2011 FEBRUARY
2/28 (MON)
早いものでもう 2 月も終わり。確定申告が全然、いやホントにまったく手をつけられていない。結構シャレにならない。去年の暮れには、今年はさっさと出してしまい、早めの還付金給付を考えていたのに、とてもそれどころではなくなってしまった。これは間違いなく税理士さんに迷惑をかけるコースだ。まずい、どうにか…どうにかしなきゃ。
2/23 (THU)
実家に居候するようになってからというもの、食生活が豊かになった。母親が入院してからもうすぐ 1 年になり、父親はすっかり男やもめ状態だったというのに、アレコレとまめに家事をこなしながら日々を生活しており大変尊敬できる。食生活ものそのうちのひとつで、インスタントは極力少なめにして、簡単ながら手料理を作っては食べている。少々賞味期限などには無頓着なところもあるが、曰く「食い物がダメかどうかは鼻を効かせ、舌で判断できるようにならんとダメだ」という。至極もっともであり賛同できる。だが、封を切って半年たったおろしニンニクなどは若干抵抗があるので、ここはひとつ Kashi.がそうならないためにも冷蔵庫を片付けていかねばなるまい。
ということで、父親とは交代というか体の空いているほうが 2 人分の食事の仕度をし、頃合いを見計らって差し向かいで食べるという日常になっている。Kashi. の場合は、あり合わせのものを使ってとりあえず切ったり焼いたり炒めたりしているだけであって、これが秋山大治郎 (©池波正太郎「剣客商売」) なら、『なに、男同士が寄り集まってすることです。料理などというものではありません』といったところだ。しかし、蓮根と鶏肉のキンピラなどは男料理にしては手軽だし美味い。オムレツなどもプレーンはもちろん、細かくしたベーコンやらを入れてもいいし、野沢菜をやはり粗微塵程度にして混ぜ込んだものも美味しい。何よりオムレツのいいところは短時間で出来ることである。
起床して顔を洗いストーブをつけ、やかんを乗せる。カナリアに挨拶をしながら歯を磨き、着替えたら常に備蓄してあるソーセージの 4 ~ 5 本程度を取り出し、卵 2 つを砂糖と塩少々を混ぜて溶く。これまた備蓄してあるタマネギを適当にスライスしながら、プライパンを温め油をひいたら、まずオムレツを作る。大きめの皿に出来上がったオムレツを移したら、ただちにタマネギを炒め、しんなりしてきた頃にソーセージを投入。胡椒を振って出来上がりだ。オムレツは塩胡椒。食卓の準備ができたらちょうどその頃にはストーブのやかんが音を立て始めるので、それでお茶を淹れる。これらを茶碗 2 杯の白飯と共に堪能するのだ。
昼は簡単に出来るので麺類が多い。ラーメン、日本蕎麦、焼きそばなどなど。前日の残りの野菜を使ったり、おかずの残りや漬け物などと一緒に食す。簡単でよろしい。夜は平日は厳しいが、休みであれば多少ちゃんとしたものを作ってやろうかという気分になる。汁物も今のところは味噌汁ばかりだが、いずれは母親にずっと飲ませてやりたいと思っているスープを作りたい (©辰巳芳子「いのちを支えるスープ」)。
これでだいぶん冷蔵庫もスッキリしただろうと思ったら、さもありなん。すでに次の食材が買い込まれて鎮座ましましている。これは強敵だ。料理のバリエーションを増やさねばとても戦えない。面白みの無い日々だが、そこだけは充実しているのであった。それにしても料理は楽しい。やっている間は集中できるし、どうして女房はこれが嫌だったんだろうなあ…。確かにちょっと面倒だな、と思うときがないわけではないが…。所沢では、冷蔵庫も常にその日に食べるものしか入っていないみたいなことがほとんどで、すっからかんだった。あるのは飲み物ばかり。同じ冷蔵庫でもこうも違うのかと思いながら、やはりここまで考え方が違うのなら、スレ違うのもしょうがなかったんだろうなとも思う。こんなことを考えるとまた鬱になりそうな感じなので、よろしくない。まずは腹を膨らませよう。そうすれば心安らかと古人も言っている。
さて今夜は何を食べようか。
2/17 (THU)
仕事先から駐輪場に戻ってみると、自転車に後付けしておいたライトを盗まれる。まだ新品だったのに。悔しい思いで大変イライラする。こうした些細なことでも、一気に怒りのスイッチが入り、感情の昂ぶりを抑えられない。
仏頂面をしながら帰路を走る途中、小用を催したのでコンビニでトイレを借りる。礼を言って店を出てから 10 分後、ふと尻が軽いような気がして財布をトイレの棚に置き忘れたことに気付く。わかっているのだ、自分の不注意であることは。それだけに更にイライラが加速する。どうして自分はこうなのだ、と。本当に余裕がなく、情けない。
それはともかく、今日は結構な金額が入っているし、何よりカードだのなんだのが面倒だ。大急ぎで戻ると無い。見回してもやはり無い。落胆しながらドアを開けると店員さんが「これ、忘れましたか」と我が財布を見せてくれる。それです!ありがとう。大変に無愛想な店員さんだったが、感謝。イライラしたりホッとしたり、ちょっと疲れたが、とりあえず今日は結果オーライ、なのかな…。
2/15 (TUE)
女房と夜、電話にて会話。お互いものすごくテンションが低い。テンションというか、無関心というか。ともかく復縁の意志はないとのこと。自分も同じである。ならばもうどうでもいいから早く別れたい。子供たちは自分が出てから、少しだけ落ち着きを取り戻しているようだ。何よりと言って良いのかどうか。色々と不愉快なまま。
2/14 (MON)
仕事での交渉に成功。しかし風邪をひく。大雪もあるが、部屋の空気が乾燥しているのだろう。あとはよく覚えていない。とにかく仕事があるから、無理矢理治すためにメシを流し込み、卵酒を飲み干し、栄養剤と葛根湯を飲んで布団に潜り込む。部屋はシンとして物音せず。雪が音を吸い込んでいるのだろうか。なんだか世界中でひとりぼっちになったような気分になるも、卵酒が効いて眠たくなる。早く治るといいけれど。そんなバレンタイン デー。
2/13 (SUN)
日常の足として自転車を買うことにする。別居前は車かバイクが日常の足であった。冬の始まりの頃からはダイエットをしていたので、それもほとんど使わずだったが、それはそれとして、今はダイエットなんぞする気も起きない。となればやはり自転車だ。
家族と暮らしていたときは、家族全員の自転車を買いにいったものだが、その時から自分の自転車も欲しいと思っていた。だが、さすがにそこまでの金銭的余裕がなかったので、自分だけがバイクとちょっと寂しい思いをしていたのである。その頃から探していたのがクロスバイクというシロモノ。普通のママチャリはとにかく運転しづらい。積載能力を確保すること、スカートでも乗り降りしやすくするためには、ママチャリの形状というのは非常に優れたデザインだと思うのだが、その必要がない自分にとっては、ある程度のスピードと操縦性能が欲しい。かといってロードバイクのような本格仕様は街乗りでは時として不便だし、盗難も怖い。
ということで、実家近所でやや大きめな自転車屋にいくと、結構数がある。が、予算的にはなかなか厳しい。だいたい 5 万円~ といったところだ。装備品も揃えると 6 万を超えてくる。趣味としてなら出せる金額だが、足としては若干ためらう…。と思っていたら \29,000 円のものが。おやおや、これはどうして?聞くと、元は \49,800 くらいのものらしいが、新モデルとの入れ替え在庫整理でその金額なのだそうな。十分である。色も鮮やかなネイビーブルー。これがいい!
最初は有名ブランドのものや、サスペンション付きのものも惹かれたのだが、そういうものは機能と見合うものが少なく、サスペンションなどは、一見ちゃんとついているようでも、コストダウンのために片側のものだけにしかサスが効かず、もう一方はダミーということもあるらしい。ちゃんとしたものは大変高価であるという。
そして持ち上げてみたが、重量が全然違う。やはり装備があったり、見た目の良さだけを追うと重量が増すようで、その違いは明らかであった。気になっているブルーの自転車は MERIDA というメーカーのものだが、こちらは片手で頭上までひょいと持ち上げられる。なんという軽さだ。ところが、これでも全然重たいほうなのだそうな。ハイスペックなものでは 5kg 程度のものもあるらしい。恐ろしい世界だ。
重量が軽ければ、同じ力でも、よりスピードが出る。これは簡単な理屈だ。車と同じで余計な燃費、この場合は体力だが、それがかからない。ついでにタイヤも普通のものより細めである。ロードバイクでは大人の親指程度の細さのものもあるくらいだが、さすがに MERIDA はそこまでではない。しかしタイヤが細いということは転がり抵抗が少ないということだから、やはり早く燃費がよくなる。なるほど、よく考えられているものだ。
あまり時間もなく、予算的にも見合うものがそれしかなかったので即決する。防犯登録と保安部品を取り付け、早速乗って帰ると大変に楽しい。自転車ってこんなに楽しかったっけという感じで、ミドルエンド以上の自転車の認識を改めることとなった。今後は季節もよくなっていくし、遠乗りなどにもチャレンジしてみよう。
2/12 (SAT)
別居から一週間、実家での生活は不自由こそないものの、まだ馴染んだとは言い難い。独身時代の 12 年前まではずっと育ち暮らした家であるのに不思議なものだ。不満はまったくないのだが、やはり一度家を出ると、それはもう別の家であるということなのだろう。
さて、ここ最近やはりどうにも気持ちが落ち着かない。無理もないのかなと自分では思いつつ、仕事をしようとするとハッキリ言ってまったく捗らない。仕事はもちろん自分のためであるのだが、元々家族のためにと無理な仕事を請け負ってきた面もある。フリーランスで嫁が専業主婦、子供二人を養おうとするなら、そこはやはりそれなりに無理な仕事を入れねば追いつかないのだ。だが、その家族とは離ればなれ。となると無茶な仕事をすることに意義をまったく感じられないのである。「なんで俺は一人でこんな馬鹿みたいに忙しい思いをしなきゃいけないんだろう?」という気持ちばかりが溢れてきてしまうのだ。というより、もう仕事なんかしたくないというのが本音だ。だが、それでは今の顧客に迷惑がかかってしまう。だからやらねばならない。しかしやりたくない。これまでは無茶振りに対しても発憤できたし、それをこなした時の喜びもあった。だが、今は仕事に向かうと手が震えたり、胸がドキドキしたり、フイに強烈な悲壮感が襲ってきて涙が流れたりする。
そうした状態は体力や精神を駆逐し、非常に疲れる。そうなると余計なことまで考え始め、眠たいのにうまく眠れなかったりする。体はすごく疲れているから、一度眠れば今度は何時間も眠りっぱなしになったりするが、子供の夢など見るとドキリとして目が覚める。これもなかなかしんどくて、昨夜は子供たちが 3 歳くらいの時の姿で登場した。まだ覚束ない口調で「おとうさん」と笑いながらこちらに駆けながら抱きついてくる。自分もそれを笑いながら抱きしめてやるのだが、目が覚めてみれば現実が一気に襲ってきて強烈な虚無感。朝からこの有様だからキツいことこの上ない。
実家では母が難病で長期入院しているため、父親と二人暮らしの状態だ。そうして父と食事や会話をしているうちは別段問題ないのだが、一人に、特に布団に入るとものすごく切なくなったり、自分が至らなかったと思うところを自分で責めたり、その結果今までの人生はまったくの無駄だったのではないかとか、自分は誰にも必要とされていないんじゃないかと感じるようになり、死を連想してしまうこともある (もっともこれは昔からそんなことを考えたりしていたから、必ずしも今回の流れとは関係ないかもしれないが…)。かと思うと、こうして日記なんぞを書いているようにフイに冷静になったりもするのだが、その時はその時で「別にもうどうでもいい」と感じてしまう。
こうした気持ちの揺れ動く状態に甚だ疲れてきたのと、今後の仕事のことを考えると妙に緊張するようになってきてしまった。甘えというのもあるのかもしれないが、これはちょっといけない状態なのじゃないかと判断し、とりあえず土曜日診療をやっている心療内科の門を叩いてみれば、「ちょっと鬱の状態になっているようですね」などと恐れていた診断をされ、睡眠導入剤と抗うつ剤 2 種を処方されてしまった。いやはや、なんとも情けない話ではないか。
医者は話の途中から明らかに面倒になっている様子が感じ取れ、結局こちらの言い分を理解しようとしてくれはせず「とにかく心を落ち着かせて、また治療を進めましょう」などと言う。そりゃ確かに落ち着くのは必要だと思うが、今の自分に必要なものは休息のように思える。心がそれを欲して止まないのだ。怠けのように感じなくもないが、とにかく仕事を休みたい。医者は「風邪でいうなら熱が出ているのだから、熱をさげましょう」という。違うだろ、今一時的に熱をさげたところで原因を取り除かねばいつまでも熱発は起きうるのだし、熱の原因を取り除くためには女房と今度のことを話し合い、とにかく今後の方針を決めてすっきりしたいのだ。しかし今の仕事の状況では、おいそれとそれも出来ないほどの仕事量を放り込まれており、それを説得する材料のひとつとして診断書なりが欲しいのに、なぜ薬だけで片付けようとするのか。
何もいきなり仕事を休みたいということではないし、それはさすがに客に迷惑がかかってしまう。しかし、これ以上仕事を入れないようにし、現時点で抱えている仕事は最低限片付けるようにしたい。まさか自分が「仕事したくない」と本気で思うようなことになるとは思わなかっただけに、不甲斐なさや悔しさでいっぱいだ。だが、このまま睡眠も圧倒的に足りなかったり、食事も不規則になるような生活を続けていたら、支えのない今、体を壊すのは必然であるようにも思えてしまう。実にしんどいのである。
心療内科や精神科というのは、自分に合っていると感じる医師と出会えるまで、セカンド オピニオンどころかサード、フォース、フィフスとはしごしていくことも珍しくないとか。なんとか良いアドバイスを貰える医者と早い段階で出会えると良いのだが。それまで手元にあるこれらの薬はとりあえずお守りとしておこう。自分の性格からして、安易に飲み始めたらそちらに頼ってしまいそうな気がする。
そして今こういう状態になってはじめて実感できたのは、「ああ、人は理解して欲しい時に、正論を突きつけられるとすごく不愉快な気分になるんだな」ということだった。これは自分が女房にしてきたことではないのだろうか?他の人々にもまた。正論をかざすことが間違っているとは思わないけれど、それ故に語り口調などにはよほど丁寧にならねばいけないのだ。正論を言っていると思っている側は、正論であるが故に自信があるし、口調も強いものとなると思われる。しかし、自分の心情を吐露したり、相談に乗ってもらいたいという側からしてみれば、まずは気持ちを効いて貰いたいとか、そのために抱えている不安を「そうではないよ、大丈夫だよ」と安心させて欲しいという気持ちもある。理屈と感情は相反することがままあるし、どちらのプライオリティをあげるかはケースバイケースだと思うけれど、正論側はその論に自信があるのであれば、それをゆとりとして、ゆっくり相手の言い分に耳を傾けてあげることが大切なのだろう。そうすれば相手も心がほぐれていき、より本音も出しやすくなるし、冷静にもなれるような気がする。
なるほど、この状況はどうやら自業自得らしい。しかし神様、ちょっと手厳しかないですかねぇ…。しょうがないのかもしれないけれど。
2/9 (WED)
ヘーベルハウスの二世帯住宅の CM、孫とキャッチボールをする初老の男性が「お父さん、もっと優しく」と母となった娘にたしなめられる。CM の中の男性は厳しさの中に愛情を含めている。Kashi. もそのようにしてきたつもりだが、CM のようにはいかず、感情的になってしまうことも多かったと思う。傍から見るとたしなめることもためらってしまうような雰囲気があったのではなかろうか。胸が痛むところであり、叱るということの難しさを感じてしまうが、やはり冷静さを持ち続けることが大切なのかもしれない。こうしてテキストを書いている時はフラットな気持ちで内省できるが、いざその時には叱るよりも怒る…といったこともあった。
実家につき、仕事場を確保するためあれこれと部屋を片付けていると、15 年以上前に友人たちとやり取りした手紙の束が出てきた。読み返してみると相当に気恥ずかしいやり取りが交わされている。もっとも、メールと違いログがあるわけではないから、こちらがどんな返事を出したかはわからないが、相手からの内容はどれも青春時代らしい明るさが感じられる。自分は友人が少ないほうだと思うが、それでもこの頃はそれなりに多くの人々と交流させてもらっていた。あれから 20 年。自分はいつの間にか、どんどん狭量になっていってしまったらしい。
学生時代に比べて金は多少自由に使えるようになったが、忙しさがどんどん重なっていくようになると、人々との交流が減っていったのも事実。そういえば「Kashi.、いつ誘っても来れないんだもん」と言われたこともあったっけ。自身にはそんなつもりがなくても仕事優先で約束をキャンセルしたりすれば「出来ない約束ならしないでよ」と言われたこともある。いつの間にか、(だって仕事だから仕方ない) というものが染みついてしまっていたのかもしれない。
心を亡くすと書いて「忙しい」。仕事はもちろん大切だし、男の場合それは尚更であろう。しかし、オーバーワークは結局良い結果に繋がらない。「今は踏ん張りどころ…」という時期も確かにあるだろうけれど、それが恒常的に続くような状態はやはりおかしいのじゃないだろうか。Kashi. ももうすぐ四十路である。これまではがむしゃらに突っ走ってきたけれど、仕事が金銭面だけでなく、本当の意味でどう自分のためになるかというところを考えながら付き合っていく時期なのかもしれない。徹夜はもうしんどい年齢だ。規則正しくというのはなかなか難しいかもしれないが、睡眠や栄養の不足は心を枯れさせてしまうようである。少し自分を律し、意識して変えたいと強く思うのであった。仕事の量、仕事そのもののクオリティなどを見据えつつ、とりあえず今日は少し早く寝よう。
2/5 (SAT)
先日の日記から一週間と 2 日。女房の態度はいよいよ頑ななものとなり、Kashi. には食事すら供されぬ。もはや何かを言う気持ちもおきない。
あれから内省し自己を省察してみれば、やはりこうすべきだったと考えさせられることは多い。それまでもそう思うことはあったけれど、今は殊更に未熟であったと思うし、ここ数年は特にそうしたところが顕著だったのではなかろうか…。仕事をしているということを excuse とし、傲慢になっていた部分もあるように思える。人の気持ちを大切にしたいと思ったり、人に大切にしてもらいたいと思うのに、自分はそれが実行できなかったりしていたとも思う。
今はそのあたりの感覚がより明瞭だ。家族だけでなく、その他の人々に対してもそうしたところが出ていたのかもしれない。後悔先に立たずとはよく言ったもので、そう感じたところで過去を覆すことはできないわけだが、ここ半年くらいの一連の出来事は、自分の問題が顕在化するための流れだったのかなと思えるし、それはそれで今後の人生において意義あることだったのだろう。もっともそれに巻き込まれるような形で不愉快な思いをした人たちには申し訳ない限りなのだが…なんというか、こちらはこちらなりに心が潰れそうになってしまっていたのも事実だから、今回の反省を今後に活かしていくという約束で、ご容赦いただきたい。図々しい願いかもしれないが…。
それはそれとして、先に書いたようにやはり過ぎた時はもう戻らない。風呂上がり、就寝前の家族を前に、最後の挨拶。至らなかったと思える部分を心から謝罪し、至らなかったり、やり方が間違っていたのかもしれないけれど、自分は自分なりに、嘘偽りなくあなたたちを愛していたんだよと伝える。それまでの思い出が蘇り、やはり辛い。父親として子供たちに別れを告げねばならないことがこんなにも苦しいこととは。最後に抱きしめさせてもらうと、姉はあっさりしたものだったが、弟はギュッと抱きしめ返してくれた。
明日からは当分実家暮らし。39 歳にもなって自分の欠点に気づきがあるとか、つくづく遅すぎると思うけれど、気づけて良かった。愛してるとか、可愛いとか、思っているだけでは伝わらない。自身が「言いたいことがあるなら言ってよ」と言ってきたように、言いたいことは口に出して、そして態度や行動で示さなければダメなのだ。怒りや悲しいことだけでなく、嬉しいことも楽しいことも、幸せもすべて。声を交わし、顔を見つめ、体を重ねていくことはとても大切…。今回のことは本当に痛恨事。今までも痛みを伴う経験は多かったけれど、それらに対する反省は皆、喉元過ぎれば…だったようにも思う。今回の辛さや悲しさ、虚しさは、頭の中で考えるだけでなく、すごくリアルに肝に銘じられた感がある。
何もかも、ゼロからやり直し。正直、くじけそうだけど「優しいね」と言って、いつも笑顔を向けてもらえるような人になりたいし、もう二度とこんなことはごめんだ。そうなるためには、ほんっとに頑張らなきゃね。
log
※過去ログは追々体裁を整えてから公開していきます。
2009
- Jan
- Feb
- Mar
- Apr
- May
- Jun
- Jul
- Aug
- Sep
- Oct
- Nov
- Dec
2008
- Jan
- Feb
- Mar
- Apr
- May
- Jun
- Jul
- Aug
- Sep
- Oct
- Nov
- Dec
2007
- Jan
- Feb
- Mar
- Apr
- May
- Jun
- Jul
- Aug
- Sep
- Oct
- Nov
- Dec
2006
- Jan
- Feb
- Mar
- Apr
- May
- Jun
- Jul
- Aug
- Sep
- Oct
- Nov
- Dec
2005
- Jan
- Feb
- Mar
- Apr
- May
- Jun
- Jul
- Aug
- Sep
- Oct
- Nov
- Dec
2004
- Jan
- Feb
- Mar
- Apr
- May
- Jun
- Jul
- Aug
- Sep
- Oct
- Nov
- Dec
2003
- Jan
- Feb
- Mar
- Apr
- May
- Jun
- Jul
- Aug
- Sep
- Oct
- Nov
- Dec
2002
- Jan
- Feb
- Mar
- Apr
- May
- Jun
- Jul
- Aug
- Sep
- Oct
- Nov
- Dec
2001
- Jan
- Feb
- Mar
- Apr
- May
- Jun
- Jul
- Aug
- Sep
- Oct
- Nov
- Dec
2000
- Jan
- Feb
- Mar
- Apr
- May
- Jun
- Jul
- Aug
- Sep
- Oct
- Nov
- Dec
1999
- Jan
- Feb
- Mar
- Apr
- May
- Jun
- Jul
- Aug
- Sep
- Oct
- Nov
- Dec