前のギター、調節ツマミやその他にガタがきているラック エフェクタ、ビデオデッキ 4 台、レーザーディスクプレイヤー 1 台、ミキサー、プリンタ、コンポ、スピーカー、何十本ものケーブル類、今となっては意味の無い、古いデータが格納されている山のような CD-R/DVD-R、何本ものスプレー塗料、なっちゃんバケツ、チビのおむつを洗っていた小型洗濯バケツ、イス 3 脚、小型テーブル、ストーブ、その他ガラクタガラクタガラクタ…。とても一世帯から出た不要品とは思えない。台車でエレベータを何往復したことやら…。恐ろしいことにそれでもまだ余計なものがある。なんとしても早めに片付けねばならぬ。

作業に使っていた机などは市の粗大ゴミ引き取りセンターに連絡しなければならない。本棚 3 本は子供たちに譲り渡す。そして今回は家具系も思い切って処分することにした。引越し先は 3DK でそれなりの広さはあるが、リビングがないために大物を置けない。ソファ、リビングボード、ダイニングテーブル、食器棚など全部リサイクルに回すことにする。いずれも新婚の時に新品で購入したものだ。綺麗に使っているため、経年劣化を考慮しても、昼食代くらいにはなるだろう。

これらは皆、所沢に居を構えるにあたって、近所の家具専門店で買い揃えたものだ。あの頃は離婚なんて考えもしなかった。女房と二人でどれにしようか、なんて財布と相談しながらも「長く使うんだから、いいものにしようよ」と選んだ記憶がある。そうした思い出も今となっては詮無い事だ。二度と同じ過ちを犯さぬための自戒となるなら、この切なさも意味がある。

食器棚の上にある段ボール箱を開けると、結婚祝いに送られたメッセージ カードや、最初に住んだマンションの賃貸契約書、当時の子供たちを収めた写真などが出てきた。「なんでこんな古いものがこんなとこにあるんだろね」と笑う女房と自分。そこから先は敢えて触れることもなく、淡々と片付け。あれはどうする、これはとっておくなどと、久しぶりに二人で作業した気がする。

第一段階としてキリの良いところまで進んだ時にはもう零時近かった。明日は父親の手伝いのために、朝 8:00 には家を出て運転しなければならぬ。「じゃ、また来るから」と玄関で別れ、車を出発させる際、ふとマンションを見上げ 7 階にある自室のほうを見ると、廊下の手すり越しにこちらを見送っている女房の姿。半年前、別居する頃には見送ることも、送り出すこともしてくれなかったのに。聞こえるはずもないけれど、「おやすみ」と手を振ってアクセルを踏む。

引越しまであと 20 日。何度あの部屋を訪れることになるのだろうか。

8/8 (MON)

再び、所沢。今日は朝から引越し業者 5 社との見積合戦であり、非常に疲れた。が、有意義であったとも思う。

2 年前、今のマンションに越した時は 4/1 入居という最悪の時期だったため、費用がハンパなかった。確か 33 万とか、そんなものだったと思う。時期が時期とはいえ、他にも入居の際に敷金や家賃などを払うことを考えると、痛い出費であったことには変わりない。今回は不動産関連業界における農閑期でもあるから、最安値でのコストを目標にして臨んだのだが、目的は達成できたといえよう。エアコン 3 台の設置と家族 3 人分の引越しに 4t 車と作業員 3 人で約 11 万。上等ではなかろうか。

今回見積を頼んだのは大手引越し専門業者 3 社に地場の業者 1 社、そして運送兼業業者 1 社である。結果から言うと、引越しはやはり大手の専門業者に限る気がする。よほど地元でよく見知っているなら別だろうが、地場業者は見積も粗く、保険などの詳細説明がほぼ皆無で安心感に欠けた。大手専門業者は、そのあたりを心得ているのか、各社の営業とも、こちらの質問にもしっかりと答えてくる。Kashi. も引越しはそろそろ慣れたもので、相見積であることや、その他の質問などちょっと意地悪くしてみたのだが、そつのない内容であった。また、面白いもので、やはり業界共通の限界値というのがあるのが、最終的に出してきた各社の見積は 5,000 円以内の差だった。もっとも最初の見積はやはりそれなりの値段であって、「ああ、やはり最初は盛ってくるんだなあ」という感じ。

交渉に臨むにあたって、自分の中での出せる金額というのをある程度設定しておくと、対応にブレが出なくてよいと思う。今回 Kashi. は「ともかくその場では返答しない。全社の見積を聞き、然る後クールダウンしてから今日中に連絡をする」というスタンスを貫いた。営業の中には、「例えば最安値を提示したら即決いただけますか」と強気のアプローチで、なんとかエンゲージに繋げようとするところもあったが、そうはいかない。公平性、そして金額にさほど差がないなら、あとは営業の印象やサービスで決める。必ずしも安ければいいというものではない。安かろう悪かろうになっては、あとで不愉快になるのが Kashi. だ。もちろん、コストをメインに考えるなら、最安値での即決もありだと思う。

ちなみに運送兼業の会社は全っ然ダメであった。ブランドに驕っているのかどうか知らないが、よその見積の倍近い見積を平然と提示し、挙げ句「当日のために間取り図を描いてください」などと用紙を出してくる。なんでそんな面倒なことしなきゃならんのだ。電話での受け付け時点からやる気が感じられず、対応も非常にぞんざい。一人だけなら、そういう資質なのかな?と思えるが、代表窓口、地域窓口、実際に来た営業と、全員がそうだったから、企業体質なのだろう。どこの会社とは言わないが、まあ「KY」であった。

こうして無事引越しの日取りも決まる。こうなったらあとは勢いだ。とにかく要らんものは捨てる捨てる。まだ使えるものでもどんどん捨てることにする。とにかく自分は物が多すぎるのだ。気持ち的にすっきりしたいという思いもあり、見積の合間合間にどんどんゴミ袋に詰めていく。本、DVD の類もプライオリティが低いものはバンバン紙袋に詰めて、ブックオフへ。それだけで 23,000 円。右腕さえ正常ならもっと捗るのに。とにかく不燃ゴミと粗大ゴミに分別し、実家に回収するものは本だけにしたいくらいの勢い。もったいないといえば、もったいないのだが、もうこだわっていたらキリがないのだ。断捨利とは言わないが、少しリフレッシュしたいのである。

そんなことをしていると自宅の電話が鳴る。応対した女房の声を聞くとはなしに聞いていると「本当ですか!ありがとうございます!」との声。ああ、これは採用が決まったかな?と思ったら、にこやかな表情で「仕事決まった!」と部屋まで駆けてきた。良かったね、おめでとう!とホントに心から祝福。先の日記でも書いたようにまずは時給 900 円からの仕事であり、1,700 円以上の時給で働く派遣さんや、正社員でバリバリやっている人たちからみれば全く大したことはないかもしれないが、先が期待できそうな仕事だけに、採用決定は大いにホッとした。

最終的にすべての見積が終わり、契約確定ということで連絡が終わった頃には夕方の 19:00 近く。色々と順調に決まって気分が良かったのか、珍しく女房から「ご飯どうする?」と聞いてきたので、じゃあ食べに行くかということになった。子供たちは「車に乗りたい!」「グラタンが食べたい」と、久しぶりに車で出掛けての外食に嬉しそうだった。助手席の取り合いになったり、ずっとはしゃいでいる様子はとても懐かしく、優しい気持ちになる。

ほんの 1 年くらい前にはこうしたことが当たり前であった。当たり前の日常ゆえに、それに甘え、大人の目線で、抗う術を知らない子供たちに厳しく接してしまっていたのかもしれない。そうした鬱積が女房子供に溜まり、今の自体を招いたとも思える。直接的な原因はもちろん、自分と女房の不和だから、今から修復というのはやはり難しい。こうして離れて暮らすからこそ至った境地であることは、これまでの日記でも触れてきたとおりだ。だから子供たちの屈託ない態度を見ていると申し訳ない気持ちにもなる。朝、家に入ったときには「なにを話せばいいんだろう…」と戸惑っていた表情も、1 日を過ごしてみればすっかり消えていた。

それまでは、常に一緒にいる母親からの影響を豊かな感受性で受け止めてしまったが故に、自分に向けられたネガティブな感情。それが消えたのは、引越し業者を相手にビジネスの話をしたり、母親の就職を喜び、仲良く話す父親の姿を見ての安心なのかもしれない。多分今年中には、離婚となる。その時はまた悲しい思いをさせてしまうことになるかもしれない。だが、せめてそれを軽減できるように、それまでの日々は彼らと出来る限り多く接して「お父さんはお前たちが大好きだよ」ということを伝えてあげたいと思う。おかしな離婚劇ではあるが、自分はこうした思いを持てるようになったし、女房は仕事を始めることで社会人や大人としての意識が高まっていくだろう。ギスギスした夫婦関係を見せ続けたり、泥沼化して恨み辛みが残るような離婚になるよりも、遥かに良かったとポジティブに受け止めて、X day まで走っていこう。やることは盛りだくさんだ。

8/7 (SUN)

昨日は妹が泊まりがけで実家に来ていた。家族は旦那の実家に行っているとのこと。妹は嫁いでからというもの、比較的嫁としての立ち位置を弁え、あまり実家に出入りすることもなく、たまに家族や子供と来ることはあっても泊まりがけということはなかったのじゃなかろうか。

昨日 Kashi.は所沢に戻って自室の整理をしていたのだが、帰宅してみると物置と化していた妹の部屋がすっかり片付いていて驚いた。いやあ綺麗にすればなるものだ。わずか半日でそこまで整理した妹のポテンシャルにちょっと驚く (ちなみにゴミ袋は 70L のものが 10 個。不要品多すぎだろう)。

夜は久しぶりに親子 3 人で食事。食事といっても食事はなく、当然呑みである。妹は間違いなく我が家の血筋であり、女にしてはなかなかに酒を呑む。入った店は普通の居酒屋だったが、生ビールのジョッキが今時珍しい大ジョッキで、なかなか見応えのあるボリュームなり。それを美味い美味いと呑んでいくのだからたいしたものだ。Kashi.はなんだか見たことのない焼酎があっり、それがまたボトルで 980 円と安かったので注文。ま、安いとはいえ、ボトルはボトルだから、それなりに量があり、なんでこんなの頼んじゃったかなと思いつつ、気がつくと親子 3 人ですっかり空けてしまっていた。時間にして 2 時間くらいだった気がするから早いとは言えないが、まあまあのペースだと思う。

その頃になると妹もだいぶ上機嫌になっており、「楽しいねー」を連発するようになってきた。それではということで、父親と行きつけのスナックに連れて行き、盛大に歌を歌う。妹は笑いっぱなしだし、親父も終始にこやかだ。スナックのママや客は「親子で呑めるなんていいわねええ」と悪くない雰囲気。時計の針が 12 時を回ることには、さすがの妹も眠いだの、呑みすぎただのと、くじけはじめたので精算して店を出たのだが、恐ろしいことに父親は 3 軒目へと消えていった。今日 Kashi.が起きたのは 8:30 過ぎくらいだったのだが、聞いてみると深夜 3 時に帰宅したにも関わらず、起きたのは誰よりも早かった。化け物か、この親父は。タフだよなあ、と妹と感心するもの、日頃相当疲れているのは確かであり、あまり無茶はしてもらいたくないとも思う。

妹はそれなりに母親の料理を受け継いでおり、父親と Kashi.の食事を用意しておいてくれたため、大変助かる。普段は男所帯のむさ苦しさがあるが、女が一人いるだけでやはり雰囲気というものは変わるものだなと実感。もっとも十数年前の家模様とはちょっと異なっており、妹も自分も、そして父親も相応の年齢になったからこそ醸し出される雰囲気というところもある。子供が子供の立ち位置でなく、大人としての仕事が出来るようになったからだろう。少しニュアンスは違うが、親戚が集まってアレコレとやる時の空気感に近いだろうか。女性陣は食事などを仕度し、男たちは力仕事…といった分担だ。ああした空気は思春期の子供だと鬱陶しいが、この年齢になると悪くない。

家の中にたくさんの人がいる。核家族が叫ばれて随分と久しいし、それが当たり前になっているけれど、人が多いというのはやはり良いものだ。今回家の整理をしていて出てきたアルバムには、かつて皆が元気だった頃、大勢で集まる親族との写真なども出てきた。セピア色に変色してはいたが、思い出そのものは色褪せない。Kashi. は家族を放棄してしまう形となったが、妹には家族はもちろんのこと、是非とも旦那側の親族とも良好な関係を築き、豊かな人生を送ってもらいたいものだ。

8/6 (SAT)

女房は仕事探しでだいぶ打ちのめされている。「もう何枚履歴書書いたか分からないよ…」とうなだれ、就職氷河期の学生のようだ。もっとも学生は 40 社とか受けることもあるようだから、彼らのほうが大変だとは思うが、「今回はご縁が無かったと言うことで…」と聞かされれば、回数の大小は関係なく、やはり人間落ち込むというものだろう。

Kashi.はまともに就職をしたことがない。というと語弊があるが、不採用となったのは人生で一度だけで、自分のスキルも考えずなんとなくゲーム サウンドの分野で申込みをした時だけだ。この時は落ちて当然であって、まともなデモ作品もプレゼンもないという真剣味に欠けるものであったから企業の判断は賢明だ。だが、もし受かっていたら、全然違う人生になっていただろうなあとは思う。

閑話休題。そういうわけで、女房にもありきたりなアドバイスしか出来ないのだが、そんな女房が「ここはすごく入りたい」と言っている職場の面接が今日だった。結果は週明けになるようだが、条件を聞いてみると、物販業務で、時給は 900 円の社保加入アリ。8 時間のフルタイム労働が可能であるという。時給は試用期間が終わるとあがるらしい。900 x 8 x 5 x 4 = 144,000 円。もちろん、これはフルフルで働いた場合だが、それなりの収入であろう。これで Kashi.が今後渡していく養育費と合わせれば家族 3 人がつつましく暮らすには十分だ。

Kashi.としても、ここはなんとか採用になってもらいたい。単なる食堂のパートタイムとかであれば、やはり先々に不安は残る。だが、ここはいわゆる F1 ~ F2 層をターゲットにしたアパレル企業で、この不況下でもそれなりの業績があり、直営店舗が全国にある。前述のターゲットであれば、一度くらいは「ああ、あのブランド」くらいの知名度はあるようだ。個人経営のショップで細々とやるよりは遥かに良い (個人経営を見下しているわけではないので念のため)。社保加入ありというのもすごく有り難いし、セールス成績が良ければ、準社員や正社員雇用もあり得るという。果たして 38 歳の女性でそんなことがあるのだろうかと、若干懐疑的なところはあるのだが、少なくともステップアップの制度があるのであれば、それは働くことのモチベーションにもなるだろう。マクドナルドなどもバイトから店長、エリアマネージャといった昇格もあるし、物販業界ならそうしたことも理解できる。

また従業員は女房よりももう少し年齢の高い女性ばかりだし、そこで働ければ多少なりとも若い女房は同世代の顧客も話しやすかろう。もともと女房はアパレルの販売員として働いていた経験がある。ブランクはあるが、販売や接客はお手の物だったところがあるから、上手く立ち回れるだろうという期待もできる。

面接は店舗の従業員でなく、本社から社員が来ての実施だったらしい。自宅からもすぐ側の駅前での勤務と立地も良い。心から採用を願うばかりだ。

8/5 (FRI)

今日はしんどかった。早起きしてイラストの仕事を済ませ、フィードバックを待つ午前中に埼玉は美女木のお客さんのところまで行ってスチール撮影、14:00 頃帰宅してイラストの修正対応をしながら、不動産関連の連絡の嵐。その間に保険の入院手当請求の処理をしたりと休む間もない。やっと一段落ついた時にはもう夕食の時間。おかずだけは父親が買ってきたが、副菜やらサラダやらはすべて用意しなければならぬ。食器を洗い終わった時には 21:00 を回ってしまっていた。ここからまだ細かな仕事や、今後の段取りを考えたりとやることはたくさん。

だが、部屋の審査が通り、「仮契約に入りますね」といった段階に進んだのは良かった。こうなると一気に事を進めねばならぬ。グダグダ考えるよりも先に、ゴールから先に近づいてくるのだ。ひとつ事が進めば、他の物事も引きずられて進展するというもの。良いのか悪いのかはわからないが、ウダウダしているよりは相当にマシだろう。ここのところツキのない Kashi.だが、こうした状況の中、せめて余計な事故や怪我、トラブルがないように願うばかりだ。慎重かつ大胆に動こう。最近はすっかりご無沙汰の空模様だが、お天道様はきっと見ているに違いない。

8/4 (THU)

先日見つかった物件の審査のため、管理会社に仲介してくれた人と赴く。そこはなんと、今自分が駐車場を借りている不動産屋であった。これはどうにも困ったものだ。離婚のための部屋探し、なんて言い方はできないから、単に借り換えとしての体裁を保ったが、内心苦笑い。

借り受けるにあたり、今は大半の不動産において保証会社の審査が必要なのだそうな。Kashi. が新婚当時はまだ保証人として自分の父親などを用意できればそれで良かった。だが、最近は消費者のほうもタチが悪いのが多くなり、大家としては無用なトラブルを避けるためにこうした企業を間に立てるのが通例であるという。だが、さらに「連帯保証人をつけると初期費用が安くなりますけど」などと言われる。なんのための保証会社なのだ。

あれやこれやと書類を書き込みながら、現在無職で身内もないような人はどうやって家を借りるのだろう…とちょっと考えてしまう。もちろん貸してくれる物件はあるのだろうが、すごく少ないような気がするし、多分そうした物件を扱う不動産屋は大なり小なりブラックであろう。だが、需要もきっとあるはず。震災ですべての財産を無くしてしまったような人もいるわけだし、単に無職だから…といった理由で弾くのではなく、現状や将来性を考慮した審査が存在していると思いたい。

Kashi.の場合、自営業であるから身元保証 (要は金払いにおける信用) として、納税証明やら名刺やら受注先からの支払証明などを求められる。幸い去年度は信用をクリアするくらいの稼ぎは提示できたので、「これならアッサリ通ると思います」とその場ではなかなか好感触。子供の学区や、部屋の大きさなど、それなりに条件があるため、今回の部屋はなんとか決まって欲しい。上手くいくと良いのだが。

8/3 (WED)

怪我をしてから 2 か月半近く、本調子でないことを言い訳にお付き合いをウヤムヤにしてきた取引先から、快気祝い的な呑み会のお招きがあり出席。久々に地下鉄に乗る。

この会社さんは、IT 系の中小企業で Web サイト制作のほか、システム系デザインなどを合わせて受注させてもらっていたのだが、ひとつの案件の進行がものすごく遅かったり、受注範囲を逸脱する形で修正や調整依頼を受けるなど、労力とコストがまったく折り合わず、正直若干辟易していたところでもあった。そうしたところからのお誘いは、ちょっと迷うところでもあったのだが、人間性にはまったく問題がなく、むしろ今回の事故で迷惑をかけてしまったにも関わらず、快気祝いを催してくれるなど、そういう意味ではとてもありがたい。だが、それだけに今後どのようにお付き合いしていくべきかというところで悩みが生じてしまうのである。

単発でちょろっとした仕事を請け負っていく分には問題無いのだが、先方としては末永いお付き合いを期待しているようだ。それは本来とても有り難いことなのだけれど、どうも中小の会社さんというのは仕事の途中から「あとこれも、あっ、あれも」とエスカレートする傾向があるように思う。その都度、作業に対して「あ、それは追加費用ですね」と言うのは実際にはなかなか難しい。大手企業であれば、そうした部分も見越した上で見積を取るが、中小企業の場合はそうすると「高いですねえ…」となり、それであれば…と値段なりのデザインを提出すると、「これってこうならないですか?」みたいなリクエストが出てくる。気持ちはすごくわかるのだが、やはり 300 円で食べられるのは牛丼くらいであって、フィレステーキは無理なのだ。もちろん美味しい牛丼を作る心意気で動いてはいるが、それは寿司屋のトロのようなもので、あまり出すと赤字になるのである。物販で実際に商品を売る商売であれば 1 ついくらで計算できるからこういうことにはならないのだが、無形から有形を作るデザインなんてのは、このあたりの塩梅が難しい。

要はお金でしょ?と言われてしまうと身も蓋もない。だが、そこはとても重要なのである。霞を食べて生きているわけではないから、相応に見合うものを頂けないことが長く続くようであれば、それはやはり色々と考えることも多くなるのである。そうした中での快気祝いであるから、心苦しいところではあったのだが、それはそれとして、自分を今取り巻く現状を考えると、仕事云々以前に精神的なところでの障壁を取り払わねばならない部分もあり、そのあたりはせめてきちんと伝えようということで飲みの前のミーティングで上役の人と会話をして、そのあたりを理解してもらった。少なくとも当面はしばらくお休みをいただく形で了承してもらえたのは何よりだ。

打ち合わせも一通り終わり、入院中にいただいたお見舞いのお返しを暑中お見舞いとしてお渡しすると、それでは…と水引きのついた祝儀袋。なんと有志による現金のお見舞いであった。さすがに大変恐縮するも、そこまでされたものを固辞することも出来ない。頭を下げて受け取るが、帰宅後に中を見て分不相応な金額にまた仰天。自己中心的な考えがあっただけに、なかなかにもどかしい。ものすごく有り難い。だが…。それはそれ、これはこれと割り切ることができれば人生は楽なのだろうけれど。

8/2 (TUE)

INFOBAR A01、twitter でも毒づいてしまったのだが、電話の使い勝手が素晴らしく悪い。不満な点はというと下記の通り。

  • 通話を終えると、通話時間に関わらず、必ずロック画面に戻る。
  • 通話開始は設定で [HOME] ボタンによる応答を選択できるのに、終了はタッチパネルでしか行えない。
  • 通話後、アドレス帳未登録の電話番号だった場合、登録するか否かのダイアログが出て選択を促されるにも関わらず、登録を行おうとすると、やはりロック画面に戻る。
  • ハンズフリー、録音などがデフォルトで画面に表示されておらず、メニュー キーからの呼び出しになるため、分かりづらい。
    また通話中にはほぼ不要なはずの、着信発信履歴などが同時に表示されており、ミスタッチを誘発しやすい。
  • 光センサで通話中は画面がブラックアウトするはずだが、感度が甘く、通話中に意図せず頬が触れたときなどにダイヤル キーの呼び出しを行ってしまい、通話中の相手にプッシュ ダイヤル音を頻繁に聞かせることになる。
  • 通話アプリ押下時の表示が前回の通話形態に依存しするため、12 キー画面だったり、発信 or 着信履歴画面だったりと一定ではなく、その都度戸惑う。
  • 通話終了と同時に、通話アプリそのものが完全終了しないことがある、または相手の通話終了が先だった場合、画面がスリープ状態になってしまっているなど、振る舞いの条件がわかりづらい。

どれも致命的ではないにしても、ストレスがないとは言い切れない仕様となっている。スマホといえど電話であるから、一番の基本となる部分が疎かな設計になっているのは残念極まりない。ダイヤルするにしても、応答するにしてもタッチパネルの精度が甘いところもあって、指の表面状態によっては、何度もタップしないと反応しないこともある。

慣れの問題と言えばそれまでなのだろうが、こと通話に至ってはやはり完全にガラケーの勝利だと思う。ハードウェア キーの安定感や、折り畳み式のアゴを覆う通話スタイルも安心だ。Kashi. は日常的に通話を行うから、こうしたところがアップデートで改善されていかないようであれば、やはりガラケーに戻してしまうかもしれない。アプリやカスタマイズという面では、使いこなしていったら、Android は楽しそうなんだけどなあ…。

8/1 (MON)

日曜日に部屋探しをした不動産から早速電話があり、当初の条件にあった立地条件と賃料で、それなりの物件が見つかったとの連絡。3DK で 54.45 平米。90 年築。洋室 x 2、和室 x 1 の DK ですべて 6 畳。洗濯機も室内だし、バストイレは別々で収納も一間の押し入れが天袋付きで 2 箇所。地デジ対策も、ライフ ラインも問題無い。追い炊きがないのはファミリーの場合、ちょっと残念だが、時間を揃えて入れば十分であろう。

女房に連絡をし、早速内見にいくように伝えると、夜になって連絡が来る。非常に綺麗で、強いて言うなら 1 階というのが気になるくらいで、広さなどは申し分ないとのことだった。話を聞くと、角部屋の東南向き。とても良い。多少暑くなることもあるかもしれないが、部屋の中は明るいほうがいい。暗い部屋というのは、それだけで鬱々とした気持ちになる。

明日には不動産屋に連絡して、審査の手続きを進めて貰おう。引越しの見積も取らねばならないし、今の家の解約も連絡しなければならない。父親の手伝いも、母親の介護も、自分の仕事もある。グダグダしていたら、あっという間に時間は過ぎていく。戻ることのない刻を振り返るのは止めて、前を向こう。

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