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2011 APRIL

4/29 (FRI)

今日からゴールデンウィーク。長い人は 10 連休だ。こうした休暇が取れる人々というのは、やはり大企業に多いようで、そうでない人々は企業規模によって暦通りだったり、まったく関係なかったりする。Kashi. はもちろん底辺であるからして、一切関係ないのであった。というか、こうした時は捗るといえば捗るのだが、「なんで世間が休みなのにこっちは働かなあかんねん」という僻みも出たりして、ちっとも捗らなくなったりもする。ハッキリいって非効率的であり、かえってリズムが崩れたりするのだ。

正直、今更言うことでもなく、このあたりは毎年感じていたことだが、一人身の今年はなおのこと厭世観が強くなる。ま、実際にはそんなこともないのだが、やはり寂しさはどうしようもない。ということで来年は必ず仕事を調整し、9 連休を確保してやろうと誓うのであった。せめて体を休めたり、ダラダラとすごすくらいはしたいじゃないか。

4/27 (WED)

見知らぬ携帯番号から着信。出てみると男性の声で「誰だかわかりますか」と不穏な感じ。が、イヤな感じがまるでしない。なんとも穏やかな感じだし、思い出してほしいなあというような雰囲気がある。が、思い出せぬ。

申し訳ない…と思っていると「○○です」と名乗ったその名は、11 年以上前に退職した会社の同僚からであった。退職直後こそ多少連絡を取っていたものの、生活が変わり、職場が変われば、お互いに多忙な日々の中、どちらからともなく連絡は途絶えがちになっていくというものだ。そうした人から約 10 年ぶりの電話。心が躍る。

彼とは Kashi. が 19 歳の時にはじめて就職した会社から、同期としての付き合いであった。もはや 20 年前。その間実に様々なことがあった。社会人とは思えぬやんちゃぶりで馬鹿をやりあっていた間柄である。そして共にものすごい苦労を分かち合ってきた仲でもあり、様々な思い出は今でも鮮明に思い出される。それほどの仲であったのに、声を思い出せなかったというのは不覚であった。が、こちらが忘れていたというのもあるが、やはり気づけなかった一番の理由はその声のトーンであろう。「なんというか、すごく声が穏やかだよ。落ち着いているの?」と尋ねると、「やっぱりストレスがないからじゃないかな」とのこと。

彼はある時、難病に冒されてしまった。冬の伊豆でロケをしている最中、タレントを乗せたハイエースを運転中意識を失ってしまったのだ。真横でそれを見ていた Kashi. はひどく動揺したがどうにもならぬ。幸いその時はすぐに意識を取り戻してくれたので、単なる寝不足か何かだと思っていた。が、その後しばらくしてから「俺、ちょっとおかしいかもしれんよ。首筋のとこ、全然痛覚がないんだ」などと言う。言われるままに首筋を抓ったり突いたりしても、何も感じないという。その時彼は笑いながら「俺、10 万人に一人の病気とかだったらどうするべ」などと言っていたが、後日それは事実となってしまった。多発性硬化症。政府指定の神経系難病である。その時から彼は激しい発作に襲われ、入退院を繰り返す体となり、それは春先が多かった。病院の庭に咲く桜を眺めながら「俺、あと何回、桜花を見られるのかなあ」などと言っていた。ある時歩行も困難となり、車椅子に乗っていた時期もある。彼の背中を押しながら、なんとも言えず寂しくなり、またそうした状態の彼にもなお激務を強いる当時の社長に怒りを覚え、何度もやりあったこともある。

その彼は今、沖縄の離島に定住しているという。ろくでもない社長がとうとう会社を潰したあと、彼は奥さん子供と別れ、彼の地にやってきたそうだ。自身の体を考えた時、いつかやってくる介護生活などで奥さんに苦労をかけたくないということで、財産から 100 万円だけを取り、残りはすべて渡してきたそうな。幸い、関係そのものは円満でいまでも連絡は取り合っているという。それはなによりだ。

「で、肝心の体はどうなのだ」と問うと「いや、それがめちゃめちゃ健康。3 年間発作無しだよ」などと言う。恐るべきバイタリティだ。曰く「やっぱりあの会社だよ。あそこが猛烈なストレスだったんだろうなと思う」と言う。今彼の収入は 18 万程度らしいが、それでも島では高給取りなのだそうだ。だが、それで食っていくことができる。朝 8 時には起き、海に潜って魚や海老を捕り食べる。他に、ライフガードなどの仕事でお日様と共に起き、月と共に眠るらしい。時間の流れの違う島、沖縄。そこでの生活は決して裕福ではないが、精神の充足を彼にもたらすと同時に、体調にも変化を与えたらしい。これは学会に発表しても良いレベルなのではなかろうか。

未だ尚爆弾を抱えているのは事実であろう。ある日眠っていた病魔がフイに目覚める時があるのかもしれない。だが、少なくとも都会で嫌な人間関係と激務に晒される環境と、大自然を満喫できている今とでは、同じ発作が起きるにしても心境が違うのではないだろうか。正直ものすごく安心し、またそうした状況でいることを嬉しく感じる。

なにより連絡を寄越してくれたことが嬉しかった。彼との会話はいつも Kashi. にとって心地よいものだったし、飽きることがなかった。連絡を取ってきた理由としては、ちょっとした仕事にからむかもしれない…というものではあったけれど、当時の仲間や知り合いのほとんどには居場所を告げていないという。Kashi. も行方知れずになったとの報を効いてから、かつての住まいを尋ねたりしたものだが、見つからずで打つ手無しとなっていただけに、とても安心できた。

Kashi. が「当時のこと、今でも夢に見るよ、俺」と伝えると、「俺も同じだよ。青春を過ごしたわけだしなあ」という。20 代の大半を共に過ごした仲間のことはやはり印象が強いのであろう。「ま、色々あって、戦友に連絡取ってみた次第だよ」と彼は言う。そう評してくれるのはありがたい。確かに自分たちは戦友であった。今、Kashi.は当時のスキルの延長で仕事を続けていられるが、少なくとも感性という部分では、彼の圧勝であった。自分には足らぬものを持つ彼を補佐するのは楽しいことだった。それをつまらぬ病気でリタイアすることになってしまったことが悔しかったものだ。

その退役軍人が再び、デジタルの世界に関わることになるかもしれないと言う。その時には力を貸してくれないかと言う。いいとも、いくらでも言ってくれ。あの頃は、やりたくもない仕事をお互いモチベーションが見えぬままに、体に鞭打ってやってきた。今度は、もっと違う気持ちでやれるであろう。かつての友のために、また力を貸せる。こんなに嬉しいことはない。実際に仕事をやるかどうかはわからないが、再び連絡が取れたということがありがたい。夏くらいには土産を携え、島を訪れてみようと思う。10 年間ぶりだ。いくらでも話のネタはある。その時は島の魚で酒を呑もう。

4/14 (THU)

昨晩のやり取りで決めた、女房からの電話を待つ。数ヶ月離れただけなのに、緊張している自分。

着信を 1 コール待って受ける。「こんばんは」と、やはりぎこちない。「とりあえず明日の会談なんだけど…」と切り出すと、下の子供が肺炎かもしれないとのことで延期させてほしいとの申し出。ここ数年児童の間で流行っているマイコプラズマというやつだ。学校としてはこの疑いがある場合は、速やかに通院して診断を受けてきて欲しいとのことである。なるほど、それなら仕方がないね…と言いながら、少しホッとした。子供の体調については気に掛かるが、そこまで心配するほどのことはないという。上の娘もちょっと熱気味なので、明日は大事を取りたいとのことだ。

個人的には、明日の会談は相手をやり込めあうものではなく、お互いが話し合いをできる心境になったため、まずはそこで話を進めていき、今後のこともまだタイミングなどを検討中なのだと、それぞれの両親に心配かけたことを詫びる会にしようと思っており、今日の電話ではそれを伝えようと思っていた。だが、それならばお互いがそれぞれの両親に伝えるだけでも事は足りる。正直、仕事のことを考えると、お流れになったのは有り難いという気持ちもある。何よりイライラなどもしなくて済む。

その後、子供たちはどう?といったことや、仕事が見つかったのか、家はどうするかといった話。結局離婚すれば、こちらは自分の生活もあるから養育費しか払えない。それをいくらにするのかというところはさておき、女房自身の力で日々を暮らしていくだけのことをしなければいけないのだ。となれば、今のマンションの家賃は明らかに分不相応なものとなる。せめて良い家が見つかるような手助けくらいはしてやりたい。

もうひとつは名前の問題。女房曰く、学期が変わると名字が変わる子供がやはりいるらしい。自分たちが子供の頃にもいないわけではなかったが、子供たちの通う学校では結構な数がいるとか。そのため、子供たちも、少なくとも上の子供はそれがどういうことか分かっているらしい。Kashi. 自身としては、できれば自分の姓を名乗って貰いたい気持ちがある。姓名判断もしたし、自分の姓を持つ子供として、意味をこめてつけた名前だ。だが、それを強要はできまい。子供たちも、今の姓はイヤだと言ったらしい。

「でもね」と女房。「色々考えたけれど、普通に手続きが面倒とかということもあるけれど、やっぱり今の姓を名乗るべきかなと思うし、子供たちにはそう伝えました」とのことだ。じゃあ、君は?と尋ねると「わたしも今のままで…それでもいい?」と言う。自分としては断る理由がない。言うように、確かに今のままのほうがメリットはあるのだろう。けれど、そうした打算の部分をさっ引いたとしても、今のままでいたいと言ってくれたことは嬉しかった。

その後は、近況などを伝える。「ちゃんと食べてる?」との問いに、自分が三食作っていることについて、ちょっと驚かれるが「今日は醤油が安いな、なんてやってるよ」と言うとクスリと笑われる。これでやっと心の枷が少し外れた気になった。それなりに時間が過ぎてしまったので、「じゃあまた話そう」と電話を切る。

こうした状況になると、和解、復縁という言葉を考えなくはない。だが、そう思えるのは、あえて距離を置くことで信頼感が生まれたからであるとも思う。いざ寝食を共にするということをすれば、やっぱりまたすれ違っていくような気もする。正直、将来どうなるかなんて、わからない。が、少なくとも今はそうした懸念のほうが大きい。

今、気になるのはお互いの将来だ。ずっと一人では、さすがに彼女も気の毒だ。いつか良いパートナーが見つかってくれれば良いのだけど…と、やはり複雑ながら思う。もちろん自分にも…と思うが、二人分の養育費を払い、難病で入院する母親と、脚の悪い父親を持ち、仕事はフリーランス デザイナーなんて収入に不安が残り、挙げ句 40 歳なんて年齢の男では買い手はつかなかろう。こんな条件では、たとえ好いてくれる女性が出現してくれたとしても、好きというだけでは覆いきれない現実というものがある。ま…、もうしょうがないだろうな。ちょっと寂しいだけだ。

4/13 (WED)

女房からメール。明後日は双方の両親を交えて会談の予定だが、その前にこちらの意向を伝えたメールを出した。義父の好ましくない姿勢へ釘を刺し、今後について感じていることなど。といっても、激しい言葉を使うつもりはなく、極力理解してもらえるように言葉を選んだつもりだった。併せて、こうした状況になってしまったことへの謝罪。子供たちに恐怖に近い感情まで持たせてしまったことへの後悔と、気づけなかった悲しさ。しかし、それでも自分が家族を愛していたことを、携帯のメールとは思えぬ長さで綴ったのであった。

こちらが真摯に伝えたのが功を奏したのか、「貰ったメールを何度も読み返しました」と、彼女もまた心境の変化や誤解について穏やかな返答をくれた。やはり、生活の違いやそこから生まれるコミュニケーション ロスが長い間に積もり積もって今回の事態を引き起こしてしまったけれど、Kashi. の気持ちまで思い至らなかったことについて詫びてくれた。「子供たちにお父さんが必要なことは間違いないし、今はまだ拒否反応があっても、いつか父親の存在を有り難いと感じる日がくるだろうから、それまで母親としてこちらもしっかり努めたい」とある。

だが、夫婦関係については、こちらが継続を困難だと感じているように「私も同じ考えです」とある。とても悲しいことではあるが、致し方ないとも思える。11 年一緒にいても埋められなかった考え方や生き方だ。決して悪い人ではない。一面ではとても優しい心も持っている。だが、どこかで噛み合わない。何故か二人の間には微妙な溝が残り、何故か目を背けてしまう。出会った頃のような気持ちのまま、惜しみなく愛を注ぐことができていれば違ったのかもしれない。何故そうしてやらなかったんだろう。結婚したんだから、もう大丈夫と、どこか愛に甘えていた部分があったのかもしれない。恐らくは数多くの原因があって、どれかひとつが特定の…というものではないのだろう。

だが、子供に対する想いは同じ。そこを占有しようというのではなく、お互いに支え合って彼らのために尽くそうという気持ちを持ちあうことができたのは、本当に良かった。今後の進め方などは考えねばならない。けれど、いがみ合い憎しみあうのではなく、前向きな気持ちを持ち、二人でいるよりも離れた距離で支え合うほうがよいということなら、それはそれでベストの形なのだと思う。

落語「子別れ」では、夫の浮気が原因で別れた夫婦が子供との邂逅をきっかけに、実はお互いまだ好き合っていることを確認し合い、再び添い遂げることになる物語。「ねぇ、あンた。子は鎹っていうけど…本当だねえ…」と涙ぐむ女房を見ていう子供のセリフがオチになっている古典名作。生憎と Kashi. たちは離れることになるが、子供を思う気持ちが鎹となり、ズレていた気持ちを噛み合わせてくれたのは間違いない。明日、久しぶりに電話で会話する。

4/11 (MON)

妹の誕生日である。そして未曾有の大震災から 1 か月でもある。そんな日、入院中の母親が 1 年振りに外出を許され、桜を眺めた日でもある。おめでとう、がんばって、良かったね。そんな一日。

4/10 (SUN)

女房に双方の親を含めた 5 人での会談について、場所と日程を伝え、向こうの両親にも共有してもらうことにする。来週 15 日金曜日。とある案件で提出物があるが、もうそこしかない。返信があり OK とのこと。あまりにもアッサリしていたということもあるが、少しこちらも言いたいことを言わせてもらおうと思い、向こうの義父への揶揄も含ませながら「当日は感情的にならずに、お互いに話したことを双方の両親に報告し、今後についてはまだ話し合いが必要な状況であるということを伝える場にしたい」と伝える。しかし、個人的には女房と義父を向こうに回して立ち回りをするつもりはなかった。どちらかと言えば、義父をこてんぱんにしたいという気持ちがあった。

親や育った環境というのは、そのすべてが原因ではないにしても、人格形成に大きく影響していると思う。女房は本人はあまり意識していないが義父への依存度が大きいように思えてならない。親を大切にするということはまったく悪いことではない。むしろ親を大切にしない嫁などはイヤだ。だが、結婚し新家庭を持ったのであれば、実家からはもう離れたと考えなければいけないように思う。

普段はそうしたことは意識していないと思うが、いざこうした時にそうしたものが感じられてしまう。これは色眼鏡なのかもしれない。だが、やはり過去の経緯がそうした気持ちを捨てさせてくれない。こういう感情、持っているだけで疲弊してしまう。なんとか穏便に済めばよいのだが…。

4/06 (WED)

義父からの連絡を受け、父親がコールバックしてみたところ、内容は案の定のものであった。感情的で支離滅裂。話し合いにすらならず、とにかく言いたいことを言ってきたという感じ。父親に向かって「あんたは孫が可愛くないのか」と言い放ち、わけのわからない親父がどういうことですかと聞いてみると、震災の時に、女房、つまり自分の娘に様子を尋ねることもせず放置したことを怒っているらしい。

親父に言わせれば、「それを言うならお宅の娘さんも、こちらになんの連絡も寄越しませんけど」だ。そもそも、こうしたやり取りというのはどちらが先にやらねばならないというものではないだろう。未曾有の災害において、相手のことを心配する気持ちがあれば、あとはタイミングの問題であり、「大丈夫ですか?こちらは無事です」ということになるものではなかろうか。

しかし今は別居中。父親からすれば息子が実家に戻ってきているのに、こちらから嫁に連絡を取るということもしづらい。もちろん孫は可愛いと思っているから、お年玉や誕生日など折に触れ気にかけている。しかし、今は母親の面倒を見なければいけない。そうなればそれなりに遠距離にある孫の住まいに遊びにいくということは叶わない。むしろ親父からすれば「そういうことを言うなら、嫁のほうから義理とはいえ親に連絡してくるものではないのか?」ということになっても責めることはできまい。

しかし、向こうの義父は違うのである。一度も娘の住む家に行かず、連絡もしないような男と、その息子が憎くてたまらないのである。だが、それならこちらの親だって、義理の両親が色々苦労する中、もう一年にもならんとする入院中の母親の見舞いに一度もこないような嫁を心配したくなるだろうか。否であろう。さすがにカチンときたようだが、それでも冷静に「連絡を取らないというのはお互い様ではないですか?こちらだけがなんの連絡もしないというならわかりますが」と伝えると、「ああ、そうですよ?そりゃお互いさまですなあ」などと半ギレ。なんだそりゃ。

とにかく万事が万事そうなのである。一時の感情だけですぐに人を悪し様に罵り、自分側に非はなかったのかという思考がない。Kashi. が女房ともう夫婦生活を続けることは難しいと思うのは、この義父のことも大きく関係している。こうした人間と親戚関係になることがイヤでしょうがないのである。仮に今また関係を修復しても、この父親がいる限りまた心底イヤな思いをするのは確実だ。そしてそれを娘である女房が受け入れてしまっている以上、こちらは歩み寄る術がない。

義父は「とにかく話しましょうよ。わたしゃね、週末は都合が悪いから、平日のどこかにね。会って話しましょうや。場所と時間決めてください。お願いしますよ」と言い放ち、ガチャン。とにかく程度が低い。双方の話を聞いた上で、こちらに圧倒的な非があるなら責められても納得いく。それは親心だろう。だが、そうした情報がまだ何もない段階から、ただ娘可愛さに、こちらを親の前で呼び捨てにし、「○○ (Kashi.本名) ってのはね、そういう性格でしょ」などと言われて親父が如何に不愉快だったか。

電話が終わったあと親父は「もういい。あんな人間と一緒にいることはない。不愉快だ。お前はお前の新しい人生を探せ」と言う。Kashi. もそう思う。義父は自身が出てくることで事態をどんどん悪化させていることに気付かぬままだ。親父にしろ、Kashi. にしろ平日は仕事がある。そうしたことも無視して、自分の都合だけで平日を指定してくる無神経さ。こちらもいい加減嫌気が差す。

ということで、親父と相談して、新宿あたりのホテルのラウンジなどでセッティングするように画策する。こういう時は下手な個室などよりも、衆人環視のあるロケーションのほうが良いし、高級ホテルのラウンジなどは向こうが場慣れしていないであろうとの読みだ。こちらはきちんとスーツを着て、相手よりも 30 分前には到着し、待ち構えるつもりである。今回のこうした事態は決して片方だけの悪行が原因ではない。別居に至るまでに話し合いは行い、修復のチャンスも打診したが、それも厳しい。ましてや子供たちから拒否された Kashi. が家を出るというのはむしろ子供たちへの善意だ。そんなふうに考えるのは不遜だが、世帯主は自分である。扶養の義務はあるかもしれないが、自分を要らぬと言っている存在たちに「イヤならお前たちが出て行け」ということだって可能なのである。そうせず、自分が出てきたのは仕事に都合が良いという打算もあるが、なんの関係もない子供が学校に通えなくなったり、そこから生じる面倒を敢えて多少自由のきくこちらが考慮したというだけだ。

今週土曜日、話し合いである。向こうが屁理屈と感情でくるなら、こちらはあくまで冷静かつロジカルにこてんぱんにしてやろうと思う。もういい加減にしてくれ。

4/5 (TUE)

父親が母親の食事の世話のために病院に行っている間、平日の場合、父親に用事がない場合、Kashi. が食事の仕度などをするのが通例となった別居生活。今日も同様に仕事をして「そろそろ仕度をするかな」という頃に、実家の電話が鳴る。基本的に Kashi. が別居、居候状態になっていることはまだ公にはしていないので、電話も必然留守電のままにしてこちらは応対しないことにしているのだが、今日はなんとなく虫の知らせがあって階下にある電話機に表示された番号を見てみると、嫁の実家から。

スピーカーから聞こえる声は義父であったが「○○です。ちょっと話があるので電話ください。待ってます」とのことだった。もうこの時点で萎えてしまうのである。向こうは Kashi. が実家にいることを嫁から伝え聞いているとのことだし、そのつもりで電話をかけてきたのであろう。が、電話先はあくまで実家である。話たいことの内容は容易に想像がつくが、それでも実家に向けて留守電を残すのであれば、それなりの礼儀をもって話すべきであって、「話があるので電話ください」なんてモノの言い方をするのは失礼というものだ。

このあたりが実に嫌なところなのである。数年前、嫁と揉めて彼女が心のバランスを崩して実家に帰ったときも一方的にこちらをなじってきた記憶が蘇る。その時こちらの両親は二人でまず納得いくまできちんと話し合いをすべきだし、子供のこともあるのだからしっかり考えなさい、それでもどうしようもなければ別れることは仕方がないかもしれない。それと別居の間でも相手には生活費を送金し、今は責めたりせずに優しくケアに努めろと言ってくれたものだ。

個人的には、親の言うことだからということはさておいても、これが大人の対応であると思う。こちらの言い分も聞かず「娘が心を病んでしまった。お前は何をやってるんだ」と言い放ち、今回もまず「○○です。Kashi.君と娘がこういう状態になっていることについて、話を聞きたいので Kashi. 君に連絡くれるよう伝えてください」などと言うのが普通の親の対応であると思う。

娘が可愛いのはわかる。しかし、もう 40 も手前になった当人同士が決めた結論に対し、何故、まず向こうの親が出てくるのか。もちろんこちらもそれなりの謝意を以て向こうの親には挨拶をしなければならないと思うし、それについてこちらの親もそれなりの言葉を述べねばならないだろう。だが、なのである。

ひょっとしたらこちらの先入観があって、相手は穏やかに「仕方ないですね」とし、心情を述べたいだけかもしれないし、それはわからない。けれど、相手はこちらの携帯電話も知っているはずなのだから、実家に電話してきたならそれはやっぱり父親宛なのである。そして父親同士であれば、やはり礼節をもって接してもらいたい。そう思うだけだ。とりあえず父親は今電話をしてくれている。こちらは 2 階の自室で結果待ち。ここのところやっと落ち着き始めてきた心が再びざわついてしまった。時間がかかりそうだ、これは。

4/3 (SUN)

Facebook で気になる記事が投稿されていた。書き込みした御仁は Kashi. の顧客企業の社員だが、大きな会社のため、その人と面識は一切ない。通常であれば別段気にすることもないのだが、今回はちょっと受ける印象が違っていた。

テーマは「被災地の治安について」で、曰く、「知人の元同期が今宮城で働いている」「その人が言うには警察が機能していないところでは、強姦強盗殺人が当然になっている」とある。これを読んで「ああ、これはいけないな」と思ったのが、それを「~らしい」と結んでいることであった。数日前にこうした情報はデマであるとの報道が為されているし、Kashi. 自身はこれは流言飛語、デマの流布であると感じたが、紛争地帯など極限の環境下ではそうしたことも確かにあり得ないことではないのも事実。

そこで震災の対応で忙しいであろうとは思ったが、宮城県警と気仙沼警察署に問い合わせを行ったところ、言下に「ありません!」と否定し、「被災地全体が復興のために全力を尽くして力をあわせています」と対応いただいた警察官は言うではないか。こちらの記事ではこうした誤情報を流した人物を特定できれば、立件も視野にする…とある。そこで「今回のように書き込んだ人物が匿名ではなく、しかも宮城県と地域を指定し、誤情報を流した場合、立件に相当しますか?」と尋ねたところ、「平常時であれば考えられるが、実際には今それどころではない…というのが実状です」とのこと。

さらにこちらが「誤情報のような事実がないのであれば、広くメディアなどを通じてそれを広めることはできないのでしょうか」と聞くと、それはそれで「安全であることをアピールしすぎると、こうした状況下では逆に犯罪の誘発になりかねないため、対応が難しい」のだそうな。

実際、この問い合わせは非常に多いらしく、「ボランティアの方が、そんなに危ないなら行けない」とか「格闘家の有志の方が自警団として見回りたい」と申し出てくれるケースもあるとのことだが、そうした場合でも警察側で逐次「そうした事実はない」と説明するはめになるそうだ。

現実には略奪、窃盗レベルの事件がまったくゼロであるとはやはり考えにくく、模倣犯の出現を防止するという意味でも発表は控えめにしていたり、非常事態ゆえに発覚しない…ということもあるかもしれない。しかし、冒頭の人が書き込んだような「それが当然のように行われている」となると、それはあり得ないだろう。日本人の気質もあるが、避難状況下での相互監視、自衛隊やボランティアの活動、警察の見回り強化といった状態で、凶悪犯罪が日常茶飯事になるとは考えにくい。

今回の書き込みには「流言の流布」以外の別の問題もある。こうした噂話でしかないものを「知人の言葉」として信憑性が高いもののようにしていることと、仮にこうしたことが事実であるとして、そのために通報を行ったり、知人なり警察なりへの問い合わせや、実地調査なりの事実確認を一切行っていないことだ。

例えば知人の言葉が「昨日 UFO が降りてきてさらわれた」というようなものであれば、そんなことはあり得ないとなる。荒唐無稽すぎて信じる人が少ない=影響がほとんどない、ということだ。だが、流言というのは「もしかしたら」と思わせる内容が多いだけに、より慎重な検証が必要だと思う。それこそ犯罪行為に関するものであれば、第三者が信頼できるソースのない情報は、現実の被災地の人々への侮辱でもあるし、不安や不信感をかき立てるだけのものだろう。さらには、直接被災していなくても、東北に親がいる、知人・友人、取引先、恋人がいるなど、日々安否に心を寄せている人がいるかもしれない…という配慮が著しく欠けた書き込みであると思う。

書き込みをした人は、寄せられた否定的なコメントに「人間極限になれば理性より本能が勝る。明日は我が身かも」などとレスしていたが、これもまた浅慮であろう。もし、本能が勝るというのであれば、数々のメディアで報道されている、被災者であるにも関わらず、復興を願い、他人を気遣って手書きの看板のまま店を開けたり、たった一本のハサミで理髪店を再開したり、温泉を開放したりする人々の行為はなんなのか、ということになる。

よくこんないい加減なことを実名登録で勤務先まで公開している媒体で書けるものだな…と呆れたが、他の書き込みを眺めてみると総じて社会を斜めに見たものばかり。ああ、これは単純に人間性の問題で、問題意識から来たものではないのだと納得。とにかく綺麗とは言い難い言葉で、読んでいて不快になるものばかり。2 ちゃんねるのそれと何も変わらない。本人は「現代社会に義憤を感じて国を憂う俺、かっけー」なのかもしれないが、いい大人が実名でそんなことをしているのは滑稽以外の何者でもない。ま、いつか大やけどすることになるであろう。反面教師として見習わせていただくことにしよう。

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