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2011 OCTOBER

10/31 (MON)

夜 TSUTAYA でアダルト コーナーを漫ろ歩いていると女の子 2 人が「やだー、まじでー」などと言いながら 18 禁暖簾をくぐってくる。お前らいい加減にしろと。立ち食い蕎麦屋、牛丼屋と男の領域にズケズケ踏み込んできたかと思ったら、とうとうアダルト コーナーまで入ってくるかね。ここは女子供の来る場所じゃねえんだよ…と思う気持ちはそこにいた男性客の誰もが思ったことであろう。二人組は「蒼井そらっているよね」などと AV 女優の名前をあげていたが、さすがに奥深くまで入り込む勇気はなかったのか、早々に立ち去っていった。やれやれ。

どうもなあ、何かこう、いろんなものが破綻し始めている気がする。アダルト ビデオには散々世話になっているし、別段否定する理由もない。けれど、毎月大量にリリースされる新作の数を見ていると、ちょっと異常なんじゃないの?と思うこともある。そうした案内を行うサイトをみればわかるが、100 本を優に超えているのだから。それが毎月。これはさすがにどうなのかなあ…。

数日前、「AV女優が説く「AV女優の覚悟」に感心する人が続出」という記事があった (この記事はかなり抜粋されているので、真意が知りたい人は関連リンクから当該ブログを読んでみると良い)。このブログを読むと、綺麗な AV 女優に憧れて業界に足を踏む込む女性もいるとのことだ。綺麗なものに憧れるという心理はわからなくもない。それはアイドルになりたい!と芸能界のオーディションを受けるのと同じ心理だ。

けれどだ。AV 女優の短命さはものすごい。ほとんど使い捨てと言っても良い。しかし、その後の人生において抱えるリスクが大きすぎると思う。病気についても大手のプロダクションなどであれば、健診などである程度保護されているように思える。だが、社会的にはどうだろうか?なぜ性に関するものがタブーであったり、年齢制限されているのか。何故裸で街を歩いたら捕まるのか、何故痴漢や盗撮を行ったら逮捕されるのか。何故 18 歳未満の女子に性行為を行ったら淫行として処罰されるのか。そこには本能が感じる拒否反応や、道徳観などさまざまな理由がある。日本はそうした文化に対して比較的大らかなところがあるから、風俗や AV は必要悪として認められているところがあった。特定の状況にある特定の人たちの、特別な世界である、という感覚が日本人の気質ともマッチングしていたのだろう。だからそうした世界の人たちは基本的に皆「ワケアリ」であった。だから引退後も特殊な世界で生きていくことになる。

そうした観念がどんどんルーズになってきている。

10/30 (SUN)

昨晩は日付が変わる前に眠ったので今朝は早起きできるだろうと思っていたのだが、目覚めたのは 12:30 であった。なんともダメな人生だ。というか曇り空。これだけでイヤになる。雨なら雨、晴れなら晴れでいいじゃないかと。この時間帯に起きてしまうと、もうその日 1 日何もできない。昨晩父親が帰宅してくる前に作っておいたおむすびが半分残っていたので、これを食べお茶を飲む。仕事もしなければならないのだが、その前にせめてちょっと違うことがしたいと考え、思いついたのが自転車の掃除。このところ乗りっぱなしで随分とホコリが溜まっているのが気になっていたのだ。

昔は車用のワックスを使い、グリスを差し、ブレーキを調整し…なんてこともやったいたのだが、今はそうした気力もわかない。年をとったのか、自堕落なのか。ともかく一通りを中性洗剤で磨き上げ、タイヤを洗う。タイヤは車用のツヤ出し剤があれば綺麗になるのだが、手元にない。まあいいかこれで、と最後に全体に残っている泡を流していると、突然ホースのジョイントが外れ水浸しになる。この寒空になぜこんな目に遭わねばならんのか。身の回りに誰かがいれば「びしょ濡れになっちゃったよー」とネタにもなる。が、一人だと腹立たしいだけだ。あーもう、なんにもする気が起きねえ。クズ人間一丁上がり。どうでもいい週末万歳。

10/29 (SAT)

金曜日の段階で、とりあえず 1 つ仕事の山場を越えた安心感からか、目が覚めると 14:30 だった。こうなると 1 日何もできない。とりあえずこの 1 週間が、余りに引きこもり状態だったので中野ブロードウェイにでも行ってみようと着替える。ついでに思い切って処分しようと思っていた同人誌などを携えてまんだらけへ。同人鑑定をしているのは若い茶髪のにーちゃん。持っていった同人誌そのものが 20 年くらい前のものである。それが発行されたのは君がまだ小学生低学年の頃だぞ…と不安に思っていると、案の定鑑定できず、「すみません、今別の者が来ますので」と待たされる。登場したのはなんともいえない風貌の 30 代くらいの店員だったが「古すぎて買い取りできませんね」と言われる。そうですか、と余計なことはいわずに回収。おいおい、確かに古いシロモノだが、ちょっと前にまんだらけウェブサイトで「80 年代同人誌放出ということで集めてました。やはり人気はこのあたりですね」と特集されていた商業作家の同人ばかりだぞ。安値になるのはしょうがないというものだが、買い取り不可になるとは思わなかった。まんだらけの店員も質が下がったもんだ。扱ってるものが違うだけで、ブックオフと何も変わらない。ものの状態と、今時の売れ線タイトルか、ガンダムなどのメジャー系しかまともに扱えないような気がする。ついでにテレカも処分したが、こちらも店内に並んでいるものの値段が非常に高額だけに期待したが、二束三文で買い取られた。反論する気もなく、言い値で売り払う。だが今度店内を覗いて売値を確認してやろう。

しかし、こうやって毒づきたくなる気持ちとは別に、「ああ、俺はもうこうした世界でも時代遅れなんだな」と感じる。今の古本、オタク業界というのは彼らの持つカネを目当てに運営されている業界であって、オタクとは違う、いわゆるマニアにとって居心地のいい場所ではないのだ。確かに安く仕入れ高く売るというのは市場の原則かもしれない。だが、マニアックな世界でまでそうしたやり取りが当たり前になってしまうのは寂しい限りだ。少し前の時代ではこのあたりの感覚がもう少しまともだった気がする。だが考えてみれば、オタクという単語が認知され、あらゆるところに萌え絵が溢れ、コンビニで高額なクジによる搾取などが行われるのが当たり前の時代だ。もはやこの世界に夢はない。

重たい荷物を抱えたまま、母親の病院へ。今日の母親はニコニコと機嫌が良かった。2 時間ほどあれこれ世話をして病室をあとにする。今日は父親が行きつけのスナックが 2 周年とやらでお呼ばれして留守のため、夕食は一人だ。何か買って帰るか、外食にするか…と地元商店街をうろついていると銭湯の前にでる。なんだか広い湯船にゆっくり浸かりたい衝動にかられたので、暖簾をくぐる。お値段は 450 円也。小さいながらも露天やミストサウナなどもあって、値段のわりにリラックスできた。

風呂上がり、マクドナルドを買って自宅に戻る。一人でテレビを眺めながらチーズバーガーとポテトとコーラ。世間はハロウィンであちこちでイベントもあるようだ。満腹なのが幸い、いつものイライラもおきぬままに眠気が来たので、そのまま眠ることにする。時刻は 23:00。今日は 9 時間も活動していない。いいのかな、こんなことで。おやすみなさい。

10/26 (WED)

Twitter を眺めていると TL に「感情は、友達の友達の友達、三代まで伝染する、って研究があって、つまりは自分が楽しそうに、幸せそうにしてると友達の友達の友達まで影響する、ってこと。だからまわりに怒りとか不快感を振りまく人間は多少、本人が仕事できてもトータルでマイナスの方が大きい、らしいよ?」というツイートが流れていた。情報発信するのであれば「らしい」とか「なのだとか」という曖昧な表現は避けるべきだし、情報のソースは明確にすべき。こうした原則を守らないと、時にそれはデマとなり拡散して、風評被害などの元になる…といった余計なお世話はさておき。

じゃあなにか?イライラしたり、人を不快にばかりさせてる人の周囲には、笑ってる友達もその友達もいないということだな。感情が伝播するという理屈なら、その人が怒りを発したり不快感を振りまいてるのは、友達や、友達の友達が怒りを振りまいているということだろう。それらしく名言っぽく見せてるが、その実、まったく理屈になってない。適当な事を上から目線で語って、友達のいない人間ディスってんじゃねえぞ、コラ。

…とまあ、さすがにここまでは思わないが (書いてるくせに)、あまりいい気分になれないのは確かだ。充実してる人には「うんうん☆そうだよねっ!やっぱ笑顔、元気、大事だよねー♪恋も友情も仕事もファイトだよっ」と思えるのかもしれないが、そうでない側からすれば鬱陶しいだけだったりする。このツイートの腹立たしいところは、仕事が出来てもマイナスと余計な一言が付け加わってるということだ。「あなたの仕事は素晴らしいから、どうぞそこだけは頑張ってください」などと言われた経験がある身としては、人格否定を上塗りされていくような気持ちになる。

まともな人間であれば、好き好んでイライラしているようなことはない。それなりの理由があったり、単に虫の居所が悪かっただけかもしれない。巡り合わせや不運が続いてしまうということもあろう。

10/25 (TUE)

「私 あなたのこと好きよ 多分永遠に忘れないわ」

徳間書店「おもいでエマノン」(© 梶尾真治/鶴田謙二) から引用させていただいた。
生命の誕生からの総ての記憶を引き継ぐ少女エマノン。彼女は、自身を "歴史そのものの具象化であり、人類や生命体にとってのおもいで" であると微笑んで、主人公のもとから去ってゆく。

エマノンほどではないが、Kashi. もまた忘れることができないタチだ。人に言わせるとそれは過去への拘りであるといい、諦めの悪さを示すものであると言う。そう言われれば確かにそうなのかもしれない。大半の人は、人生の節目節目において適当に折り合いと区切りをつけ、過去は綺麗に流し去り、今日を生き明日に向かって進んでゆく。

Kashi. もそうありたいと思い、何度も思考を変えてみようと試みた。何せ過去というのはこれまでの自分を形成してきたものであるから、その呪縛の威力たるやハンパない。過去というのは現在とのギャップがあればあるほど、苦しみになることが多いし、過去の時点では見えていなかったものが見えてきたりするものだから、疲れてしょうがないのである。しかしそうやって抗ってみたところで、その都度徒労に終わるのが常であった。どうやら Kashi. は過去を喰いながら今を生き、何も変わらぬままに時を過ごしていくタチであるらしい。

もっとも興味のないものについてはまるで記憶しないのも Kashi.である。それはたとえ昨日のことであったとしてもだ。だからよく人からは「なんでそんなに細かく覚えているのに、肝心なことは覚えてないの?」と不思議がられ、苛つかせてしまうこともある。そんなことを言われても Kashi. にはわからない。ただわかるのは、自分にとって大切であると思ったものはずっと忘れないということだけだ。

好きになったものはいつまでも好きでいたい。それが人との関わりであるなら尚更に。こんな自分でも人を好きになれ、その人たちが自分を形作ってくれている。だから Kashi. は決して自分を愛してくれた人たちを忘れない。もちろん何かを求めるつもりもない。願わくば、忘れぬことを許してもらえると良いのだけれど…。

おもいでエマノンの中で、主人公の男は、エマノンに "覚えていてもらえる" ことは、自分が人類の記憶として刻まれることなのだと認識し、その誉れを以て届かぬ思いに決着をつけていた。さすがに Kashi. がエマノンのような存在であるとは考えない。けれど、Kashi. の記憶に刻まれた人々が、あのとき、Kashi. と出会えて良かったと思えるような存在になりたいと思う。

これ以上ない痛みから半年。まだ傷は癒えない。だが、ゆっくりゆっくり、少しずつだけれど、元の自分に戻りつつあるのでは…と微かな手応えも感じられるようになってきた。今は精一杯の気持ちを、大切な人に特別な想いをこめて贈りたい。
たとえ「あなた」の中で Kashi.が「no name」になっているのだとしても。

10/24 (MON)

金銭的に本当にピンチになってしまった。骨折し、肉体的にも精神的にも仕事を再開できるようになったのが 9 月中頃。だいたい 4 か月ほど無職だった計算だが、入金というのは早くても翌月末であるから、ほぼ半年無収入となってしまった。その間にも税金、年金、国民健康保険の支払は容赦なくやってくるし、引っ越しにも数十万という金がかかった。もちろん別居中の家族にも養育費をずっと支払っている。ということで口座の額面はとうとう 20 万を切った。おまけに今月は自動車保険が引き落とされる。フリーランスになってからというもの、こんなに切羽詰まったのは初めてだ。つくづく心身の健康が大事であることを痛感する。特にフリーランスにとっては。

もっともこの状態が恒久的に続くということではなく、年末までにはある程度安心できる実入りがあるはずだ。金のための仕事になってしまっているのがシャクだが、それはそれで、今の自分には大切なことだ。そのために、今月は徹夜しっぱなしになっている。ベッドで寝た記憶があまりない。最低限の眠りだけで済ませるために床に雑誌の枕で寝るか、机に突っ伏すかのどちらかだ。

こうした状態を「なんで俺ばかりこんな目に…」と呪うのは簡単だ。しかし、よーく考えてみれば実家にいるおかげで家賃光熱費は無料の状態である。充分恵まれているではないか。父親にはこうした状態について「申し訳ないが…」と頭を下げた。父親だって決して裕福な状態ではないし、内心はきちんと生活費+αを入れてもらいたいであろうに、「わかった」と言ってくれた。ありがたいことである。

今は自分のための金はほとんど使っていない。大半は女房子供のために使っている。父親が自分にしてくれているように、自分もまた子供たちをなんとかしなければいけないと思うのだ。とにかく今は働くしかない。自分で選んだ道だ。

10/23 (SUN)


1 週間前、紀伊国屋オンラインにて「アップルを創った怪物―もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝」をオーダーし (リンク先は Amazon だが…)、届いたのが昨日。Amazon が翌日に届くのと違い、えらく時間がかかるものだなという感じだが、実のところ街の書店で注文したときと変わらないわけで、何もかも速度を求めるようになっている現代の余裕の無さを気付かされた次第であった。

さておき、ウォズ本である。数年前に出た本で、興味を持ちつつも、なかなか買う機会に恵まれずズルズル来ていたのだが、先日のジョブズ逝去を呼び水にして購入を決意したのであった。巷ではジョブズ追悼本が猛烈な勢いで予約されているらしいが、そんな中ウォズ本を買うというのも自分らしくて良い。

肝心の中身だが、これがまあ面白いのなんの。ここ数日の激務から来る睡魔と何度も闘いながら一気に読了。タイトルに自伝とあり、中身も終始ウォズの語り口調で書かれているのだが、実際にはウォズへ数十回のインタビューを行い、それをまとめたものなのだそうだ。しかし、そのおかげで単にインタビューを読むよりも分かりやすくなっているし、おそらくはウォズが自身で記述したよりも読みやすくなっていると思われる。正直アップルのことを知りたいとか、ジョブズとウォズの萌え話を期待するのであれば、それは裏切られる。しかし、全体にウォズの温かい人柄が溢れていて、読めば間違いなくウォズが好きになる良著だ。

だが、読む人を選ぶ本でもあると思う。ぶっちゃけていえばエンジニア、もしくはエンジニア気質の人にとっては最高に面白い。随所にコンピュータ用語が溢れているし (巻末に用語の注釈がまとめられているほど)、あらゆることがロジカルに書かれている。エンジニアとはどうあるべきかがよくわかるし、モノを設計する時の考え方なども明快だ。また、本編中では何度も「僕は内気だったから」という言葉が出てきて行動もその通りであるため、アクティブな人やエモーショナルな人から見れば非常にもどかしさを感じてしまうかもしれない。こうした部分をムズムズと思うか、共感できるかで面白さは変わってくる。

しかしそれでもなお、この本は面白い。ジョブズとウォズは共に「世界を変えたい」と願い、それを実現した。しかし、ジョブズとウォズのそれとは明らかに目的が違うところにあると思う。「エンジニアだけが世界を変えることができる」と、ウォズ。まさしく至言であろう。技術は人を幸せにするものであり、そうでなければならないという信念に溢れている。

Kashi. は「絶対」という言葉をあまり好まない。これまで絶対と呼べるのは死くらいなものだと思っており、根拠のない「絶対できるから!」といった言葉を軽視する傾向にあった。だが、ウォズが本書で最後に語る「絶対」は強く心に響くものだった。論理家であり、感情を表に出さない生粋のエンジニアが語る「絶対」には説得力がある。興味のある方はぜひ一読を。

10/21 (FRI)

ジョブズが死んでからもう 2 週間。未だにジョブズジョブズ言うのもアレだが、GIZMODO で気になる記事があったので一言。

件の記事は「ジョブズは早期手術で命が助かったのに拒否した。なぜ?」というもの。読めばわかるが、なんとも残念な内容だ。ジョブズは手術可能であったにも関わらず、メスを入れることを「侵害される」と考え、食餌療法を試みたり、スピリチュアリストに会いに行ったりしていたそうだ。記事の中にもあるが「自分が何かを無視したり、何かの存在を望まなければうまくいく」と考えていたのだそうな。自分のイヤなことに対して眼を瞑り、耳を塞ぐのは、実に愚かなことであると思う (もちろん誰にでもそうした側面はあるものだけれど)。

スピリチュアルに傾倒していたり、普通の人よりも感受性の強い人々はもっともこうした思考に注意しなければならない。これは、以前にもこの日記で述べたことだし、数日前のジョブズに触れた日記でも語らせていただいたことだ。嫌なモノから目をそらすことは出来ない。立ち向かわねばならないし、子供のようにダダを捏ね、我儘を言ったところで乗り越えることをしなければそれはずっとついて回るのである。人間関係などであれば、先に周りが折れてくれるかもしれない。だが、それは決して「その人が望んだからそうなった」のではないのだ。

確かに勘のするどい人というのは、そうでない人に比べて物事がうまくいくことが多いだろう。そして「やっぱり直感を信じるべきなんだ」と考える。だが、それは「偶々」なのである。そこにはなんの根拠もなく、検証することもできない。パチンコで確変が 20 連チャンした程度と何も変わらないことなのだ。だがそこに気がつかず、勘働きをソリューションとして生きていくと、いつか大きな失敗をやらかすことになる。ジョブズにはそれが死という最悪の形で訪れてしまった。

池波正太郎が著書「剣客商売」の一節で「剣をやると勘がするどくなる。だからこそより注意深くならなければいけない」と書いている。もちろん、直感やひらめきといったものは大切だ。何もかもがロジックで判断できるものではないし、それまでの経験が通用しなかった時には感性で物事を判断しなければならないこともあるだろう。だからといって、人生や人間関係のほとんどを感性に委ねてしまうのはあまりにも危うい。本人は「こうしたほうがいいと思ったから」と感じるかもしれないが、利害関係にあった場合、人は理解出来ないものに対して恐怖や嫌悪を覚えることもある。不愉快だなと感じたり、憤りに繋がることもあるだろう。一番怖いのはそれが怒りになる時だ。暴力に訴えかけるというのは極めて短絡的で、それはそれでやってはいけないことだと思うが、そうした理不尽を直接受けることになる可能性だってある。その時にも「しょうがない、これも運命できっと自分にとって必要なのだから」と受け入れられるのだろうか?

感性というあやふやなもの。適用するのであれば、アートの世界であったり、想像の世界に対してだけ発揮してもらいたい。そうした世界であれば感性というのは充分にその魅力を発揮できる。感性とはかけがえのない個性であり、その人の魂だ。だからこそ他人と関わるときには扱いに充分気を配ってもらいたい。感性は使い方次第で人を傷つけることもあるということを知ってほしい。使い方を考えれば、人を感動させたり、多くの共感を呼ぶことができる。ジョブズはその素晴らしい感性で多くの人の感動を呼び、その感性ゆえに死に神を呼び寄せ、多くの人々を悲しませる結果になってしまった。せっかく素晴らしい「感性」をもっているのであれば、人を悲しませるような使い方はしないでほしい。強くそう願ってしまうのである。

10/20 (THU)

ちょっと前までは Facebook が結構面白かった。元々気乗りしなかった SNS であるが、やってみるとそれなりのリアクションが得られるため、なんだか安心感がある。だが、なんだかそれも虚しくなってきた。SNS の意義とはなんだろう。ひたすら Friend を増やしていくことだろうか。レスを期待したあざとい投稿をすることだろうか。そうではないはずだ。だが、そうしてしまっている自分がいる。

もっと本音を書くと、いちいち旦那にお料理を作ってあげたという投稿だの、カップルでどこそこにいますというチェックイン情報だの、自分磨きのサイトへのいいね!だのを眺めることに不快感を覚えるようになってきた。さらに、ここのところの Facebook はわけのわからない仕様変更が続き、写真を投稿すると、もはやサムネイルとは呼べない大きさでプレビュー表示されるようになった。これはかなり鬱陶しい。仕様変更はそれだけに留まらず、自分の Friend が見ず知らずの他人にレスをした場合でも、親記事やコメントが表示されるようになった。これもイライラの原因だ。もちろん、これは Kashi. だけが感じているイライラであり、Friend にとってはなんの関係もないし、悪意もない。だが、見たくもない人の記事というものもある。当然そうした人と自分は繋がっていないが、共通の知り合いのために、そうした記事が否応無しに目に飛び込んでくるのである。以前までは「Friend が Not Friend の投稿に返信しました」のようにサラリと表示されるだけだったのに。

こうなってくると、Kashi. にとって Facebook は精神衛生を阻害するものでしかない。本当に病んでいるのだなと思う。SNS の投稿を見て不愉快になるなんざ、異常ではなかろうか。自分の投稿にいいね! を押してくれる人々に他意はなく、純粋にそう思ってくれていることはわかっている。だが、自分はそうでない。ほとんどリアクションすることがなくなってきたし、打算を考えるような時もある。逆にいいね! を押したいと思っても、変に考えてしまって押せないこともある。

Facebook を見ていて暗いな気持ちになることが、もうひとつあった。それは「Friend が Not Friend 他○人と友達になりました」というアナウンスだ。他の人々はなんだかどんどん友達を増やしていく。思い返せば、自分の Friend の 9 割は自分からリクエストを出して承認されたものばかりだ。どうしてこうも自分はコミュニケーションが下手なんだろう。どうしてこんなにも自信がないのだろう。そんなことを考えると自分なんぞ、酸素の無駄遣いをしてるだけの存在のようにすら思えてしまう。そういえば、震災の時も「大丈夫?」と、自分より先に連絡してきてくれた友達は一人もいなかったっけ。

一人きりで誰も自分のことを知らない土地を訪れてみたい。そこでなら誰も自分を必要としなくても、当たり前のことなのだから、何も期待せずに済む。もちろん、そんな考え方は単なる被害妄想であって、実際にはそんなことはないのだろう。だが、今の自分にはその手応えがない。パーティで大勢の招待客がいるのに、自分だけダンス パートナーがおらず、壁の花になっているような気分が消えないのだ。どうやったらこうした感情が湧いてくるのを抑えられるのだろう…。誰か教えてほしい。

(10/25 追記 : Facebook の仕様は結局また元に戻った。どういう開発計画なのかしらないが、落ち着かないサービスだ)

10/17 (MON)

すっかりスマホを封印してしまった。INFOBAR A01 は確かに良い端末だったが、ちょこちょこと不満も漏らしてきた。そうしてしばらく使いながら、やっぱり自分のライフ スタイルには不要であるということが判明したのであった。何度も何度も書いてきたように、操作性は圧倒的に iPhone の勝利だし、その iPhone ですら、電話としては使い物にならない。自分にとってのスマホは十徳ナイフのようなものであって、あれやこれやと便利かもしれないが、どれもこれも物足りない。

iPhone 4S は劇的に性能がよくなり、写真や動画のクオリティは相当にすごい。これが手のひらに収まる端末で実現されているのだから、大したものだ。だが自分は写真は基本的に一眼レフを使わないと納得がいかないし、外食中、店内でシャッター音を響かせたりすることも好きではない (チャレンジしてみたことはあるが)。Web の閲覧も快適になったようだが、あの小さい画面ではどうしても自分は納得ができなかった。だいたいが、移動中などに Web を見ることはほとんどなく、せいぜいが Facebook や Twitter チェック程度。いつでも見られるようになったせいで、かえって常にそこが気になるようになってしまったし、気になるくせに別に自分宛のトピックがあるわけでもない。ただ他人が更新したものを見るだけの事に時間を取られるのは馬鹿馬鹿しいと思うようになってしまった。もし自分に大勢の friends がいて、そうした人たちとの交流が盛んであれば、常に SNS に入り浸れるスマホは手放せないものであったろうなと思うが、そうでないわけだから無用の長物以外の何物でもないのであった。

電池はモリモリと減っていき、常に電池切れを気にしなければならない。Exchange への接続も甚だ不安定であった。受信出来るときとそうでない時がある。アラームを消すにも暗証番号の入力が必要で、スヌーズもたやすく解除できてしまう。着信音をまともに振り分けることもできず、アドレス帳のデフォルト表示でグループを設定することもできない。なによりもまったく信用ならないセキュリティに、自分の大切な個人情報のカタマリを預ける気にならない。メールの送受信、電話にしてもガラケーであれば、即座に反応してくれる。しかしスマホではそうはいかない。特に Android では操作性の悪さのほうが際立つ。これはものすごいストレスだった。タッチパネルで物理ボタンの持つメリットを上回るためには、ハードウェアとソフトウェアがベストに融合した状態でなければならないし、それは iPhone でしか達成できていない。その iPhone ですら、攻撃のターゲットとなっている。

いつぞやの日記で予想していたが、やはり Kashi. にとっては iPad + ガラケーの組み合わせが最適なソリューションだ。モラルの感じられないアプリが跳梁跋扈する現状も不服である。シャッター音の鳴らないカメラアプリが堂々とストアにあるような状況下、そうした端末を使いたくはない。いつか安心してスマホが使えるようになる日がくれば良いのだけれど。

10/10 (MON)

一週間ぶりに母親の病院にゆく。父親の話では、今日自分が来ると伝えた時に笑っていたよとのことだったが、母は眠っているようだった。最近の母は眠っている時間がどんどん増えている。こちらが疲れているのに見舞いに行かねばならない時であれば、こうした状態もありがたいのだが、いざそうしたことが増えてくると、今度は不安を覚えるようになってきた。

眠っている時の母は声をかけようが、体に触ろうが目を覚まさない。健常者でも発熱している時などは、得てしてそういうものだから、母の体は懸命に病魔と闘っているのやもしれぬ。喉に空けられた穴からはゴボゴボと苦しそうな呼吸音。喉にはスピーチ カニューレという気道確保のための器具が付けられており、発声用バルブを取り付けることで会話が可能なのだが、痰の多い時にはここから頻繁に吸引を行うために取り付けることができない。今日もそうした状態で、気の毒に思いながら見守っていると、巡回にきた看護師が「ちょっと音がひどいので吸引しましょう」と言ってくれる。

吸引で目を覚ましたので、いつものように熱いおしぼりで顔を拭いてやると気持ちよさそうにしている。普段ならここから会話ができるのだが、今日は少し嬉しそうに笑うだけであった。髪がボサボサになっているため、介護用のシャンプー シートを使ったあと、櫛を入れてやると、そのまま目を閉じ、また眠ってしまった。その後、パンパンにむくんでいる足をずっとマッサージしていたのだが、結局面会時間終了まで眠ったまま。声をかけても起きないので、そのまま帰ることになるのだがなんとも心苦しい。

帰宅後、父親と夕食。夕食時には病院に行った方がその日の様子を伝えるのが常となっているのだが、そこから介護の大変さという話になった。正直、母親が自宅治療だったときの父親の疲労度は尋常でなく、そこから一気に不整脈が出たり、頬がこけたり白髪が増えたりと、母親より先に父親のほうが死んでしまうのではと心配になったものだ。今、母が病院いることは、母親には気の毒だが、父親にとっては幸いなのである。介護はする側のストレスをいかに抜けるかということも肝要なようだ。

数年前、認知症の母親の介護疲れから心中を計ったものの、自分だけが死にきれずに逮捕された男性が受けた公判の記事が載っていた。徘徊で警察の厄介になる日々、そうした母の介護のために仕事を失い、生活保護の申請も却下され、借金も限度額に達して蓄えも尽きた時、男性は車椅子の母を連れて街に出た。以下は当時の毎日新聞記事より。

「最後の親孝行に」
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。
片桐被告が「すまんな」と謝ると、母は「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言い、強く抱きしめた。この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。殺害時の2人のやりとりや、「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。

公判の中で男性は「介護で疲れたことはあったが嫌になったことはなかった」と言ったという (当時の報道が YouTube で見られる。)。Kashi. も本音を言えば、最初のうちこそ、大変だなという思いのほうが強かったが、ある時を境に母親を見舞うことが嫌ではなくなっていた。入院してすでに 2 年。来る日も来る日もひたすらベッドに横たわり、食事すら摂ることが出来ぬ毎日を過ごす母。最近は言葉もだんだん聞き取りにくくなってきたし、記憶が曖昧になることもあるようだ。まったく動かず、会話もしないのだからそれも当然だろう。せめて顔を見せることで母の刺激になれればいい。

父親は数年前、地元の寺に墓を買った。夕食の時「そろそろ開眼法要をしておかなきゃな」と言う。意味するところは色々だろう。正直、見舞うことで仕事を中断されたりすることもあり、それが負担にならないといえば嘘になる。だが、父親のほうがよほど大変なはず。せめて今は自分のできる範囲であれば精一杯力を貸し、悔いのないように努めるだけだ。

10/6 (THU)

馬鹿と天才は紙一重。スタンフォードで学生を前に stay foolish ~馬鹿であれ、と語った天才が死んだ。彼は仏教徒であったから、涅槃に入ったなんて表現が高級かもしれない。スティーブン・ポール・ジョブズ、享年 56 歳。なんの偶然か、つい先日の日記でジョブズを語ったばかりだ。虫の知らせだったのかなあと考えると、少し感傷的になってしまう。この機会にアレコレ書こうかと思ったが、今さら Kashi. がジョブズ史を講釈する必要もないだろう。

かつて世界中を熱狂の渦に巻き込んだビートルズというバンド名を持つ 4 人のアイドル。その中で一番破天荒でファンの多かったジョン・レノンは兇弾によって、メンバー中一番最初に天に召された。同じくコンピュータ ファンにとってのアイドルは、ビル・ゲイツとポール・アレン、スティーブ・ウォズニアックとスティーブ・ジョブズの 4 人。やはり同じようにもっともエモーショナルだったジョブズが最初に逝った。ジョブズが大ファンだったというビートルズと、今回の訃報を重ねてみる人も多いのではなかろうか。あまりに早すぎる死に、今はただ黙祷。RIP SJ.

10/3 (MON)

引っ越しから 1 か月、バタバタし続けていたが、やっと市役所へ行って住所変更の申請が完了となる。迂闊というか、知らなかったのだが、移転届けは 14 日以内でないといけないとのことで、簡易裁判所への提出書類を書かされるハメになってしまった。遅延理由は「知らなかったから」。特にこの時点で罰金や不利はなかったのだが、後から何やら言われるのだろうか。自業自得だが、皆様もご注意されたし。

住所変更をすると、向こうも手慣れたもので「住民票は必要ですか?」と聞いてくる。職場や銀行など、色々なところでの証明書類に使うと理解しているのだろう。そのうえ、そのまま国民健康保険と子供手当の変更用書類をくれる。「住民票を発行している間に、このへんの手続きも済ませるとよいですよ」ということだった。国民健康保険も、実に速やかに変更が終了、そのまま新しい保険証が発行される。そのまま子供関連の手続きもスムーズに対応してもらえ、戻ってみると住民票も出来ていた。お役所というのもオンライン化で随分と合理的になったものだ。

あとは警察と銀行、保険屋への住所変更くらいだろうか。これで晴れて一通り…という気分なのだが、気分だけで実はなにも終わっていないのであった。女房の仕事は順調なようだ。立ちっぱなしの仕事であるから腰のヘルニアが心配だが、職場はみな良い人たちばかりのようだし、時給制のパートに対してもきちんと雇用保険や社会保険を適用してくれるようだから、会社としても信頼できる。試用期間は 3 か月。この職場で長く勤められるような見込みが出たら、改めて今後のことを進めていこう。

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※過去ログは追々体裁を整えてから公開していきます。

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